二節〈機械人形は夢を見ない〉/1
誰かが話す声が聞こえた。
誰かが笑う声が聞こえた。
絶え間無いそれらは幸福の象徴であり、証明だ。
暖かくて、明るくて。
ずっと腕の中で抱え続けたくて。
でも、何故か上手くいかない。
ほろりほろりと崩れ落ちてしまう。
根まで枯れた花のように。
ああ、どうして君は──。
「──起きて、レイくん」
頬を突かれた。
微睡み、揺蕩っていた意識が急速に浮上する。
目を開けると、白が視界を染め上げた。
眩しくて、光の方向から顔を背けてしまう。
何度か瞬きをして、目を慣らす。
光満ちる教室。
空いた窓から秋風が吹き込んでいる。
静かなここに、己と彼以外の人影はない。
「……ここ、は?」
「もしかして、寝惚けてる? 珍しいね」
目の前でくすりと微笑む黒髪の少年。
透き通った銀色の瞳が緩く細められた。
眩む頭を抑えながら、レイ──レイフォードは口を開く。
「……テオ。そうか、終わったんだね」
「それはもう、とうの昔に。
頑張って早く終わらせたのに、レイくんぐっすり寝てるんだもん。
貴重な姿を見れたのは良かったけど……そんなに眠かったの?」
テオと呼ばれた少年──テオドールは、文句を言いながら、手に持っていた鞄を静かに机の上に置いた。
「……眠かったのかな。
いつの間にか寝ちゃってたから」
「夜遅くまで起きているからそうなるんだよ。
セレナさんに報告するよ?」
「すみませんでした。
それだけは止めてください」
テオドールと他愛も無い話をしながら、机に置かれた自分の鞄を肩に掛けた。
革製の肩掛け鞄。
見た目より案外ものが入るそれには、筆記用具と教科書数冊、糸綴じの帳面が入っている。
しかし、何だかいつもより重い気がする。
肩紐を握ったり、離したりして、その違和感を無くそうとするが、払拭し切ることが出来ない。
まるで、自分の身体でないようだ。
ぎこち無い動きをする少年を不審に思ったのか、テオドールが問い掛ける。
「……どうしたの、まさか気分悪い? 休む?」
「いや、何でもないよ。早く帰ろう」
「ならいいんだけど……本当に気分が悪かったら、遠慮なく言って」
「そこまで念を押さなくても分かってるから。
大丈夫、大丈夫」
レイくんの大丈夫は大丈夫じゃない。
そう眉を釣り上げるテオドールを手で制しながら、二人は教室の外へ向かった。
記憶の中よりも幾分か暗くなった廊下。
煉瓦造りの中に、所々木材が使われている。
大体、築五十年ほど。
年季が入っているが、朽ちているわけではない。
『彼』の世界の言葉だと、年代物などと言っただろうか。
「そういえば、夢でも見てた?
よく聞き取れなかったけど、何か言ってたから」
「夢、かあ……」
テオドールの言葉に、レイフォードは首を傾げる。
彼の言う通り、己は『夢』を見ていたはずだ。
随分はっきりした『夢』を。
だが、その内容を全く覚えていない。
いや、どちらかというと靄が掛かっているように思い出せない。
思い出そうとすると、掻き混ぜられたかのように己とそれの記憶の境界が不明瞭になってしまうのだ。
「……覚えてないなあ」
「まあ、夢ってそんなものだよね。
俺もすぐ忘れるし」
あっけらかんと言い放つテオドール。
彼や他の者が言うように、夢──この場合、睡眠時に感じる現象のこと──とは基本直ぐに忘れてしまうものだ。
願望の顕在、あるいは記憶の整理。
原理は未解明であるが、そう言われることが多い。
しかし、レイフォードにとっては夢は夢ではない。
彼の『夢』とは、『己』の記憶を呼び覚ますこと。
自己を『他者』に侵食されることだった。
レイフォードは、俗に言う《転生者》である。
創作物でよく散見される、記憶を持ったまま生まれ変わった者。
正確には少し違うのだろうが、大方は同じ。
子どもの身体に、大人の記憶が詰め込められた歪な人形だ。
ただ、彼は王道と異なっていた。
生まれたときから『レイフォード』という一個人であり、前世の人格をそのまま移し替えた人物ではないということ。
『レイフォード』という記憶がありながら、『■■■』という前世の記憶を持ち合わせていることだ。
寧ろ、王道通りの方が楽だっただろうに。
レイフォード自身も、何度もそう思ったことがある。
初めから、『レイフォード』なんて人格が存在せず、『■■■』であれば良かったのにと。
そうであれば悩まなかったのだろう。
『己は何者か』なんて。
『■■■』の記憶は、誕生時から『レイフォード』に刻まれている。
しかし、全てを憶えているわけではなかった。
時間の経過と共に徐々に思い出されていく記憶は、人格の境界を曖昧にする。
だからこそ、彼は今この世界に生きている『己』が『レイフォード』であるのか、はたまた『■■■』であるのかが分からない。
そして。
────君が好きだ。
あの時、彼女に告げた愛言葉は本当に己のものだったのだろうか。
そんな疑問が、ずっと心の中で燻り続けていた。
更に、あの日以降。
ユフィリアと出会ったときから見なくなっていた悪夢、とある少女の記憶が蘇り続けている。
何度も死んで、何度も救けられなかった。
大切な人を見殺しにしてしまった、彼女の記憶を。
二つの記憶。
混ざり続ける自我。
真実の自分とは、誰なのか。
落ち込んだ気持ちを勘付かれないようにひた隠し、レイフォードは校舎の外に出る。
傾き始めた太陽。
木枯らしが吹けば紅葉が舞い、ひやりとした空気が身体を強張らせる。
豊穣の月も過ぎ去り、技巧の月を迎えた初冬。
あの事件が風化し、記憶し続けている者たちでさえ朧気になった頃。
レイフォードは、十一歳へ成長していた。




