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十節/2

 微睡みの中、誰かの声が聞こえた。



 ────シル、そんなところで寝ていたら風邪を引くぞ。



 誰かが自分の名前を呼んでいる。



 ────こら、あんまり身体が強いわけじゃないんだから。

 この前だって、サーシャに散々叱られていただろう。



 柔らかくて、温かい声。

 とても、落ち着く声。



 ────仕方ないなあ。けど、まあいい。

 俺は、お兄ちゃん(・・・・・)だからな!



 『兄』を名乗る男。

 とてもとても、大切だったはずの人。


 でも、知らない。憶えていない。

 シルヴェスタの記憶に、そんな者はいない。


 ああ、貴方はいったい誰なのだろう(・・・・・・)






 はっ、と目が覚めた。

 痛む頭を抑えて起き上がる。

 そこは、記憶の最後にあった執務室ではなく、自室だった。


 衣服は緩められ、丁寧に掛け布(シーツ)が掛けられている。

 大方、執務室で意識を落としていたシルヴェスタをここに運んだのだろう。

 最近、やらなければいけないことが多すぎて寝る暇もなく働き続けていた。

 その無理が祟った結果がこれ。

 クラウディアにも、オズワルドにも、サーシャにも。

 叱られることは、確定だった。


 だが、今は仕事をしなければ。

 あの子の望みを叶えなければ。


 重い身体を引き摺るように立ち上がる。

 眩暈が酷く、また倒れてしまいそうだ。


 よろよろと千鳥足で、何とか扉の前に辿り着く。

 これで扉の先に誰か居たらお笑い──。



「……ねえシル、何をしようとしているの?」



 扉を締める、速攻締める。

 外には鬼が居た。シルヴェスタが決して勝てない、鬼が。


 こんこん、扉が小突かれる。



「……クラウディアです、入っていいかしら?」



 沈黙。シルヴェスタは察していた。

 開けてしまえばただでは済まない、と。


 ならば、籠城するしかない。

 入れなければ、彼女も諦めてくれるはずだ。

 多分、きっと。



「……聞こえないのかしら?」

「すみませんでした」



 だが、その考えは儚くも打ち破られた。

 どれだけ歳を重ねても、妻には逆らえない。



「あら、どうしてそんなところにいるの?

 何でここにいるか、分かっているはずよね?」

「……重々承知しております」



 微笑みと見合わない圧力。

 有無を言わさぬその態度に、シルヴェスタは萎れた花のようになる。



「なら、どうするのがいいかしら?」

「……休みます」

「よろしい」



 まるで、首輪を繋がれた犬。

 飼い主の命令には逆らえない従僕だ。


 寝台(ベッド)に舞い戻ったシルヴェスタ。

 その脇に座るクラウディア。



「その、クラウ?

 そんなに心配しなくても俺は大丈夫だぞ……?」

「嘘ね、本当に下手くそなんだから。

 大体、何年の付き合いになると思っているの?

 貴方の事は全部分かっているわ。

 寝るまで、ここにいるからね」



 何も反論できず、シルヴェスタは押し黙る。

 情けないことに、根を詰め過ぎてクラウディアに強制的に休ませられることは数え切れないほどある。

 クラウディアは自分の限界値を把握して、要領良くやっているからそんなことはないのだが。



「もう、本当に仕方のない人」



 呆れて笑いながら、クラウディアはシルヴェスタの頭を撫でる。

 癖っ気のある、白銀色の髪。

 気を許した相手には、大人しく撫でられる彼の姿。

 本当に犬みたいだと、何度思ったことだろうか。



「……なあ、クラウ」

「どうしたの?」



 伏せていた白と蒼の瞳が、緩く開かれる。

 隠されていたそれは、揺らいでいた。

 迷っているのだろう、本当に話していいのかと。



「……いいのよ、話して」



 抱え込み、思い詰め過ぎる彼のことだ。

 頼れるときに頼ってほしい。

 壊れてしまってからでは、もう遅いのだから。



「……俺の兄は。

 ルーディウスは、どんな人だったんだ?」



 クラウディアの動きが、石のように止まる。

 何か言おうと口を動かして、だけれど何も言えなくて。

 数秒の後、一言。



「優しい、人だった」



 それだけ、話した。


 シルヴェスタは兄について、記録上のことしか知らない。

 ルーディウス・アーデルヴァイト。

 シルヴェスタたちより三歳上。

 中央の高等学校に入学し、騎士科を卒業。

 その後、王都騎士団に入る。

 門番を務めるセリアーノは、彼の同期で友人だったと聞く。


 そして、十六年前の厄災討伐戦において殉職。

 享年二十一歳であった。



「……みんな、ずっとそれしか言わないな」



 こうやって、彼のことを問うのは初めてでは無かった。

 兄がいたと知ったとき、シルヴェスタは父や母、彼を知るであろう人々に只管(ひたすら)聞き込みをした。 

 彼はいったい何者なのか、と。


 だが、帰ってくる答えは決まって『優しい人だった』とだけ。

 それ以上、話すことはない。


 恐らく、口止めされているのだろう。

 当時の状況を知る者に。



「あの時、何があったんだ?

 どうして俺は、忘れているんだ?」



 憶えていなければいけないはずなのに。

 知らなければいけないはずなのに。



「……ごめんなさい」



 やはり、望む答えは得られなかった。



「……そうか……仕方ない、な」


 

 シルヴェスタは目を瞑る。

 これ以上、彼女を拘束してはいけない。

 不快にさせてしまった分、取り返さなくては。


 クラウディアは俯いたまま、語り掛ける。



「……いいの?」

「……ああ。

 君が隠すということは、それ相応の理由があるのだろう。

 俺にだって君に言えないことがある。

 ……だから、お互い様だ」



 シルヴェスタだって、大切なことをクラウディアに伝えていない。

 レイフォードの運命を、決断を。

 その先どうなるかを、何一つとして。


 シルヴェスタも、クラウディアも互いを責める権利は無かった。



真実(ほんとう)を教えられたなら、どんなにいいことか……」

「……ままならないものだ。割り切るしかないさ」



 そこから十数分、二人は無言で居た。

 ただ静かに、ただ側に。

 

 やがて、規則正しい寝息がクラウディアの耳に届く。



「……ごめんなさい」



 彼の顔に掛かった長い髪を払って、クラウディアは立ち上がる。


 もどかしい。

 全てを知った上で、何も伝えられないというのは。

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