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幕間〈念い、憶うは勇ある者〉

 誰かが戦っている。

 誰かが何かを殺している。

 身体に見合わない(マチェット)を振るって、真っ黒な怪物を斬り殺していた。


 怪物は、ぱらぱら壊れて崩れ落ちる。

 遺ったのは透明な石だけ。


 誰かは、別の誰かの手を牽いて走り出した。

 そして、どすんと大きな衝撃が走る。

 身体が宙に浮かび、木の幹に叩きつけられた。


 痛くて、怖くて、力が入らない。

 目の前には自身の命を刈り取ろうとする刃が迫ってきている。

 そして、鋭く冷たいそれが心臓を貫いた。


 一気に覚醒する思考。

 少女は手足の先まで冷えていて、背にはびっしょり汗をかいている。


 今のは夢、だったのだろうか。


 しかし、そんな気はしない。

 全てが現実であるかのように鮮明であったのだ。

 肉を斬る感覚も、貫かれた痛みも全て。


 だというのに、少女は何一つ怪我を追っていない。

 それが、虚構(ゆめ)であると分からせるように。


 何だか胸騒ぎがした。

 今もどこかで誰かが戦っている、殺し合いをしている。そう思ってならない。

 

 そして、その誰かは、少女にとって大切な人であるように思えてしまったのだ。


 不安になって横で寝ている母に寄り添おうとする──が、そこに少女の母はいない。

 僅かな温もりを残す敷き布(シーツ)があるだけだ。



「……お母、様?」



 母が居ない。

 暗い部屋の中で、少女は反対側にいるはずの父に訴え掛けようとする。


 だが、そこにも人が居ない。

 父も母も、どこかへ消えてしまったのだ。


 少女は錯乱してしまう。

 悪夢を見て心底不安だというのに、安心できる者がどこにもいないのだ。


 怖い、痛い。苦しい、辛い。

 そんな感情から逃げ出そうとして、少女は部屋を飛び出した。


 消灯して真っ暗な廊下を、宛もなく走っていく。

 どこに向かっているかなんて、少女にすら分からなかった。


 光のない道を一心不乱に駆けていくと、大広間に微かな明かりが灯っていることを見つける。

 誰かがいるかもしれない。

 ゆらり揺れている光目掛けて、少女は全速力で駆け寄った。



「ユフィ?!」



 そこにいたのは父と母、そして何人かの使用人だった。



「どうしたの、そんなに慌てて」

「怖い夢を見て……でも、みんないなくて……」



 半ば泣きながら、少女ユフィリアは母にしがみついてわけを話す。

 母は、自身と同じ月白色の髪を優しく撫でた。



「あら、そうなの。

 ごめんなさいね、ちょっと用事があって」

「……用事?」



 そうだ、こんな夜中にどうして人が集まっているのだろう。

 しかも、父は帯剣し鎧を身に着けている。

 剣呑な雰囲気が辺りを包んでいた。



「ユフィ、オレは今から出掛けなきゃいけないんだ」

「……戦いに、行くの?」



 ユフィリアの言葉に、両親は酷く驚いたように目を見開く。

 彼女はこの剣呑な雰囲気と服装で、父が戦地に赴くことを理解していたのだ。

 五歳という幼さに反して、ユフィリアは聡明だった。



「……ああ、そうだ。オレは戦いに行く。

 国と民を守るために。

 それは貴族の使命、果たさなければいけないことだからね」



 父は包み隠さずユフィリアに打ち明ける。

 隣領であるアーデルヴァイト領が魔物による襲撃を受けていること、戦力が足りていないこと、未知数な戦況であること。


 ユフィリアがその言葉の数々を全て理解しているとは言い難かった。

 それでも父は包み隠さず話すのである。


 一種の贖罪でもあったのだ。

 これから戦地に赴き死と隣り合わせとなれば、何らかの拍子に彼岸(あちら)へと足を踏み入れてしまうかもしれない。

 もう二度と帰って来れないかもしれない。


 故に、父はユフィリアに嘘を吐かなかった。

 最期に話した言葉が『嘘』であるのは嫌だったから。



「そう心配することはないよ。

 お父さんは強いんだぞ! 帰ってくるさ」



 そう言って右腕を挙げた。

 確かに父は強い。

 精霊術も宛ら、槍の名手でもある。

 十四年前の討伐戦を生き抜いた者でもある強者なのだ。


 しかし、そんな彼でも『必ず帰ってくる』とは言わなかった。

 戦場に『必ず』はない。

 どれだけ強くても、小さな虫の一咬みで死へと真っ逆さまに転がる可能性だってある。


 悲しい、のだろうか。

 ユフィリアは俯く。

 これが、彼との一生の別れになるかもしれない。

 最期の時かもしれない。



「……お父様、小指出して」



 ユフィリアは、父の覚悟を理解していた。

 父の心を理解していた。

 だからこそ、『必ず帰ってきて』なんて約束はしない。

 約束するべきは、もっと別のことだ。

 

 大きく角張った指が近付けられた。

 戦士の手、武術を修めている人の手。

 勇気を宿した手。

 それに比べれば、自分の指など華奢過ぎる。


 だが、そんな二人の手でも約束とは成立するのである。

 言葉は、力の差を無視できる神秘の力だ。

 人が言葉を大事にすればするほど、その力は増幅する。


 父はユフィリアの言葉を無下にしない。

 それは、必ずと言っても良いことだった。



「頑張って、皆を守るために」



 絡み合った小指同士が強く握られる。

 ユフィリアにできるのは精々このくらいだ。

 彼女は戦うことも、癒やすこともできない。

 ただ戦士の帰還を待つだけなのである。


 小指を離す。

 それは約束が成立した合図。

 互いが、その言葉を尊重すると決意したということ。


 父はユフィリアを抱き締める。

 小さく細く、幼い身体を腕の中に収めるように。



「……ありがとう、ユフィ。頑張ってくる」



 自分と同じ菫青色の瞳が潤んでいることが分かっていた。

 しかし、決してユフィリアは涙を零さない。

 お別れは、哀しく済ませるものではないのだから。


 星月の欠片もない夜空の下、戦士たちは戦場へと旅立った。

 境界の(アーデル)護り手(ヴァイト)の名を持つ最東の地へ。


 手と手を重ね合わせ、少女は祈る。


 どうか皆が無事に生きて帰ってきますように。

 そして──あの白日に浮かぶ月のような少年が無事でいますように、と。






 夜が明け、また日が沈んで昇った。

 明けの曜日となっても、当然のようにあの少年からの手紙は届かなかったし、ようやく帰ってきた父も疲労困憊であった。


 落ち着いた頃、ユフィリアは父を質問攻めにした。

 アーデルヴァイト領の人々はどうだったのか、父は怪我をしなかったのかなど様々。


 初めこそ疲れているように見えても明るく振る舞っていたが、父は徐々に頭を悩ませていく。

 どうせ、ユフィリアの記憶も全て消えてしまうのだ。

 ここで教えても意味がない。


 一生懸命訊き続ける少女の健気さに涙が零れ落ちそうになりながら、父は娘の要求に答え続ける。

 喩え、全て忘れてしまうとしても、娘を無下に扱いたくなかったのだ。


 梅雨のように、終わる気配のない問い。

 

 しかし、ある一つの問いを頭に思い浮かべた途端、ユフィリアの勢いは削がれてしまった。



「……あのね、お父様。レイから手紙、来なかったの」



 ああ、遂に来てしまったか。

 天を仰ぎたくなる手を抑え、膝に乗る少女の頭を撫でる。


 ユフィリアが『レイ』の愛称で呼ぶ少年。

 レイフォードは数日意識を失うほどの怪我を負い、現在療養中であった。

 回復したという知らせは来ないため、未だ眠ったままであるのだろう。


 父は悩んだ、ユフィリアに真実を告げるべきか。

 知れば悲しむことは明白だ。


 だが、大切な娘に嘘など吐けるわけがない。


 うんうん悩む父を見上げ、ユフィリアは言葉を発した。



「言っていいよ、お父様。何となくだけど分かってるから」



 飴玉のように丸く、大きな瞳がじっと見つめている。

 そんな目で見上げられしまえば、父親は黙っていることなどできない。


 親友の息子であり、娘の初めての友達である少年。

 特異な体質であり、稀有な病を患った少年。


 ユフィリアが彼に対し特別な感情を向けていることに、思うところがないわけではなかった。

 悲劇で終わることが確定している未来など、愛しい我が子に辿ってほしくないのは当然だ。


 少年の病が治る見込みは、ほぼ零なのだ。

 まだ潤沢に時間があるというのに、そう言い切れてしまうほど。


 二人が大人になるまで、その心の意味を知るまで、少年は生きていない。


 だからといって、ユフィリアの意思は捻じ曲げたくなかった。

 彼女がレイフォードのことを『愛している』というのならば、それはそれで良い。

 それもユフィリアの人生なのだから。


 相反する気持ちのまま、ユフィリアにレイフォードの容態を教える。

 それを聞いたし少女は、分かっていたとでも言うように肩を下ろして無意識のまま呟いた。



「変わらないね、■は」



 父にとって、聞き慣れない音だった。

 異国の言葉のようなそれ。

 ユフィリアが知っているはずないもの。



「……ユフィ、今なんて言ったんだ?」

「今……? 何も言ってないよ」



 見下ろす少女の顔はとても嘘を吐いているように見えなかった。

 ならば、今の言葉は何だったのだ。

 言い様のない恐怖に背筋が冷える。


 聞き間違えだったのだろうか。

 いや、しかし。

 あんなにはっきり聞こえた声が、聞き間違えだというのだろうか。


 真実を知る術は、今はどこにもない。



「……怪談は夏だけにしてくれよ」



 父は娘の身体を抱きしめた。

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