五節〈演者たちの陰謀〉/1
がたん、がたん。馬車の車輪が回っている。
ごとり、ごとり。馬の蹄が音を鳴らす。
いつの間にか吹雪は鳴りを潜めていて、ちらちら雪が舞い落ちている。
やっぱり、見えにくい。
外の景色を眺めながら、レイフォードは右眼に手を添えた。
以前は緑の端から端まで見えた木々が、もう色くらいしか分からない。
あれらが持つ生命の強さ、魂だってよく見えない。
単純に視力が下がっているというのもあるが、“眼”の力が衰えていたのだ。
レイフォードの眼に宿る力。
アーデルヴァイト家の《継承能力》と呼ばれるもの。
《神使》の血を引く王家から分かたれた血筋であることを示すもの。
レイフォードやシルヴェスタ、アニスフィアの右眼が純白であるのは、その証明だった。
『神は、ありとあらゆる全てが穢れ無き白である』
リセリス教の聖典の一節、神の御姿を綴った言葉。
アリステラ王国は、その成り立ちに神が大きく起因している。
もっと言えば、リセリス教が創り上げたのがこの国だ。
教祖リセリスと彼女が導く人々が、死の大地と呼ばれるこの地域に迫害から逃れて住み着き、都市を創った。
《テラリア》と呼ばれたその都市国家は、今は王都に姿を変えている。
リセリスの子であり、アリステラ王国の初代国王であるエリネ・レクスガル・アリステラ。
彼女は、リセリスとは異なり白髪白眼であった。
その身に神の力を分け与えられた、神の代弁者──神使であったからだ。
彼女の子孫である王族は、その力を一部受け継いでいた。
王家とアーデルヴァイト家を含めた五つの伯爵家。
国王と、そのきょうだいが興した家。
これらが東西南北、中央の各地域に散らばり、国を守っている。
境界の護り手の名の通り、唯一の大地より来るものたちから。
アーデルヴァイトの『眼』の能力は、物質界と幻想界の両方を見ることができるというものだ
精霊や源素の流れ、魂。
そういったものを意識せずとも見られる。
この能力は視力と比例して喪われていく。
この速度では、あと一ヶ月もしたら何も見えなくなってしまうだろう。
その前に消えてしまうのが先かもしれないが。
「……大丈夫か?」
「大丈夫ですよ、父上。
まだ、時間はありますので」
「そういうことではなく……」
全ての事情を知る、数少ない共犯者の一人であるシルヴェスタがレイフォードを心配そうに気遣った。
彼の質問の意図は分かっている。
その上で、レイフォードは答えたくなかったのだ。
話してしまえば、決意が鈍ってしまうかもしれなかったから。
「……本当に、良かったのか。あんな別れ方で」
「良いんです。
『最良』ではないかもしれないけれど、僕にとっての『最善』ではあるのですから。
それを理解したからこそ、父上もディルムッド様も協力してくれたのでしょう?」
「……それは、そうだが」
今日は、いつにも増して踏み込もうとする。
辛いはずだろうに、可哀想だ。
レイフォードは、どこか他人行儀で苦悩するシルヴェスタを眺めていた。
次に彼が発するであろう言葉を予想しながら。
「……まだ、引き返せる」
「いいえ、もうできません。
劇は始まってしまったのですよ、父上」
笑ってしまうほど、彼はお人好しだ。
人に寄り添い、心を砕く。
見聞から読み取れないほど、シルヴェスタは優しい。
だからこそ、彼を苦しませないようにレイフォードは動くのだ。
自分の苦しんだ姿を見れば見るほど、彼も苦しんでしまう。
せめて、彼の前では着丈に振る舞わなくては。
作り慣れた笑顔で、レイフォードは話し続ける。
「一度始まってしまった劇は、終幕まで舞台を降りることは赦させません。
主演であるなら、尚更」
あの満月の日に、それを学んだ。
彼らは上手く観客に隠していたけれど、レイフォードの眼にそれを見透かしてした。
上手く作動しなかった機械、急遽変わったシナリオ、土壇場の幻影術式による星空の投影。
嘘を見抜ける者は、それ以上に嘘を吐く者だけ。
窮極の嘘吐きであるレイフォードだから見えた真実。
演技と嘘は似ている。
世界を偽る行為。人の為に行うもの。
「どうか、最後まで立たせてください。
僕の最初で最期の晴れ舞台なのですから」
──千年以上造られ続けてきた、この世界に。
誰の記憶にも残らなくても。




