十四節/3
空いていた互いの距離が一気に縮まり、その分顔も近くなる。
息が当たるほどの至近距離だ。
レイフォードの視界はある一つだけに染まっていた。
月光を宿した、大きな菫青色の瞳。
それは、宛ら宝石のようであった。
薄く薔薇色に色付いたユフィリアの唇が動く。
その唇と喉が発する音は、レイフォードの鼓膜を心地良く揺らした。
「──君に会いに行くため。
君に会って、私の気持ちを伝えるために行く」
言葉にならない声が、咄嗟に出た。
絶対違う、絶対に違うと分かっているのに。
その言い方は、言い回しはまるで──告白みたいじゃないか。
頬が林檎のように赤く染まっていることが、自分でも分かった。
思わず、掴まれていない方の手で顔を隠す。
「……レイ、どうしたの?」
「……あの、ちょっと……告白みたいだなって思っちゃって……」
瞬間、ユフィリアの頬も紅潮した。
どうやら、無自覚だったようだ。
無自覚であそこまで言ってしまうなんて、自分じゃなかったら絶対に勘違いされてしまう。
レイフォードは、自身を棚に置いて、そう思った。
「……ごめん、嫌な想いさせたかも」
「全然、そんなことないから!
どっちかといえば、嬉しい……し……」
墓穴を掘ったと尻窄みしながら、レイフォードはユフィリアの謝罪を否定する。
その通りではあるのだが、些か。
いや、大分気恥ずかしい。
恋愛経験なんて一度も──彼の記憶は除く──したことがないレイフォードに、耐性なんてあるわけがなかったのだ。
それは、ユフィリアも同じだった。
しかし、気不味くなりながらも一粍も離れないのは、仲が良過ぎるからか。
それとも、また別の理由があるのか。
深呼吸をして、レイフォードは拍動を落ち着かせる。
そして、大きく息を吸った。
ユフィリアの言葉を返すために。
「……待ってる。
待ってるよ、ユフィのこと」
これが、今の精一杯。
これ以上は、色々とぼろが出そうだった。
「……本当に、待っててくれる?
居なくなったりしない?」
「しないよ、ちゃんと待ってるから。
……だから、必ず来てね」
レイフォードの返答を聞いたユフィリアは、不安そうに聞き返す。
約束を破ったことがあるから、また破られてしまうのではないかと思っているのだろう。
「……小指、出して」
彼女の言う通り、小指を出す。
白手袋に包まれた手ではなく、それを外した素肌で。
細く靭やかな指が、レイフォードの指と絡まった。
解けないようにしっかり結び、二人は約束をする。
──今度は、絶対に破らないでね。
なんて、幼い子ども染みた約束を。
ぱっ、と指を離す。
契約履行の合図だった。
長い白髪と礼服の裾を翻し、ユフィリアは振り返る。
「私の話は、これで終わり。
……楽しかった、久し振りに話せて」
レイフォードに背を向けたまま、彼女は話し続けた。
振り向いてしまうと、ずっと一緒に居たくなってしまうから。
新年会は、まだまだ続く。
ずっと一緒に居よう、なんて言えない。
ユフィリアにはユフィリアの、レイフォードにはレイフォードの役目がある。
「じゃあね、また今度!」
「……また今度」
最後に少しだけ顔を見て、手を振って。
ユフィリアは会場に戻って行く。
彼女の髪には、レイフォードが贈った蒼空色の平紐が目立つように編み込まれ、結い上げていた。
一人になった露台で、レイフォードは背中を柵に預け、空を見上げた。
変わらない星月。
絵本のように、虚構のように美しい。
────喩え、喪った哀しみや辛さがあったとしても、私は憶え続けるよ。
憶え続けていれば、その人は永遠に生き続ける。
だから、忘れたくない。
それは、あの夜の答え。
ユフィリアの想い。
「……ごめん、ユフィ」
それを、僕は踏み躙る。
ただの自己満足だ。
彼女の中に、自分を遺したくないから。
彼女を哀しませるのが、嫌だから。
だから、レイフォードは何を犠牲にしても君の記憶から消える。
独り善がりなのは分かっている。
それでも、君に笑っていてほしい。
希望と幸福に満ちた世界で、永遠に。
届かない月に手を伸ばした──その刹那、身体中に痛みが迸る。
「……あ、れ……何で……?」
立っていられず、その場にへたり込んだ。
激しい頭痛、内側から破裂しそうな肉体。
レイフォードは、この感触に憶えがあった。
二年前、祝福の儀で過剰症を発症した瞬間。
比べるとまだ弱いが、同系統の痛みであった。
「……そんな……!
いや違う、早すぎる…!」
もう、〝眼〟は視えない。
肉眼だって、超至近距離でしか分別出来ないほど視力が落ちている。
だから、自分で確認することは出来ない。
けれど、これは消失の前兆ではない。
勘が、そう告げていた。
「なら、いったい何が……?」
その答えは、直ぐに見つかった。