九節〈自由の翼〉/1
向かい合う少年少女。否、少年二人。
「男の子……?」
「寧ろそんなに女の子に見えるかなあ、僕」
黒髪の少年はあんぐり口を開けて、唖然ともう一人の少年を眺めていた。
事の始まりは数分前、レイフォードの自室に少年が訪れたことからだった。
おずおずと覗き込む少年を手招きして、前の来訪者がそのままにしていた椅子に座ってもらう。
落ち着き無く翼をはためかせながら、少年は何かを伝えようとする。
だが、上手く言葉にできないようだった。
「ゆっくりでいいよ。深く息を吸って、吐いてみて」
レイフォードの言葉に従い、少年は深呼吸をする。
ぱたぱたと空を切っていた翼が動きを止める。
そして、頬を叩いて気合を入れ、口を開いた。
「助けて、くれて、ありがとう」
「どういたしまして。
こちらこそ、あの時助けてくれてありがとう」
「……あ、う、どういたしまして」
漸く面と向かって話せるようになった二人は、互いに感謝を伝えあった。
レイフォードが寝続けていたせいで、まともに話せていなかったのだ。
「先ずは自己紹介からかな。僕はレイフォード。
レイでもレイフォードでも、好きな方で呼んでね」
「じゃあレイちゃん、で……」
少年はレイフォードを愛称の『レイ』で呼ぶことにしたようだった。
だが、ただ一つおかしな箇所があった。
「ちゃん……? 僕、男だけど」
「え?」
「うん?」
そうして今に至る。
「すごく、きれいだった……から、女の子だと」
「そう言われると嬉しいけど……少し複雑」
陽の光をそのまま移したような少女めいた少年、レイフォードは天を仰いだ。
まさか出会ってから三日、ずっと女の子だと思われていたとは。
度を越した女顔という自覚はあるにはあったが、こうも突き付けられると男としての自信を失くしてしまう。
「でも、あの、お父さん。シルヴェスタさん、も間違えちゃった」
「それは補助にはならないなあ……」
シルヴェスタの学生時代の武勇伝を思い出す。
学園祭で友人たちによる仕組みにより、『超絶美少女☆シルヴィちゃん』として学園中で話題になったらしい。
しかも主導はクラウディア、おまけにイヴ。
今でも語り継がれるほどだとか。
全て父上が女顔なのが悪い、そうしよう。
レイフォードは責任転居をして、冷静になることにした。
改めて少年の顔を見る。
顔の左側にある幾何学模様は、レイフォードの右腕にある聖印と同じように思える。
彼も何らかの祝福を宿しているのだろう。
「……僕は、貴方の方が綺麗だと思うよ?」
流星のような銀色の瞳。
大きな夜空の翼。
〝眼〟で見える魂だって、精霊と見紛うばかりに美しい。
鷹のように凛々しい少年は、レイフォードにとって好ましかった。
「もっと良く見せて」
右手を伸ばして、少年を引き寄せようとする。
しかし、ぶんぶん首を横に振って断れてしまう。
「むり。たえられない」
「近くで見たいんだ。お願い」
少年は唸る。
もう一押しすれば行けそうだ。
「……駄目、かな?」
椅子の高さによる、視線高度の違いを利用して懇願する。
人は上目遣いに弱い。
小動物のようなか弱さ演出しつつお願いすれば、良心に訴えられるとリーゼロッテが言っていた。
その後クラウディアに拳骨を食らっていたが、今回はそれを大いに活用させてもらうことにしよう。
「──だめ、むり」
「駄目かあ」
少年は顔を赤くして背けてしまう。
効果抜群だと思っていたが、ありすぎてしまったらしい。
「ずるい、レイくん。弱いの、分かってる、のに」
「ごめんごめん。面白くて、つい」
頬を膨らませて睨み付けてくる。
が、少しも怖くない。
寧ろ可愛いと思えるほどだ。
あの夜、レイフォードが助けた少年は、今は屋敷で保護されていた。
身寄りもなく、何より翼人族ということもあり、直ぐに処遇が決定できなかったのだ。
外から来た少年は、アリステラ王国とは違う言語を扱っている。
今はシルヴェスタが作り出した、とある《精霊術刻印道具》、通称《術具》により会話ができるようになっている。
だが、込められた源素が無くなった瞬間に言葉が伝わらなくなってしまう。
また、限りなく低いが侵入者の仲間であるという可能性もある。
無意識的に操られていることも否定できず、ある程度事が収まるまで殆ど屋敷に軟禁状態なのであった。
この屋敷は子どもたちを除いて、全員が一定水準以上戦闘ができるように教育されている。
子ども一人暴れたところで、直ぐに取り押さえることができるのだ。
「話を戻そうか。貴方の名前は?」
「……名前、無い」
そう言って、少年は首に嵌められた輪を指した。
「ずっと、『悪魔憑き』とか『呪い子』、って言われてた。
暗いところで、一人でいた。
家族はいたけど、いなかった。
そうして、売られた」
──『悪魔憑き』。
レイフォードはその言葉に聞き覚えがあった。
あの星月の無い空の下、暗がりの中で響く少女の慟哭で。
ぴくり、と右眼が痛んだ。
「でも、それで良かった」
「……それは、どうして?」
「レイくんと会えた、から。見つけてくれたから」
少年は翼でふわりと飛び立ち、レイフォードに急接近した。
思わず倒れ込みそうになる身体を支えつつ、少年はレイフォードを正面から抱き締めるような姿勢になる。
「おそろい」
「……おそろい、だね」
少年はレイフォードの右腕を取った。
そこに刻まれた聖印は、形は違えど少年のものと同じであったのだ。
「暗い暗い森の奥で、君は手を差し伸べてくれた」
絡み合うように二人の手が重なり合う。
「──名前、君につけてほしい」
「いいの、僕が付けて?」
一際強く手が握られる。
それは、肯定の意であった。
レイフォードは目を閉じる。
目蓋の裏に少年の要素を並べていく。
流星の銀色、夜空の黒色。
鷹を思わせる凛々しさ。
透き通った、綺麗な魂。
そして──
「──自由の翼」
「……テオ、ドール?」
少年を象徴する大きな翼。
大空に飛び立っていくための翼。
「ずっと貴方は鳥籠に囚われ続けていた。
でも、もう違う。
飛び立つための翼と、扉を開く鍵を手に入れた」
だから、自由の翼。
どうかな、とレイフォードは少年に問い掛ける。
少年は『テオドール』という名を反芻し続けていた。
「……いい名前。すごく、うれしい」
少年は再び飛ぶ。
音も無く降り立ち、レイフォードの前でくるりと一周した。
「テオドール。名前、宝物」
「気に入ってくれた?」
「うん、とても」
屈託のない笑顔でテオドールは笑う。
「僕のことをレイって呼ぶなら、僕はテオって呼ぼうかな」
「いい、それ。すごくいい」
テオドールの興奮に付随するように、彼の翼が激しく動く。
思わず、レイフォードは噴き出してしまう。
「おかしい?」
「おかしくないよ。
嬉しそうで良かったなあって思っただけ」
詰め寄ってくるテオドールをあしらい続けていると、誰かが部屋の戸を叩いた。
シルヴェスタの秘書兼執事である男性、オズワルドだ。
どうやら、シルヴェスタがテオドールを呼び出したらしい。
「いかなきゃ、だめ?」
「申し訳ありませんが、シルヴェスタ様の命でございますので」
離れたくない、とでも言うようにテオドールはレイフォードにしがみつく。
庇ってやりたい気持ちもあるが、レイフォードだって父の命には逆らえない。
「大丈夫だから行っておいで。
怖くなったら戻ってきてもいいから、ね」
悲しげに目を伏せるが、テオドールはこくりと頷く。
掴んでいた服の裾を離し、手を振ってオズワルドと共に執務室へと向かっていった。
彼らの姿が見えなくなった後、レイフォードは倒れ込むように寝台に仰向けになる。
「名前、か……」
彼は、あの出来事を憶えていない。
辻褄合わせされた継ぎ接ぎの記憶の中で、レイフォードに救われたことだけを憶えている。
まるで、自分と同じじゃないか。
継ぎ接ぎだらけの歪な記憶。
大切な誰かを喪ったこと、手が届かなかったことだけを憶えている。
ただ違うのは、彼は名を憶えているのに対し、レイフォードは何一つ思い出せないことだった。
「あんな純粋な子を騙して英雄気取りとか……」
凄まじい自己嫌悪の波が押し寄せる。
レイフォードはテオドールの思うような人ではない。
薄汚れて醜いものなのだ。
そもそも、テオドールを助けたのだって結果論だ。
レイフォードは、ただ魔物を殺したかっただけに過ぎない。
偶々そこに傷だらけの少年が居たから逃したのであって、誰かが困っているからと手を差し伸べるわけではない。
それを本人に言ってしまえばいいのに、レイフォードは何も言えない。
自分の名誉が傷付くのが怖いから、そんなのだから言えやしない。
『彼』とテオドールを同一視し、幼い頃の彼が救われているような感覚を傍受している。
終始自分のことしか考えていないような屑だった。
「……どうしたらいいんだろう」
何も分からなくなり、視界を暗転させる。
脳裏を過ぎったのは菫青色の少女だった。




