六節〈夜は貴方を慕い続けたかった〉/1
つい、と軽く人差し指を振ると共にお願いをした。
「〝精霊さん、精霊さん。これを洗ってくださいな〟」
言葉に源素を載せて、そこかしこにいる精霊に呼び掛ける。
身体から僅かに力の抜ける感覚。
宙に描かれる陣。
抱えていた籠に入っていた洗濯物が独りでに浮かび上がり、作り出された巨大な水の玉でくるくる回っていく。
水の玉の中に忘れず洗剤を入れれば、後は待つだけ。
態々水場であくせく洗濯をしなくていいのは、この国で生きる長所の一つだ。
未だ冷たい冬風が吹いた。
積もっていた雪は溶けない朝のうちに使用人総出で片付けたため、少し離れた場所に山となっている。
普段通る道や活動する場所は邪魔になるから片付けたが、裏庭などは基本しない。
そのうちリーゼロッテが遊びに来るからだ。
今日も今日とて、巨大な雪達磨造りに励むのだろう。
毎年品質が上がっていく雪人形は、使用人たちの密かな楽しみであった。
リーゼロッテも、もう十歳になる。
月日の流れとは早いものだ。
ならば、自身ももう直ぐ成人か。
何時もより雲の多い空を見上げた。
少女が『セレナ』と名乗るようになったのは、十年ほど前からだった。
少女は元々アリステラ王国の国民ではない。
同じくこの屋敷で働くとある少年のように、外から来た者なのだ。
ただ一つ違うのは、少女はここに来るまでの記憶を持っていなかった──少なくとも当時は──ということだった。
目覚めたとき、少女は森の中で横たわっていた。
真っ暗な森。月明かりしかない中、ぼろぼろの身体で少女は歩き出した。
『こっちにおいで』と光に導かれながら。
その光が精霊と言うと知ったのは、もう少し後のことだった。
光に導かれるまま少女は森を抜け、また森に入り、そしてあるところまで辿り着く。
そこは、大きな屋敷だった。
塀があって、人が居る。
────■■……■■■■■■■■。
■■■■■■■■■?
門番らしき男が、少女に近付いて来た。
何か話し掛けているようだが、少女は彼の言葉が分からない。
困っていると、光が喋り出す。
────〝『どこから来たの』だって! どこから来たの、どこから来たの!〟
少女は首を振る。
自分がどこから来たのか。
どうして森に居たのか。
何も、分からなかったのだ。
────■■■■■■■■■……■■■■■■■■■■……。
男は腕を組んでうんうん悩む。
この子厄介な事情持ちだ、と察したのだ。
しかし、使用人である自分は今、この子に何もしてあげることはできない。
裁量は雇い主による。
あの人格者な雇い主のことなら悪いようにはしないはずだが、少女は十中八九この国の外の者だ。
長年の経験上、この少女は刺客でも何でもないのは分かる。
だが、雇い主は良くても事情によっては国が赦さない。
少女本人に悪意が無くとも、体内に兵器を埋め込まれていたり、外部から操作されている可能性もあるのだ。
どうやって外の結界を越えてきたのか、という疑問もある。
はてさて、どうしたものか。
見捨てるという選択肢はない。
男は、門番である前に人間だ
子どもにそこまで非情になれなかった。
仕事上やらなければいけないことならまだしも、『殺せ』とも『追い返せ』とも言われていないのだから、少女を助けてやってもいいはずだ。
雇い主に現場指揮は任されている。
あまり口は得意ではないが、どうにかして彼に少女の保護をお願いしよう。
先ずは、交代で休憩に行った男が帰ってくるまで待たなければいけない。
門番が館の門をがら空きにするのは赦されないのだ。
────■■■、■■■■? ■■■■■■
晩夏のあまり肌寒くない夜と言えども、薄着の少女をこのまま放置するのは忍びない。
羽織っていた外套を差し出し、彼女を包む。
そこまで質が良いとは言えないものだが、確かに暖かい。
すとん、と身体の力が抜ける。
森からここまで張り詰めていた気が、やっと解れたのだ。
────■■■……■■■■■。
ふらついた少女の身体を、男が受け止める。
深く被った帽子を覗けば、あどけない顔で眠っていた。
少女を抱きかかえ、自身の腿を枕にするように横にする。
────■■■■、■■■■■■■■……。
見上げた夜空には、銀月が輝いていた。
まるで、二人を見守っているような柔らかな光を放ちながら。




