十節/5
馬車に揺られ、数時間。
アーデルヴァイト伯爵領の南西に位置するレンティフルーレ侯爵領は商業中心に栄えており、シューネはクロッサスとは比べ物にならないほど発展していた。
東部の最大都市はイカルスノート公爵領のティムネフスだが、二番目はシューネと言う人もいるらしい。
そんな大都市は、レイフォードの想像以上の賑わいだった。
どこを見ても人、人、人。
大人から子供まで、老若男女が練り歩いている。
昼の鐘は既に鳴り終わり、晴れた空と高い太陽は絶好の外出日和だ。
今日が休日なのもあって、普段より人は多いのだろう。
今回はいつもと違い、お忍びということで貴族用の馬車ではなく、乗り合いの馬車で向かっていた。
あの日、入場券を貰ったテオドール、セレナの三人で上映される劇場へと足を運ぶ。
待ち合わせの立像前。
月白色の髪と菫青石の瞳を持つ少女が立っている。
ユフィリアだった。
彼女はレイフォードたちを認識すると、控えめに手を振る。
いつものように元気いっぱいではないのは、周りの目があるからだろうか。
「こんにちは、ユフィ。今日はよろしく」
「こんにちは。こちらこそ、よろしくね」
ユフィリアの背後に控えていた男性とセレナは、互いに礼をし合う。
手紙には彼女の両親も行くと書かれてあったが、その姿はどこにもない。
レイフォードがそのことについて訊くと、ユフィリアは仕方ないと目を伏せて答えた。
「お父様とお母様、外せないお仕事が入ってしまったみたいで。
私とユミルだけなの」
「ユミルと申します、お見知りおきを」
ユミルと呼ばれた初老の男性は、先日彼女の屋敷に訪れた時案内を担当していた者だった。
所作の一つ一つが美しく、使用人としても、護衛としても熟練であることが見て取れる。
揃った五人は、劇場の内側へ足を踏み入れた。
受付は劇を見に来た人で溢れており、長蛇の列となっている。
「私が列に並んでおきましょう。
ユミル様、レイフォード様とテオをお願いいたします」
「承知いたしました」
セレナが列に並び、他の四人は人口密度の小さな場所へと避ける。
『劇団パンタシア』は王国最大級の劇団だ。
演技力もさることながら、小道具や演習までも洗練されている。
劇を見るためだけに、西部から何十時間も掛けて来る人もいるくらいだった。
レイフォードたちの席は最前列正面。
劇場において、一番良い席である。
その知識に疎いレイフォードは、後にセレナから聞いて随分驚いたものだ。
これだけの人数が劇場にはいるのだろうか。
そう思って、人気の多い方を向く。
「そっちは人がいっぱい居るから見ちゃ駄目だよ、レイ」
「その通りだよ、レイくん」
背後から小さな手に目を覆われる。
ユフィリアだ。
テオドールもユフィリアの言葉に同意し、レイフォードの味方はいない。
先日、レイフォードがユフィリアの屋敷に訪れた時、テオドールも共に連れて行った。
初めは険悪と言えるほど啀み合っていた二人だが、レイフォードを一時退席させて二人で話し合った後は、何故か驚くほどに仲が良くなっていた。
にっこり笑って、手を固く握り合う姿は目新しい。
彼らの忠告に従い、大人しく人の少ない方を向く。
正直なところ、レイフォードは人の魂を見ることが好きだった。
人によって異なる魂は、いくら見ても飽きない。
人のごった返した場所は、レイフォードにとって博物館のようであったのだ。
しかし、依然情報過多により不調になってしまうことは間違いなかった。
見たい、だが見れない。
思い通りに行かない世の中だ、と天井を見上げる。
そこには術式が張り巡らされていた。
この国では、建築の際に精霊術による加工を施す。
これによって、ただ建てるより耐久力が大幅に上がるのだ。
基本、術式は形式立てられており、簡潔に組み上げられるようになっているのだが、この劇場に掛けられている術式は少し違う。
もっと複雑に、いくつかの術式を混合させているように思える。
確かにこの組み方ならば源素の消費を抑えられるのだろうが、何分綱渡り過ぎた。
一歩間違えれば術式全体が成り立たなくなる。
それを可能にするのが職人技、というのだろうか。
この劇場ほど大きな建物ならば、源素の消費は果てしないものになる。
かつかつな源素を少しでも浮かせるための工夫なのだ。
劇場でも使われるほどならば、王城はもっと複雑になっている可能性がある。
一度、目にしてみたい。
何度か王都に行く機会はあっても、王城は入ったことがなかった。
レイフォードがそう考えている内に、セレナが受付を終え帰って来た。
手には千切られた券の一部を五枚分持っている。
「席番号、連番でした」
一人ずつ席番号の書かれた紙を受け取る。
レイフォードの席はユフィリアとテオドールに挟まれるところだった。
横一列で並べるのは、偶然の幸運だ。
上映時間も迫りつつある中、五人は席に着く。
最前列というのは舞台が一番良く見える位置であり、即ち劇の気迫を最も強く受ける位置だ。
まだ幕が降りたままだというのに、雰囲気に呑まれてしまう。
劇が始まれば、どうなるのだろう。
レイフォードの心は躍っていた。
開演の合図が鳴る。
鼓膜を震わす音が劇場に響いた。
平坦な声による演目名告知。
からりからりと歯車が回って、赤い緞帳が上がっていく。
──永遠の生命。




