十三節〈愛に狂え、己が己であるために〉
視線の先には、一人寂しく立つ少年。
見慣れない礼服に身を包み、居心地悪そうにしている。
こうしてみると、やはり彼の雰囲気はどこか浮世離れしている。
少女のような風貌。
触れれば溶けてしまいそうな儚さ。
目を引く容姿であるからか、滅多に世間に姿を表さない物珍しさからか。
彼に注がれる視線は、普段の比ではないだろう。
だが、話し掛けようとする者は居ない。
全員が彼の纏う雰囲気に萎縮しているからだ。
将に『高嶺の花』、『遥か空に浮かぶ月』。
自分の見立ては間違っていなかったのだ、と二年越しに実感する。
そんなユフィリアも、大勢と変わらず彼を眺めるだけであった。
話し掛ける勇気がない。
何と話し掛ければ良いのか分からないのだ。
昨日までの意気込みはどうしたと言われそうだが、それとこれは話が別だろう。
どれだけ自信があっても、本番前には落ち込むものだ。
しかし、早く手を出さないと先を越されてしまう。
なのに、足は竦む。
────君が嫌い、だから。
頭を反芻するのは、あの時彼が放った言葉。
嘘だと分かっているのに。
また言われてしまったらどうしよう、なんて尻込みしてしまう。
ユフィリアは溜息を吐いた。
「そんなことをしていると幸せが逃げてしまうぞ、ユフィリア」
「……オスカー様ですか、ご無沙汰しております」
来たな、嵐。
心の中でそう思いつつ、表面上は礼節を持って接する。
「そんなに畏まらなくても良い。
いずれは私の妻になるのだから」
「……ですから、そんなつもりはございません。
私には心に決めた方が居りますので」
決して顔に出さないようにしながら、きっぱりと断る。
このような輩は、曖昧な返事をどう受け取るかが分からない。
避けられる騒動は避けるべきだ。
「連れないな。
そんな貴方だからこそ、私は惚れたのかもしれない」
うわ気持ち悪い、と思わず零れそうになり、手で口を塞いだ。
オスカーはそれに気付かない。
髪をかき上げ、腕を広げ。
自信満々に話を続けた。
「見てくれ、磨きに磨いた私を!
これならば、貴方の心を振り向かせられ──」
「すみません、無理です」
「──……なん……だと……」
膝から崩れ落ちるオスカー。
塵を見るかのようなユフィリア。
世間一般的には、オスカーは絶世の美丈夫であるだろう。
麦穂のような黄金色の髪も、夏の青空のような瞳も。
まるで絵本から出てきた王子様のようだ。
しかし、ユフィリアには響かない。
何てったって彼女の心は、レイフォードという月に狂わされてしまっているのだから。
ぽっと出の男に靡く隙間などないのである。
「……諦めるものかあ……!
私は貴方を一目見たときから、貴方を一時も忘れられぬほど愛しているのだ……!」
「うわ、気持ち悪い」
亡霊のように揺らめき、心ここに無くと笑い、立ち上がるオスカー。
ユフィリアの呟きは聞こえていないようだ。
着崩れた衣服を直し、平常を取り戻そうとするオスカーだが、肩はまだ震えている。
そこまでして虚勢を張り続けられるのは、少しだけ尊敬に値する。
雀の涙ほどだが、ユフィリアは思った。
「……しかし、それほどまでに貴方を魅了する男というのを一目見てみたいものだな」
「居ますよ、あそこに」
「え、居るの?」
素を見せる彼は、ユフィリアが指し示す先を見る。
不自然に拓いた空間、そこに佇む一人の少女。
否、少年。
目を疑うほどだが、確かにそれは少年だった。
その少年とユフィリアを何度も視線が往復する。
そして、オスカーは理解した。
自分の本当の心を。
天に拳を突き出し、宣言する。
「楽園は、ここにあったのだ……!」
「何言ってるんだろうこの人……?」
昨年と同じく、またもや困惑するユフィリア。
オスカーの突飛で錯乱した言動は、一回二回で慣れることはない。
それは周囲も同じようで、視線を嫌が応にも集めていた。
「あの……オスカー様……?
いったいどうなされたのです……?」
「すまない、ユフィリア。
いや、我が天使の片割れよ。
楽園を見つけたことで、少々興奮してしまったのだ。
許していただきたい」
「……はあ……?」
全く理解出来ない。
『天使』や『楽園』などという意味の分からない言葉を口走るオスカーは、正気には見えなかった。
「して、天使よ。
何故あの天使と離れ離れになっている?
貴方達は二人で一つなのではないか?」
はっ、と息が詰まった。
こんな狂人に図星を突かれてしまったのだ。
「……何のことだか」
「ふむ? 貴方は彼を愛しているのだろう。
それならば彼の隣にいた方が良いのではないか?」
「……それ、は」
居たい、居たいとも。
胸が張り裂けそうなほど、ユフィリアはそれを願っている。
それでも行動に移せないのは、彼の言葉が脳裏に過ぎって仕方がないから。
そうだ、ユフィリアはこの機に至って怯えているのだ。
彼にまた、拒絶されてしまうことを。
「……貴方は怖くないのですか、自分が拒絶されることが」
「それを貴方が聞くのか……?」
それもそうだ。
発言した後で、ユフィリアは思い返す。
この男は、何度断っても諦めずユフィリアに言い寄っていた。
「……まあ、怖くないといえば嘘になる」
「……あれで?」
「あれでも、だ。人とは臆病な生き物であるが故に、な」
オスカーは深呼吸をする。
そして、大きく息を吸い、静かに語り始めた。
「だが、そんな臆病さも愛の前では取るに足らない。
臆病さは有限であるが、愛は無限だ。
無限に広がる空の中では、石ころ一つあったって意味が無いだろう?
そして、その愛さえあれば私は私で在り続けられる。
小さな石ころではなく、広大な空として」
子どもに言い聞かせるように、彼は続ける。
「だから、私は愛に生きるのだよ。
私が『私』であるために、な」
「……私が私であるために」
復唱したその言葉が、すっと心に馴染んだ。
足りなかった勇気が補わられるように。
「さあ、行こうか」
「……えっと、どこに?」
「決まっているだろう、彼の元さ!
……足りなかったものは、もう手に入れたようだしな」
肩にぽん、と手を置かれた。
そのまま掴まれ、ほぼ半回転しとある少年を正面に見据えられる。
「いえいえいえ、まだ無理です!
心の準備が──」
「問答無用!」
押し込まれるように背を押される。
六歳の少女が九歳の少年に力で敵うわけもなく、抵抗虚しくユフィリアは差し出されてしまう。
「よし、そういうことで私は帰る」
「『そういうことで』、ではないですよ?!
ああ、ちょっと……!」
逃げ足速く、オスカーの姿は見えなくなる。
残ったのは戸惑うユフィリアと、逃げ出そうとするレイフォードだけ。
「……もう、腹を括るしかない!」
そう決めると、ユフィリアは迅速だった。
そろりそろりと逃げるレイフォード。
歩き、かつ走ることで彼との距離を詰める。
その肩を抱き、捕らえた。
「……ねえ、少しおはなししない?」
有無を言わさず、ユフィリアはレイフォードを連れ去る。
人の居ない露台へと。
因みに、後からユフィリアの様子を聞くと『怖過ぎて逆らう気なんて一つもなかった』らしい。
愛は人をおかしくさせるようである。




