十五節/3
緩まった拘束から抜け出し、ユフィリアは結界の一部を殴り付ける。
十回、二十回、数えるのも忘れるくらい殴り続けた。
それでも、結界には傷一つ付かない。
ユフィリアの拳に、血が滲んだだけであった。
「……随分お転婆なお嬢様だ。
やはり、エヴァによく似ているよ」
「……だから、私を選んだのですか?」
振り返ると、男はまた新しい短剣を抜いていた。
「そうだな……誰でも良いと言えば良かったのだが、昨年貴殿を見掛けた時、貴殿しか居ないと思ってしまったのだよ」
「……同じようなことを私に言う人が居ました。
けれど、貴方の言葉は、その人の言葉より嬉しくありません。
女性の口説き方を学んでから出直して来てください」
「……手厳しいな、今の女性は」
彼は、懐から布を取り出すと丁寧に短剣の刃を拭いた。
錆一つ無いというのに、不思議なものだ。
「気になるかね? この短剣が」
「はい、今から自分を刺し殺すものですもの。
気になるに決まっています」
「……その返し、本当に子どもか?」
「見ての通り、六歳児ですよ」
顰めっ面で問う男に、完璧な礼をしてみせる。
彼は呆れたように笑いながら、先の話の続きを始めた。
「これは我が一族に伝わる家宝……らしいが、わたしも詳しくは知らないのだ。
文献によれば、千年以上前からあるものだそうだ」
「骨董品も骨董品ですね。
そんなもので私を殺せるのですか?」
「ああ、神秘による保護があるからな。
永遠に朽ちることはないそうだ」
永遠なんて言葉選びをしたのは、この国に対しての意趣返しなのだろう。
皮肉なものだ。
この国を造り変えると宣言した男が使った剣が、永遠を謳っているなど。
「……すまないな、わたしの自己満足に巻き込む形になってしまって」
「今ここで死ななくとも、後で殺されるのでしょう?
早いか遅いか、それは大した違いではないのです」
ユフィリアは気丈に振る舞う。
殺されることに恐怖心を抱かないわけではない。
しかし、怯えて何も出来ないのは嫌だ。
最期まで立ち向かう。
ユフィリアには、それが出来た。
「……本当に貴殿は強いな」
「強い女の子はお嫌いで?」
「いいや、大好きさ。
……娘も、そうだったからな」
男の瞳が優しさを帯びる。
ユフィリアとエヴァリシアを重ねているのだろう。
「……少々話し過ぎたか」
彼は短剣を拭いていた布を懐に仕舞うと、次は小瓶を取り出した。
宵闇のように黒いその液体を、刃の部分に振り掛ける。
時間稼ぎも、もう終わりらしい。
「……最期に訊かせてくれ。
貴殿は、この国をどう思う?」
「些か曖昧な質問ですね?」
「そうとしか訊きようがないからな、赦せ」
ユフィリアは逡巡する。
生まれてから現在に至るまでの約七年間。
父と母の元に生まれ、兄共々可愛がられ。
学校に行ったり、遊びに行ったり、友達を作ったり。
そして、運命の人に出会った。
彼が居なければ、今の自分は居ない。
ユフィリアのを造ったのは、彼なのだ。
「……私は、この国を愛しています。
この国で生まれた家族や友人たち。
そして、誰よりも愛しい彼。
彼らが生まれたこの国を、愛しているのです」
「……その国が、自分の大切な人を奪ったとしてもか?」
哀しそうに目を伏せ、男は問う。
その問いは、彼の迷いを表していた。
「恨みも、妬みもするでしょう。
哀しくて、苦しくて、壊したいほど憎いでしょう」
『娘を奪ったこの国を、赦してはおけない』。
彼のその想いは痛いほど分かる。
愛した者と永遠に会えなくなってしまうことは、代用することのできない辛いことなのだ。
夢の中の『彼』。
いくら求めても、『私』が会えない人。
レイフォードは、『彼』の代わりにはならない。
ユフィリアが『私』であっても、彼がユフィリアの運命だとしても。
それは、あり得ないことだ。
目の前の復讐者は、ユフィリアとエヴァリシアを重ねている。
ユフィリアの言葉を、エヴァリシアの言葉としている。
しかし、死者の代わりなんて居ない。
大切な人であるならば、尚更だ。
自分の意志を、死者の意志としてはいけない。
だからこそ、ユフィリアは彼を否定しなければいけなかった。
「それでも、私は愛します。
何故なら、私の愛した人々がこの国を愛しているから。
愛した人々が愛しているものを、壊したくないから」
──だから私はこの国を、この世界を愛すのです。
心の底から絞り出す。
本当は、貴方もこの国を愛しているのではないのか。
そう、訴えかけるように。
ふらりと、男の足取りが揺れた。
「……わたしは、まだこの国を……?
いや違う、違うんだ。
愛しているはずがない、愛せるはずがない!
わたしはずっと、この国を憎んで来たのだ!
エヴァの復讐をするために!」
「……役を羽織るのも、いい加減にしていただけますか?
お粗末な演技は、見るに堪えます」
迷い続ける男。
その姿は、どこかあの少年に似ていた。
下手くそな演技で、誰かのために役を演じ続ける。
彼らは、役を脱ぎ捨てられない。
その役は、大切な人への執着そのものであるから。
愛が形を変えたものであるから。
なら、どうすれば君を救えるだろう。
答えは、案外単純なのだ。
「そんなものより、貴方が演じたい役を演じれば良いではないですか!
似合わない悪役よりも、心から成りたい役を!」
「……解ったような口振りで!
君に、いったい何が解るというのだ!」
冷静な男が見せる激情。
羽織っていた役から見えた、彼の素。
蛹を剥がすまで、あと一歩。
「解りませんよ!
貴方のことなんて、一つも知らないのですから!
けれど、貴方が心から復讐を望んでいないことは解るのです!」
「……わたしが復讐を望んでいない?
そんな言い掛かりは止めてもらおうか!
わたしはエヴァを殺した国を、壊さなければいけないのだよ!」
『壊さなければいけない』という言葉。
彼にとっては、無自覚で何気ない一言だったかもしれない。
「──それは、貴方自身の意志ではなく、愛する者としての義務感からではないのですか?」
しかし、確かに己の意志と反していることが見て取れたのだ。
「……そんな、はずは……。
わたしは、自分の意志でこの国を……」
男は頭を抑え、再びよろめく。
核心を突いたユフィリアの言葉に動揺して。
今しか、ない。
「なら今、ここで再び宣言してください!
辿り着いた、貴方の真実を!」
「……わたしは、わたしは……!」
抑えきれない激情のまま、彼は走り出した。
手には黒い液体に濡れた短剣。
その切先は、ユフィリアに向けられていた。
時間切れ。
死は、どうしてもユフィリアを連れて行きたいらしい。
目蓋を閉じる。
いずれ来るであろう痛みに備えて。
頭の中を、思い出が駆け巡る。
ユフィリアを溺愛する父。
そんな父を叱りながら、愛してくれる母。
少し抜けているけれど、優しい上の兄。
真面目で、けれど清濁併せ呑む下の兄。
使用人や、友だちの皆。
親友で、恋敵のテオドール。
そして、愛するレイフォード。
ユフィリアの想い人。
彼と結んだ指。
彼と触れ合った熱。
まだ、身体に刻まれている。
──約束、絶対に守るって。そう、言ったのになあ。
しかし、その約束は果たされることはない。
死んでしまえば、会うことは出来ないのだから。
凶刃が迫り来る。
ユフィリアの生命を奪おうとする。
怖かった、逃げ出したかった。
けれど、ユフィリアは立ち向かった。
それは、恐らく『死』と向き合いたかったから。
彼と同じように。
レイフォードは、自分が死ぬと分かっていても逃げ出さなかった。
その運命に抗って、そして受け入れた。
ならば、私も精一杯抗って。
それで、どうしようもなくなったならば受け入れようじゃないか。
その結末がどうなろうと、私はやりたいように演じる。
彼と同じ舞台に立つ。
演者は、最期まで舞台に立って演じるものだから。
終幕の後、舞台挨拶まで演劇は終わらない。
ユフィリアという役の終わり。
短剣に刺され、生命を落とす。
さあ、来い。
演じてやろう、演じてみせよう。
悲劇の登場人物というものを。
しかし、痛みはいつになっても来ない。
不思議になって、目を開けた。
「──なん、で……?」
青を貴重とした礼服。
ユフィリアとそう変わらない背丈。
男にしては長めの月光色の髪。
蒼空を映した異色虹彩。
「……ごめん、遅くなった」
そこにいたのは、ユフィリアの愛する者。
レイフォードだった。




