五節/3
「……それは」
「不可能ではないでしょう。
今までだって散々やってきたことです」
「ちょっと待った、レイフォードくん」
黙り込んでいたディルムッドが声を上げた。
「オレたちには、オレたちの役割がある。
貴族の領主は忘れることが出来ない。
国を守るために必要な情報だからだ。
それを破るってことは、国への反逆を意味する。
『不可能』ではないが、出来ないな」
技術的には可能でも、規則があるから難しい。
彼はそう反論する。
「いいえ、出来るはずです。
貴方方にとって大切なのは、『記録』。
レイフォード・アーデルヴァイトという人間が、過剰症に罹患し、消失したということだけ。
必要ならば、治療法はどれも効果を見せなかったとでも覚えて置けばいいでしょう。
ですが、そこにレイフォード・アーデルヴァイトの『記憶』は必要ありません。
他の人と同じように」
ディルムッドはレイフォードを言いくるめようとしたようだが、決意を侮ってもらっては困る。
そんな口一つで曲がるようなものではないのだ。
ディルムッドの顔が引き攣った。
認めたくない、という心情をそのまま出しているように。
「……よく調べているようで。
到底、子どもだとは思えないな」
やはり、そちらは勘付かれていたか。
レイフォードは身構えた。
彼らは、核心を突いてくるつもりだ。
「──お前は誰だ」
背後に立ったシルヴェスタが、レイフォードの頭に杖を突き付ける。
殺意を向けながら。
レイフォードの解答は決まっていた。
いや、それ以外の解答方法が分からなかった。
「僕は、レイフォード・アーデルヴァイトです。
喩え、貴方やイヴと同じように別の誰かの記憶を持っているとしても」
息を呑む音がした。
彼らは隠し切れていたつもりだったのだろう。
自分の魂が純粋な一色だけである、という嘘を看破されないと思っていたのだ。
巧妙に隠された境目。
レイフォードも、始めは気付かなかった。
気付いたのは、他人と彼らを見比べたとき。
特に、澄んだ魂を持ったテオドールと比べたときだ。
水の様に透き通った彼や他の人は、どれも色が一つであった。
しかし、二人はどうだろう。
じっと見て、何度も見て。
やっと気付けるほど溶け合っているけれど、明らかに別の色があった。
「……何故知っている」
「あ、これは鎌をかけただけです。
本当に合っているとは思っていませんでした」
まあ、ほぼ確信していたけれど。
一瞬殺気、というよりは怒気が強くなる。
しかし、それらは彼が杖を下ろすと同時に霧散した。
「どうするよ、シル」
「どうするもこうするも……俺にはもう分からん」
「あら、拗ねちゃった」
「拗ねてない」
がしがし、と強く頭を撫でられる。
「レイ、今まで済まなかった。
……その、色々隠し事をしていて」
「良いんですよ、父上。
特権階級の役目については重も承知です」
「それも割と機密事項なんだがなあ……」
「局長さんが教えてくれましたよ」
「……あいつ、後で締める」
緊迫した空気はどこに行ったのか。
シルヴェスタはレイフォードの手を引いて、自分の隣に座らせる。
「どっから説明する?
っていうか、どこまで知ってる?」
「そうですね……過剰症を患った祝福保持者は、その家族や知人が王国に反乱しないように、特権階級以外を対象に記憶を消すこと。
祝福の儀は、何らかの人材を選別するために行っていること……くらいですかね。
父やイヴさんに関しては、ただの憶測でしかなかったので殆ど何も」
「……いや、結構知ってるね。
本当なら処分対象だけど、事情が事情だからなあ……っていうか、いい加減シルは離れろよ」
頭を悩ませるディルムッド。
彼がシルヴェスタを咎めても、一向にレイフォードから離れようとしない。
ずっとぴったりくっついている。
「嫌だ。俺の疲れた心を癒やすには、これしかない」
「面倒臭いやつだ、これ。
レイフォードくん、我慢して。
こうなったらコイツ、意地でも離れないぞ」
「割といつものことなので、気にしませんよ」
偶にシルヴェスタがとても疲れて帰ってきたとき、父の威厳はどこにいったかというほどクラウディアに甘えているのを見る。
ディルムッドが知っているところを見ると、昔からの癖なのだろう。
「取り敢えず、祝福の儀とは何なのかから話そうか」
祝福の儀。
始まったのは王国樹立と同時期だ。
教会に行き、祈りを捧げ、源素量や精霊術の適性を判断する。
一般的に公開されている情報はここまで。
ここから先は、特権階級のみ開示されるものだ。
源素量や適性の判断は、魂を読み取って行われる。
読み取った情報を元に学ぶのは、一種の人生誘導である。
強き力を持った者を騎士や精霊術師として、国の存続のために使えるように。
その読み取る過程で、特異な力の有無を確認するときがある。
特異な力、それこそが祝福と呼ばれる《異能力》だ。
遥か昔は《悪魔憑き》と蔑まれてきたものでもある。
身体に表れる聖印は、刻んでいるのではなく、目に見えなくなったのを可視化しているだけだった。
千四百年前の《大厄災》以降、生まれたときから身体に表れるようにならなくなったらしい。
ならばテオドールはと訊くと、精霊に近い者は対象外だということ。
あくまでも『人』と限定されているようだ。
「……僕が気を失う前に聞いた声は」
「あの術具が祝福保持者を見つけた報告だろう。
あれには、祝福保持者を発見し、担当の神官にそれを伝えるよう設計されている。
普通の子どもなら、聞いてもなんのことか分からないからな」
レイフォードがあの声を認識してしまったのは、ひとえにレイフォード自身が普通ではなかったからのようだ。
「過剰症の罹患者は、全てが祝福保持者だった。
ただ、発病条件は分かっていない。
祝福保持者を集めて研究しているのは、そういった解明されていない謎を解き明かすためなんだ。
だけど、結果は……」
ディルムッドはお手上げ、と肩を竦めた。
「調査期間も症例も足りないんだよ。
今回、レイフォードくんのお陰で結構進んだんだけど……この通り、何も解らず仕舞いだ」
千四百年中、三件。
年数にしては、とても少ない。
調査が進まないのも当然のことだった。
「共通点らしいものなんて、変な夢を見るってことくらいだよ」
レイフォードと同じように、彼らも『夢』を見ていた。
だが、話を聞いた限り、レイフォードの『夢』と彼らの『夢』は別物だ。
レイフォードの知るあの少女の辿った人生とは、全く別の話であった。
「今度は、レイフォードくんの話を聞かせてよ」
「と、言ってもあまり話せる内容はありませんよ。
抜けが多くて、不完全なものなので」
そうして、レイフォードはある程度かの青年の記憶について話した。
別の世界に生きていたことを隠して。
「……偶におかしくなるのはそういうことだったのか」
「シルにもあったよね、そういう時期」
「他人の記憶をぶち込まれて不安定にならない者などいないだろうが!
イヴだってそうだった!」
言い争いをする二人。
それを遮って、レイフォードはシルヴェスタにあることを訊いた。
「父上もイヴさんも、きっかけは何だったのですか?」
「俺は呪われていた外の魔術道具、イヴは《聖剣》だ。
どちらも今までの使用者の記憶が宿っていた」
──ああ、やっぱり。彼らは、僕とは違う。
レイフォードは納得した。
恐らく、記憶について二人とはあまり話さないほうが良いだろう。
二人の記憶は、『この世界で生きた人』のものだ。
対してレイフォードのものは『別の世界で生きた人』。
外的な要因か、始めからあったかの違いもあれど、大きな違いはそこだ。
「俺もレイのそれに気付けていれば良かったんだが……」
「仕方ないですよ、僕の魂は見にくいので分からなくても」
嘘だ。
レイフォードの魂は、混ざってなんかいない。
これは、一色だ。
何も混ざっていない、純粋な一色。
罅割れていても、レイフォードには分かる。
自分は、彼らのように混ざった者ではないのだと。
だが、今はそう思われていた方が都合が良い。
だからこそ、レイフォードは嘘を吐く。
「互いに情報共有を済ませたところで、僕の提案を受け入れていただけますか?」
「嫌だ」
「シルは置いといて……オレは周りが納得するなら、やってもいいぜ」
「……それは、なぜ?」
断られるだろうと思っていたが、ディルムッドはすんなり飲み込んだ。
驚きつつ、その意図を問う。
「どうせ皆忘れちまうのに、オレだけ憶えているのは不公平だろ?
苦しみは分かち合わなきゃな。
それと……キミも、色々考えて出した答えなんだろう。
だから、オレはその意志を尊重したい」
ディルムッドはそんな風に考えていたのか。
意外であるが、シルヴェスタを納得させられる材料が増えたことは喜ばしかった。
「……父上」
「嫌だ。
何で、愛する人のことを忘れなくてはいけない。
大切な人なんだ」
────大切な人。
忘れたくないのは、分かる。
だが、もう居ないそれを。
喪ってしまったそれを。
憶えていることの方が、辛いのだ。
そして、レイフォードは、シルヴェスタが苦しんでいる姿を見たくなかった。
大切な人だから。
「自分勝手なのは分かっています。
でも、僕は嫌なんです。
僕を憶えていたら、きっと父上は壊れてしまいます。
大切な人には、笑顔でいて欲しいんです」
横から強く抱き締められた。
シルヴェスタの心は、レイフォードの願いを叶えたいという気持ちと、レイフォードを忘れたくないという気持ちで拮抗している。
あと一歩押し込めば、いける。
「──父上」
彼の目をよく見て、その青空と目を合わせて。
「僕の、最期のお願いです。
どうか叶えてください」
心から、希った。
長い沈黙の後、シルヴェスタはレイフォードから離れる。
覚悟を決めたように。
「……分かった。
俺が叶えよう、お前の望みを」
自分の心を押し殺した声で、彼はそう言った。
「ありがとうございます、父上」
そんな姿が見ていられなくて、レイフォードは目を逸した。
自分が引き起こしたことであるはずなのに。
「……話は決まったな。
オレたちはキミの指示通り動こう。
何をすればいい?」
ディルムッドは溜息を吐いて、話を進める。
「それ、なんですけど……」
「なに、まさか無計画だとは言わないよな?」
「いえ、計画はあるんですよ。
ですけど、それがちょっと……ディルムッド様には少し難しいかなあ、と」
「気にすんなよ。
無理難題でも、不可能じゃなきゃやってやる」
言い淀み、しかしレイフォードは意を決して計画を伝える。
「まずユフィと絶縁します」
「おう、その性根叩き直してやる」
その有用性を説くのに凡そ一時間掛かり、ユフィリアとテオドールに勘付かれないかと怯えたのはまた別の話である。
因みに、二人はレイフォードの話で大盛り上がりだったため、心配は必要なかった。




