七節〈照る太陽は貴方を護りたかった〉/1
雪玉を転がす。
ころころ、ころころ。
初めは掌ほどに小さかったはずなのに、今ではもう頭二つ分くらいになっていた。
少しだけ小さい雪玉をもう一つ作って、先程の雪玉の上に載せる。
後は石と枝、予め貰っていた庭園の葉と実を使って顔を作った。
「……よし、完成!」
誰が見ても、自分たちだ。
沢山並べられた雪達磨を眺めて、リーゼロッテは鼻息を荒くする。
今回も、会心の出来だった。
作り続けて早数年、確実に品質は上がってきている。
最初は雪玉をきちんと球状にするのも難しかったが、今は一縷の狂いもなく、完璧な玉を作れるようになったのだ。
大きめに、日陰に作ったことから、一週間は持つはずだ。
後で、皆に見て貰おう。
いつも、褒めてくれる皆。
『上手だね』と笑って、頭を撫でてくれる皆。
これを見れば、最近ずっと暗い顔をしている両親や兄だって笑ってくれるはずだ。
笑ってくれる、はずなのだ。
けれど、本当は分かっていた。
今、彼らを悩ませているのはそんな簡単なことではない、と。
笑ってくれるのは表面上だけで、心の底から笑ってくれるわけじゃない、と。
それでも、リーゼロッテは願うしかなかった。
非力な自分が出来るのは、一人でも多く、一度でも多く、誰かを笑顔にすることだけなのだから。
自分の力は、何の役にも立ったことがないと自覚したのはいつだっただろうか。
曖昧な記憶の中。
思い返そうとしても、漠然とそんな感情を抱き続けていたことくらいしか憶えていない。
ああ、でも。
それらしい切っ掛けは、一つあった。
レイフォード・アーデルヴァイト。
リーゼロッテの唯一の弟にして、庇護するべき対象。
少し生意気で、小賢しいところもあるけれど。
とても、可愛い弟だ。
約二年前、レイフォードはとある病気に罹った。
今日に至るまで、リーゼロッテはそれが何なのか教えてもらったことがない。
気になることはあっても、リーゼロッテ自身教えてほしいと思えなかった。
どうしてか、『それを知ってはいけない』と本能が訴えかけていたのだ。
後悔している、といえば後悔しているかもしれない。
恐らく、両親や兄が暗い顔をしている原因はそれだ。
根拠のない予想ではあるけれど、リーゼロッテは確信していた。
一人だけ、何も知らない。
自分だけ、責任から逃げていると感じることもある。
けれど、こうやって呑気に雪遊び出来るのは。
元気に過ごせているのは、皆のように知らないから。
両親も兄も、リーゼロッテが悩んでいる姿を見たくないからこそ、誰も教えていないのだと思う。
自分でも、そういう複雑で難しいことを考えるのは不得意だと自覚しているのだ。
そんなことをするより、自分が出来て、得意なことをしたほうがいい。
そうして、リーゼロッテに求められた役割は、ざっくり言えば『道化』だった。
いつもにこにこ笑って、不安を感じさせないように振る舞う。
見た人を笑顔にさせて、安心させる。
そうすることが、必要だ。
ああ、分かっている。解っている。
必要性も、論理性も、全部。
リーゼロッテは、一人で踊り続けていた。
皆から離れて、くるくる廻っていた。
そこは、何とも見晴らしが良かった。
邪魔する者は誰一人としていない。
動きを、視界を遮る者は誰一人も。
ある意味、特等席だったのだ。
だからこそ、リーゼロッテは解ってしまった。
同じ役者であったから、『レイフォードも、一人で役を演じているのだ』と。
泣き腫らした顔が分からないように仮面を被って、傷付いた身体が分からないように服を纏って。
誰も居ない舞台の上で、一人演じ続けている。
リーゼロッテから見れば、本当の演者は彼一人だけだった。
皆、ただの観客。
何人かは、舞台装置。
父も、母も、兄も。
彼の友人たちだって全て。
『レイフォード・アーデルヴァイト』という人形の、『一人芝居』を眺めることしか出来ていない。
酷くお粗末な劇だ。
リーゼロッテから見れば、の話ではあるけれど。
この劇は、彼に近ければ近いほどその本質を見抜くことは出来なくなる。
眩しい光を浴びて、輝き続ける彼の姿しか目に入らなくなってしまうのだ。
その点、リーゼロッテはまだ遠い。
何も知らないからこそ、遠い場所にいる。
劇の招待状が届かないくらいに。
でも、そのうち席に着かなければいけないときが来る。
そうしたらもう終わりだ。
リーゼロッテでさえも、あの光に目を灼かれてしまう。
誰も、真実のレイフォードが見えなくなってしまう。
「……いや、だなあ」
避けられない未来だ、と直感的に感じる。
彼の性格からして、席に着かないことは認めない。
無理矢理にでも着かせようとするだろう。
リーゼロッテだって、彼の晴れ舞台が見たくないわけではない。
ただ、『その先』がどうなるか、何となく感じ取れてしまっているから拒んでしまう。
言葉に出来ない。
けれど、確かにそれはあるのだ。
唇を噛み締めた。
だから、難しいことを考えるのは苦手だ。
言葉に出来ないから他人に伝えられない。
解っても、解決出来ない。
「ああ、もう……!」
壁に立て掛けていた剣を握って、力任せに振った。
木剣の刀身が風を切る。
「なんで……! 私は……!」
沈み込んだ剣先が雪を掠めて、冷たい欠片が辺りに飛び散った。
────レイ……?
貴方と初めて会った日。
雲一つない晴天、穏やかな春の日。
────そう。
レイフォード・アーデルヴァイト、リーゼの弟よ。
自分より遥かに小さな手を握って。
母の腕に抱えられた貴方の瞳を見て。
────お母様、私決めた。騎士様になる。
騎士様になって、皆を……レイを護るんだ。
まだ、三歳になったばかりの少女。
とても拙い声だった。
しかし、それでも──一生曲げることのない、誓いだったのだ。
闇雲に剣を振る。
自分を取り巻く糸を払うように。
「私は……私は、レイを護りたいの!」
でも、でも。
それは──もう遅かった。
取り返しの着かないところまで行ってしまった。
リーゼロッテは、レイフォードを護れなかったのだ。
肩で息をする。
よろめいて、雪の上にへたり込んだ。
「……ごめんなさい。何も、出来なくて」
騎士として護ることも、道化として笑わせることも出来ない。
リーゼロッテのちっぽけな力は、何の役にも立たなかったのだ。
木剣を抱いて、一人ぼっちの裏庭で泣き崩れた。
誰も居ないからこそ、吐き出せる本心。
道化の役を脱いだ姿。
誰にも、見られたくない姿だった。




