九節/2
一か月、三か月、半年、一年が経ち、レイフォードは六歳になった。
例の病は一向に治療法が見つからず、彼が学校に行くことは出来なかった。
唯一の救いは、共に学んでくれるテオドールが居たことだ。
テオドールは始め、レイフォードとは別に学習をしていた。
レイフォードと比べ、テオドールの能力は大幅に下回っていたのだ。
彼の境遇を考慮すれば当然だった。
『外』の差別は凄まじい。
生きているだけでも幸運なのだから。
ただ、テオドールの成長は目まぐるしいものだった。
一か月もすれば辿々しいながらも会話ができるようになり、三か月目には術具無しでも潤滑な会話が可能になった。
そうして、テオドールもイヴの授業に加わった。
始めはイヴとレイフォードの会話に混乱している様子だったが、数日もすれば慣れたようで割り込んで来るようになった。
テオドールも、レイフォードとは違う方向で才能の塊だったのである。
彼と違い、テオドールはかなり運動が出来たため、早い段階で武術を知識だけではなく、実践的に仕込めたのは僥倖だった。
学校帰りのリーゼロッテに試合を吹っかけられるのを気の毒に思いつつも、彼女は対戦相手としてこの上なく優秀な相手である。
レイフォードも素振りくらいは出来るようになったが、それでも組み手などは難しい。
テオドールの技術を伸ばすためには、絶好の機会だった。
また、テオドールは精霊術にも才能を示した。
先祖返り────精霊を起源とする翼人族の中でも、精霊に特別近しい者────であるからか、精霊無しで術式を発動させることも出来た。
更に、詠唱の省略も難なくしてみせた。
精霊術師でも、出来るものが少ない高等技術。
六歳にも満たない子どもがそれを可能にするのは、将来が楽しみで仕方がない。
そんな特異な能力を持つテオドールだが、彼はまだ『ただの優秀な子ども』の範疇だった。
レイフォードと共に学んでいるから、その差は目に見えていた。
どれだけ優秀でも、『子ども』。
理解が早く、才能があるだけ。
しかし、レイフォードは違う。
あれは、『子ども』じゃない。
大人の思考を、幼児の身体に入れたものだ。
──イヴやシルヴェスタのように。
当事者だからこそ、イヴはその違和感の正体に気付いた。
レイフォードは確実に、『レイフォード』以外の別人の記憶を持っている。
それも、かなり鮮明に。
でなければ、彼があそこまで他の子どもと一線を画して特異である説明が付かない。
一年も観察すれば、その考えは確信に変わっていった。
────なあ、シルヴェスタ。
こう言っちゃなんだけど、あの子どうするよ。
このまま放っておいていいのか?
いつも通り、《転移》の祝福で不法侵入した執務室。
窓枠に腰掛けながら、イヴはそう尋ねた。
レイフォードは、シルヴェスタとクラウディアの息子である『レイフォード』では無い。
恐らく、本当の『レイフォード』の精神はもうどこにもないだろう。
今のレイフォードは、精神が変質した──云うなれば、レイフォードの偽物だ。
────あの子は、本当の『レイフォード』じゃない。
それでもキミは、彼を愛せるのか?
彼も、それは気付いているはずだ。
レイフォードは、『レイフォード』ではないと。
イヴも、シルヴェスタも。
外部からの干渉で、少なくない精神の変質があった。
だが、二人は精神の形成が終わった時期での干渉だ。
だからこそ、自身を喪失することなく今を生きていられる。
その記憶の持ち主と、自分は別物だと理解し納得し、受け入れられている。
しかし、レイフォードはいつ変質したか不明である。
それこそ、生まれた時からだって。
自分の子が、知らない他人に成り代わられているかもしれないのだ。
────……何故、そんなことを訊く?
愛せるに決まっているだろう。
だと、いうのに。
シルヴェスタは、また何でもない顔で答えた。
イヴの質問が心底不思議だ、とでも言うくらいに。
走らせていた筆を置いて、彼は頭を抑える。
────お前が親心というものを良く理解できていないのは知っているが、そこまでだとは……。
確かにイヴに親は──いるにはいるが、碌な親ではないし、あれを親だと思ったことはない。
だから、親心を理解できていないのは当然だ。
だが、シルヴェスタに言われると何か癪に障る。
お前もそう言える立場か、と。
そう反論すると、彼はイヴに振り返って呆れながら教えた。
────親というのは、子どもが何であっても愛するものだ。
どれだけ異質であろうと、どれだけ他と違っても。
無償の愛を与えるものなんだ。
分からない。知らないよ、そんなこと。
膝を抱えて、イヴは呟く。
────……そうだな、お前がマリアを愛しているのと同じだ。
彼女を愛すのに、何か理由や見返りは要るか?
首を横に振る。
マリア、イヴの愛しい人。
彼女のためなら、イヴは何だってできる。
彼女に与える愛には、理由や見返りなんて何も要らない。
ただ愛したいから、愛すだけだった。
────なるほど、ね。ああ、心配して損した。
別に、イヴの心配は何一つ必要なかったようだ。
寧ろ、余計なお世話だっただろう。
シルヴェスタは、もう答えを見つけていたのだ。
自分と違って、彼はレイフォードと向き合えている。
抱えていた膝を伸ばし、床に降り立つ。
背伸びをして、身体を解した。
────……自分の身の振り方を決められたようで何よりだ。
二人が待っているだろう、行ってやれ。
シルヴェスタは鼻で笑いながら、そう口にする。
────はいはい、ありがとうございました。
言われなくても行きますよ。
雑に感謝を述べて、イヴは再び空間を跳んだ。
────先生、おはようございます!
レイフォードとテオドール。
二人が声を揃えて挨拶をする。
────ああ、おはよう。
いつもと、変わらないやり取り。
『教師』であるイヴと、『生徒』である二人の間で執り行われるもの。
この関係は、今後一切変わらないだろう。
────さあ、今年最初の授業を始めようか。
暖かな春の陽射しの中、始業の合図が今日も響く。




