十六節/2
「……殺さないのか?」
「『死人に口なし』と言うだろう?
まだ、言いたいことがあるんだよ」
短剣をそのままに、レイフォードは口を使って右手の手袋を外す。
「……それ、は……?」
「僕は貴方の娘……エヴァリシアと同類だよ。
やがて消える運命にある者だ」
右手の甲に描かれた聖印。
レイフォードが知る限り、エヴァリシアは自身と同じく祝福保持者。
そして、過剰症の患者だったはずだ。
「……歴史は、繰り返されるのか」
「いや、繰り返さないよ。
僕の存在は、誰の記憶にも遺らない。
貴方のような特権階級でも、消してもらうことになっているんだ」
次期国王、現王太子であるヴィンセント殿下に直訴して認めてもらったのだ。
あの男が約束を反故にするわけがない。
「……わたしのようになる者は、いないのか」
「……ああ」
レイフォードの下で、男は微笑む。
憑き物が落ちたように。
「……本当に、貴方は復讐を望んでいたのか?」
「……望んでいたさ。
いや、違うな。
望んでいたのは、『わたし』という名の概念だけだった。
愛する子を奪われた、父としての」
ああ、そうだ。
己は、己自身に復讐を志す心など一つも無かった。
そんな余裕など無かったのだ。
あるのは、いつになっても癒えない哀しみだけ。
復讐を願ったのは、男の外殻。
『愛する子を奪われた父』という役だった。
「……虚しいな。
わたしは、正気に戻ってしまった。
狂気が正気となる世界で、狂ってしまった」
正気にならなければ、こんな想いをせずに済んだかもしれない。
それでも、それでも男は正気にならずにいられなかった。
エヴァリシアという少女を、忘れてしまわないように。
アリステラに生きるものは、『死』を忘れてしまう。
希望に、幸福に生きるために。
永遠を維持するために、過去を振り返らない。
刹那を斬り捨てるのだ。
それは、狂気に他ならない。
「……憐れむな、少年。
狂ったままでいろ」
「……言われなくても、僕は『僕』でいるよ」
男は目を閉じる。
こんな反理想郷から逃れるために。
狂気に満ちたこの世界から、目を逸らすために。
見続けていたから、視ていたから正気になってしまったのだから。
「壊せ、我が理想を打ち砕きし者よ」
やがて、この身体は朽ち果てる。
本当のノストフィッツは、もう既に死んでいた。
彼は狂い、壊れてしまったのだ。
停滞したこの国の真実を知ってしまったから。
切っ掛けは、あの戦争。
終末装置を殺した時。
彼は悟ってしまった。
この戦争は果てがないのだ、と。
だから、全てを終わらせようとした。
停滞を循環させるために、外から力を招き。
虚構を明かすために、力を欲し。
愛する家族まで犠牲にして。
そして、十数年の準備を経て、幕を上げた。
男は、それに便乗しただけだった。
あの黒い液体は、魔物の血である黒血。
それも、即座に魔物に変性させる特別製だ。
刺された少年が魔物に変性しなかったのは、彼の祝福によるものなのだろう。
祝福は神秘そのものであるから、そんな奇跡も起こる。
当初の予定通り、子どもであり、源素量もそれなりにあるユフィリアを刺したならば。
ノストフィッツの計画通りならば、こんな展開にはならなかっただろうに。
しかし、ノストフィッツの計画も全て筋書き通り進まなかったのだから、これもまた運命なのだろう。
個人的な恨みもあって、本当に素材としたかったのは、アーデルヴァイトの当主だった。
だが、彼を捕らえることは不可能であるため、妥協してユフィリアとなったのだ。
男からすれば、それは幸運だった。
エヴァリシアの面影を、感じられたのだから。
もう、思い残すことは無かった。
己の夢は打ち砕かれ、本懐を成すことは出来ずとも納得行く結末ではあった。
彼に、彼らに壊されるなら寧ろ、本望だ。
さあ、壊せ。壊してくれ。
しかし、彼の願いは、どうも叶えてもらえないようである。
「嫌だ、死ぬなら自分で死んでくれ。
僕の手を汚させるな」
吐き捨てるように、レイフォードは言い放った。
「……ここまで来て、そう言うか?
『殺し合おう』と言ったのは君ではないか」
「言葉の綾ってやつだよ、ただの煽り。
……貴方を殺したら、彼女を哀しませるだろうし」
ちらり、とレイフォードは背後を見る。
そこには、二人を見守る少女がいた。
「……はは、そうか。
愛されているようだな、彼女は」
「悪い?」
「いや、純愛とは美しいものだ」
こんなところで愛を見せつけられるとは思っていなかった男は、呆れたように笑う。
自分と妻は、こんな風に見えていたのだろうか。
少し、気恥ずかしかった。
「……行くなら行け。君も、もう長くはないだろう」
「……お言葉に甘えて」
レイフォードは、無骨な短剣を放り投げた。
一応、男の手の届かない場所へ。
そして振り返り、少女の名を呼んだ。
「──ユフィ」
最も愛おしき者の名を。




