八節〈輝く星は貴方を支えたかった〉/1
ぴきり、と何かが割れる幻聴が聞こえる。
まただ。また、聞こえてしまう。
もう、限界なのだろう。
憎たらしいほど優秀な〝眼〟が、アニスフィアに残酷な事実を突き付ける。
端から端まで、余すところなく罅が入った彼の魂。
詰め込まれた中身が、押さえ付ける器から飛び出そうとしている。
魂は、いつ壊れるか分かったものではなかった。
指先一つ触れてしまえば、今すぐにでも崩れ落ちてしまいそうなほど脆い。
だから、アニスフィアは彼に触れられない。
毀れてしまうことを恐れて、何も出来なかった。
「俺は……どうしたらいいんだろうな……」
妹と並んでも遥かに小さな背中を見て、そう呟いた。
アニスフィアは、あの日レイフォードを一目見た瞬間、その異常性に気が付いた。
明らかに許容範囲を超えた体内源素量。
何度も見間違いであれ、と目を擦って見直した。
だが、それは紛れもない現実であった。
────父上!
レイは……あれは、どうなっているのですか!
父が母との話し合いを終えた時間。
そこを狙って、彼の部屋に駆け込んだ。
────ただの病気だ。
……残念だが、これ以上お前に話せることはない。
しかし、案の定アニスフィアの知りたい情報は引き出せなかった。
父の口振りからして、碌でもないものであるのは確かだった。
恐らく、レイフォード自身の生命を。
そして、王国の根幹を揺るがしかねないものなのだろう。
でなければ、態々隠す必要はないからだ。
アニスフィアはアーデルヴァイト伯爵家の次期当主であるが、特権階級であるわけではない。
将来的にそうであっても、今はまだその権限を有していなかった。
国が定めたことに、貴族は反発できない。
父から情報を聞き出すことは、不可能に近かった。
彼が話せないというのなら、自分で調べるしかない。
我が家の書庫に行けば、病気自体は分からなくても、症例の似たものや対処法などは見つかるかもしれない。
国ぐるみの機密事項であるから、難しいかもしれないが。
────……分かりました。
それならば、一つだけ教えてください。
でも、一つだけ。
確かに彼の口から聞きたいものがあった。
────あれは、治るものなのですか。
一番大切で、一番気になること。
何もわからなくても、結局のところ治れば何でも良かった。
だが。
────……すまないが、俺からは何も言えない。
ああ、それは。
『治らない』と同義ではないか。
酷く思い悩んだように、父は話した。
そこからの記憶は、あまり憶えていない。
執務室から出て、自室まで歩いて、寝台に倒れ込んだ。
何を考えていたのか。
いや、何も考えていなかったのかもしれない。
それほどまでに、アニスフィアは衝撃を受けていたのだ。
──運命付けられた、レイフォードの死に。
治る保障もなければ、治らないという保障もない。
けれど、アニスフィアは予感していた。
あれは、ちょっとやそっとで治るものではないと。
例えるならば、砂浜の中に紛れた小さな金剛石を一日で見つけること。
それと同等の奇跡が起きなければ、あれは治らない。
そう思わせるほど、異常な光景だった。
脳裏に浮かぶ、ある少年の笑顔。
レイフォードは、よく笑う子だった。
大きく円な瞳を細めて、楽しそうに声を上げて。
星のようにきらきら輝く瞳は、眩い光を宿していた。
だと、いうのに。
父に抱えられ、力無くこちらを向いた彼の瞳は。
闇夜よりも深く、そして虚ろであった。
情けないことに、アニスフィアはそれに恐怖を覚えてしまった。
大切な弟が、弟ではない『何か』に成ってしまったような感覚。
得体のしれない怪物、弟の皮を被った人形。
そんなものに成ってしまったのではないか、という怯えが。
アニスフィアは知り得ないが、ある意味それは正しかった。
あの日を境に、レイフォードは今までの『レイフォード』ではなくなった。
名も知らぬ少女の記憶を得て、ずっと持っていた青年の記憶と混ざり合い、区別が付かなくなってしまった。
どこからどこまでが自分の記憶で、どこからどこまでが自分の意志なのか、分からなくなってしまったのだ。
時間の経過と共に、それは重度となっていく。
しかし、それを気付ける者はいなかった。
レイフォードは、『自身はレイフォードである』という嘘を吐き続けていた。
そして、その嘘はレイフォードに近い者であればあるほど、見抜けることは出来ない。
初めからあった違和感を、改めて違和感と感じられる者はそれほど居ないのだから。
────……俺にできることは、何かあるのか……?
天井を見上げ、零す言葉。
調べて知ったところで、未だ子供であり力の無いアニスフィアは何も出来ない。
勉学も、精霊術も、剣術も。
人並み以上には出来ても、秀才の範囲でしか無い。
それこそ、剣術は二歳下の妹にだって負けそうになるほどだ。
彼女が剣の、戦の天才であることは抜きにしても、アニスフィアには力が足りない。
全てを薙ぎ倒し、勝利を掴み取る力が。
天才には届き得ない『秀才』。
それが自他のアニスフィアの評価であった。
父は、勉学も精霊術も最高峰で、領主でありながら精霊術師としての二つ名まである。
母は、植物学の権威にも認められた研究者であり、幼い頃から幾つも成果を出している。
妹は、騎士団でも最強と謳われた男の教え子で、八歳ながら騎士見習いにも引けを取らない。
弟は、子どもとは思えないほど賢く、成長すれば必ず優秀な人になるだろう。
それに比べて自分は、明らかに見劣りする。
天賦の才は無く、成長は頭打ち。
努力はすれど、結果に結び付いていない。
家族以外にも、自分より上の者は多くいる。
過去も含めれば、その数は星にも届くだろう。
では、彼らが解決出来なかった問題を、自分が解決できるだろうか。
否、あり得ない。
世界は、そんなに簡単に出来ていない。
アニスフィアは半ば諦めていたのだ。
知ってもどうにもならないだろうと、知るだけで終わらせ、事実から目を逸らした。
ずっと見ていては辛くなるから、と。
その結果がこれだ。
レイフォードが取り返しが付かなくなるまで、アニスフィアは何一つ出来なかった。
父や母、他にも様々な人間が手を尽くす中、アニスフィアはただ見ているだけしか出来なかった。
追い込まれていく彼らの心を癒やすことも、気付かない振りをし続けている妹から事実を隠すことも。
何も、出来なかった。
無駄に時間を浪費して、ただ日常を過ごして。
そして、もう手遅れになってしまったのだ。




