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十節/3

 あの日、あの戦場で。

 クラウディアは、ルーディウスの命が潰える瞬間を見ていた。


 切っ欠けは、ある魔物。

 それらは転移能力を有しており、自他を移動させることができた。

 前線で騎士が戦っていた大群。

 その一部が一気に後衛に雪崩込んだのだ。


 当時、後衛に居た者の殆どは怪我人や志願兵。

 正規兵は、十人ほどしか居なかった。

 勿論、シルヴェスタやクラウディアもここに居た。


 突如現れた魔物たち。

 どうにか野営基地には通さないように、戦える者たちは善戦した。

 幸運だったのは、現れた位置は基地から離れており、また事態にいち早く気付いた騎士の一団が後衛に戻ってきたことだ。

 ルーディウスは、その一団の一人だった。


 想定していたよりも被害は小さく、死者は出ずに済んだ。

 そう、思われていた。


 大量の魔物。

 その本当の目的は、陽動だったのだ。

 強敵を押し退けたと油断した人々を、背後から刺し殺すための。


 鮮明に憶えている。

 結界を張り直そうと一人でいたシルヴェスタ。

 手伝おうと声を掛けたクラウディア。

 彼が声に応じて振り向いた瞬間、背後に現れた魔物たち。


 危ない、と叫んだ。

 間に合わない、と嘆いた。


 そして、魔物の攻撃がシルヴェスタの首を刎ね──なかった。


 視界が真っ赤に染まる。

 ばたりと何かが倒れて、ころりと何かが落ちた。

 それは、シルヴェスタが最もよく知るもので、失い難いものだった。

 


 ────あに、うえ?



 呟いた声は、もう届かない。

 だって、彼は。

 ルーディウスは、死んでしまったのだから。


 シルヴェスタは、それを理解してしまった。

 だから、呑まれてしまった。

 彼を殺した魔物を殺せと叫ぶ激情に。

 恩讐の炎に、心が焼かれてしまったのだ。


 そこからは、一方的だった。

 何度も何度も魔物が送り込まれ、何度も何度も白い炎が灼き尽くす。


 どれだけの時間が経ったのだろう。

 気付けば、厄災はイヴの手によって討伐されていた。

 

 結果的に、死者は百八人。

 戦闘規模に対しては、かなり少ない被害だ。


 けれど、シルヴェスタの心には深く傷が付いてしまった。

 本来、彼は戦場に向かう立場ではない。

 それでも彼があそこに居たのは、その強大な力を有用とされたからだ。

 でなければ、次期領主という資格を持つシルヴェスタはそこに居られない。


 つまり、ルーディウスが死んだのは。

 全て、シルヴェスタのせいだったのだ。


 彼がそこに居なければ、ルーディウスは死ななかった。

 今もまだ、生きているはずだった。


 どれだけ言い訳をしても、ルーディウスを殺したのはシルヴェスタなのだ。


 終戦後、彼は度重なる自傷を見兼ねられ拘束されていた。

 自殺ほど酷く無いとはいえ、このままではいけない。

 クラウディアは、シルヴェスタと幾度も会話を試みた。

 

 だが、返事はない。

 ずっと虚ろな瞳で、俯いたまま。

 ある意味、自我喪失状態だったのだ。


 それから、一月ほど立った頃だろうか。

 『シルヴェスタの、ルーディウスに関する記憶を消去する』と、ヴィンセント王太子殿下から直々に書状が届いたのは。


 ヴィンセントは、シルヴェスタやクラウディアと親しかった。

 だからこそ、摩耗したシルヴェスタの姿を見て、心を痛めていた。

 自分に何かできることはないのだろうか、と。

 

 何度も話し合いを重ねた。

 記憶を消す以外の方法は無いのか、なんて皆が口々に言った。


 だが、全て駄目だった。



 ────全責任は、私が負う。



 ヴィンセントは前を真っ直ぐ見据えて、そう話した。



 ────いいえ、ヴィンセント殿下。

 私たちにも背負わせてください。

 これは、皆で負わなければいけないものなのです。


 

 そして、その翌日。

 シルヴェスタの中から、ルーディウスという存在は消えた。


 雨がざあざあ降っている。

 少し分かりにくいけれど、硝子の外には夕闇が広がっていた。

 星は、今日は見えない。

 厚い雨雲に覆われていて、光が地上に届かないのだ。


 窓に触れる。

 手の熱で暖められた箇所が外気で冷やされ、白く曇った。

 そのまま、こつりと額を当てる。


 冷たい。硬い。

 思い出してしまう、彼の温度を。

 

 震える喉。微かに息を吐く。

 似ているのだ、レイフォードは。

 シルヴェスタよりも、彼に。

 ルーディウスに。

 

 性格とか、見た目とか、そういうことではなく。

 『在り方』が似ていた。

 自分の大切な人のためなら、命を懸けることも、手段も厭わない。

 そんな在り方が。


 シルヴェスタは知らない。

 ルーディウスがずっと、彼のために何だってしていたことを。


 シルヴェスタは知らない。

 ルーディウスがクラウディアに掛けた言葉を。



 ────なあ、クラウディア。

 俺は、シルのためなら何だってできる。『お兄ちゃん』だから。

 でも、ずっと一緒には居られない。いつか、終わりは来るものだ。



 星が輝く真夜中。

 緊張で眠れなかったクラウディアと、夜番だったルーディウス。

 二人だけしか知らない約束。


 

 ────もし、俺がいなくなったら。

 あいつを、よろしく頼む。



 そう言った彼の目は──『死』を覚悟していた。


 クラウディアは知っている。

 レイフォードが近い内に息絶えることを。


 クラウディアは知っている。

 シルヴェスタが、あの時の自分たちのように、レイフォードに関する記憶を消そうとしていることを。



「……忘れたく、ないよ」



 ああ、でも。

 これは、罰なのだ。

 自分たちがシルヴェスタにしたことが、そのまま返ってきただけなのだ。

 自分たちの都合で、『ルーディウス』という彼の大切な人を奪ったことへの。

 

 

「……私たちは、どうすれば良かったの……?」



 どれだけ訊いても、答えが帰ってくることはない。

 静かな廊下に、ただ声と雨が響くだけだった。


 雨が上がることはない。

 だから、空が澄むことはない。


 雨が上がることはない。

 だから、虹が架かることはない。


 澄んだ空(シルヴェスタ)架かる虹(クラウディア)

 二人の罪が赦される(あめがあがる)日は、いつ来るのだろう。






 愛している。愛していた。

 どれだけ異端であっても、二人は愛し続けていた。


 シルヴェスタと同じ、白と蒼の異色虹彩(ヘテロクロミア)

 クラウディアと同じ、淡い金色の髪。

 どこから見ても、誰が見ても。

 それは、二人の子どもだった。


 喩え、異端であっても。

 本当の(・・・)自分の子でなくても。

 我が子を愛さない理由にはならなかった。

 そもそも二人だって、どちらかと言えば異端側であったのだから。


 ああ、愛しているのだ。忘れたくないのだ。

 死んだことも、悲しかったことも。

 全て、憶えていたいのだ。


 だが、その声はもう届かない。

 いや、口にすることが出来ない。


 何故なら、開演中は私語厳禁。

 ただひたすらに、演者を見ることしか許されていないからだ。


 感想は終幕後に。

 その演劇を憶えているとは限らないのだけれど。

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