十二節/2
やがて、フィンステット伯爵は、初めと変わらないにこやかな顔で去っていく。
商談は上手く纏まったらしい。
シルヴェスタに、若干疲れた雰囲気が滲んでいた。
キャロラインへの挨拶は、最後の侯爵家──レンティフルーレ家まで進んでいた。
ディルムッドに、その妻のカシムと息子二人。
そして、ユフィリア。
雪原のように真っ白な髪は、普段とは異なるように結い上げられている。
髪を結い上げている平紐が、蒼空色であったのは見ていない振りをした。
彼らの挨拶も終わったようで、一礼をして離れていく。
その入れ替わりで、二人が擦れ違った。
隣すれすれを、ユフィリアが歩いていく。
しかし、レイフォードは彼女を見ようとしなかった。
一目見てしまえば、決意が綻んでしまうかもしれなかったから。
ユフィリアは何か言いたげに瞳を揺らしたが、レイフォードがそれに気づくことはなかった。
そうして、レイフォードたちはキャロラインの前に立つ。
四十代だというのに二十代後半に見える美貌は、彼女の凛々しい雰囲気も相まって強烈な威圧感を放っていた。
「イスカルノート閣下、お招きいただきありがとうございます」
「元気そうで何よりだ、アーデルヴァイト卿。
始めに言った通り、今日は宴だからな。
選りすぐりの料理に会話、十分に楽しむが良い」
大胆に、しかし上品に笑うキャロライン。
蠱惑的な仕草に、思わず視線が集まる男も多い。
生憎シルヴェスタはクラウディア一筋であるし、アニスフィアはそういうことに疎い。
レイフォードは言わずもがなだ。
「……さて、レイフォード。近うよれ」
手招きされるまま、歩み寄る。
見上げた彼女の顔は、愛おしさと哀しさが混ざっていた。
「……すまないな。私はお前に、何もしてやれなかった」
「……いいえ、閣下のお力添えで得られたものはありました。
決して、自分を卑下なさらないでください」
白い長手袋に包まれた指が、レイフォードの頬に触れる。
目元から顎先をなぞるように。
深海のような藍色の瞳が、少しだけ潤んだような気がした。
「……ああ、いつになっても才能の原石が喪われることは哀しいものだ。
だが、それも運命。
お前が幸せであることを願っているよ」
「……ありがとう、ございます」
するりと頬から肩に移る手。
それは、レイフォードの背を押す。
「いつか、また会おう」
最後に、そう言って。
振り返らずに家族の元に戻る。
もう、用は済んだのだから。
そうして、他と同じく礼をし、その場を去った。
「……良かったのか、あれで」
「良いんです。
……これ以上話しても、辛い思いをさせてしまいそうなので」
シルヴェスタの問いは至極当然である。
レイフォードとキャロラインは、年の離れた友人。
或いは、研究者と研究対象。
そして──未亡人と、亡き夫の面影を遺す者だった。
ルーディウス・アーデルヴァイト。
またの名を、ルーディウス・イスカルノート。
シルヴェスタの兄であり、レイフォードの伯父である男。
つまり、キャロラインはレイフォードの伯母であったのだ。
これを知る者は、今はそう多くない。
そもそも、二人は正式な夫婦ではあったが、表にはされない関係だった。
それは、ルーディウスの余命が残り僅かであったから。
それでも、とキャロラインはルーディウスと共にいることを望んだ。
そして、十六年前。
ルーディウスは死んだ。
一人の女と、子どもを遺して。
────お前は、よく似ているよ。
忘れられるものか。
自分の手を取って、流した彼女の涙を。
また、キャロラインは喪う。
自分が愛した者を。
だが、それを受け入れた。
強いのだ、彼女は。
だからこそ、レイフォードは振り返らない。
彼女の意志を無下にしないためにも。
「……父上、少し疲れてしまいました。
僕は壁際で休んでいます。
御用がありましたら、直ぐに呼んでください」
そうして、家族と別れ、レイフォードは一人壁際に佇む。
明るく輝く周りから逃げるように。
何も知らない者たちに悟られないように。
強い光が作り出す影に隠れながら。




