十六節〈復讐者を壊すは、理想を打ち砕きし者〉/1
「どうやってこの中に入ってきた?!
これは、誰にも破れない結界のはずだ!」
「……神様だったら破れるんだろう。
そういうことだよ」
突如現れたレイフォードに、男は狼狽え後退る。
「……あり得ない。
そんな力を持つ者が、存在するわけがない!」
「貴方がこうやって刺せたことが、何よりの証拠だよ」
狼狽える男。
彼の手には、真っ赤な血が付着していた。
「……お腹に刺さって……!」
「大丈夫、痛くないから」
ユフィリアは、自身を背に隠すレイフォードの袖を引く。
ユフィリアを庇ったことで、彼の腹部には短剣が突き刺さっていた。
だが、レイフォードとしては痛みを感じないため、少しの違和感がある、というだけだった。
出血は激しく、数秒で血溜まりができるほどだというのに。
深呼吸をして、レイフォードは短剣を引き抜く。
噴き出す血液、溢れる緋。
こんな光景は二度目だな、なんて場違いなことを思いながら。
「君は……死ぬつもりか?」
「死ぬつもり……ではないけれど、死んでも良いとは思っているよ」
レイフォードは、短剣の切先を男に向ける。
宛ら、決闘の申請のように。
「さあ、足元の剣を拾え。
殺し合おうよ、復讐者」
彼の足元には、投げ捨てた短剣が落ちている。
肉厚で、よく研がれた刃だ。
明らかに実践用に作られた、人を殺すための短剣。
対して、レイフォードが持つ短剣は、装飾された細身の短剣。
儀礼用にも見え、実戦向きでないことは明確だった。
互いに短剣を構える。
刀身の長さは互角。
しかし、体格は大きな差がある。
誰が見ても、レイフォードに勝利の芽はない。
「君では、わたしに勝つことはできない」
「やってみなければ解らないだろう?
……貴方みたいに迷っている人に、負けることはないと思うけれど」
それでも、レイフォードは戦うことを止めない。
蒼空の瞳に、確かな闘志を宿している。
「……ならば、勝ってみせろ!」
その咆哮を合図に、二人は駆け出した。
剣戟はなく、ただ相手の隙を作るためのはったり。
短剣は、致命傷を与えるためだけに過ぎなかった。
戦況は膠着している。
レイフォードは戦い方を熟知しているが、思うように身体が動かない。
男はぎこちなく短剣を振るうばかりで、相手に当てることが出来ない。
自身よりかなり小柄な相手という戦いにくさの他に、彼はまだ決意が出来ていなかった。
「……殺せないくせに、貴方はあんな啖呵を切ったのか?」
「……殺せるはず、だったんだがな。
あの少女に決意が乱されてしまった」
男は横目でユフィリアを見る。
彼女が放った言葉は、男の心を的確に貫いていた。
「……へえ。
でも、僕には関係ないかな。
貴方の決意なんて、知らなくても変わらない」
「そうだろうな。
くだらない、ただの一人の決意だ」
再び、二人は距離を詰める。
互いに戦える時間は少ない。
レイフォードも、男も、制限時間があった。
次第に、身体が重くなっていく。
ぼろぼろの身体を無理矢理動かしているからだろう。
足はふらつき、意識は朦朧としていく。
けれど、止まることは出来ない。
彼を、殺すために。
レイフォードは、勝負に出ることにした。
決まれば勝利、外せば敗北。
そんな博打をしなければ、あの男は倒せない。
────いいかい、レイフォード。
もし、キミが誰かを守るために剣を振るわなくてはいけないとき。
正攻法では勝てないこともあるだろう。
思い返すのは、いつかの先生の授業。
テオドールが素振りをしている際に、レイフォードだけに教えた小細工。
────剣を投げろ。そして、相手の剣を奪え。
相手の意表を付いて、相手の武器を奪うんだ。
レイフォードは、短剣を投擲する。
同時に男に足払いをした。
「……何?!」
投げられた短剣に気を取られた男は、いとも容易く体制を崩す。
それを見逃すはずがない。
直ぐさま彼の顔面に膝蹴りを入れ、緩んだ手から短剣を取り上げる。
人の構造上、捻るようにすれば簡単だった。
男の首を踏み付け、起き上がれないようにする。
そして、彼の眼球すれすれに刃を向けた。
勝利宣言。
短剣による戦闘は、相手の行動不能によって決まる。
極限、殺すことは不必要だ。
相手の意志さえ奪えば、レイフォードはどうでも良かった。
「……狂っている」
「狂っていて結構。
狂人じゃなければ、この国で生きることなんて出来ないのでね」
戦闘で自分の武器を投げるなど、まともな教育を受けていればするはずがない。
これは、『狂人』であるからこそ出来たことだった。




