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仮定〈星の光は我らの道標〉

1.5周年記念ショートストーリー。

本編とは違った未来を辿った、所謂《IFルート》となりますのでご了承ください。




分岐点:断章■節

 生まれたときから、己は忌み嫌われてきた。

 黒い翼、黒い髪。

 申し訳程度の銀色は、毟ってしまったほうが早いほど。

 寧ろ、始めから無買ったほうが、全く違う生物なのだと言い聞かせられるから楽だった。


 けれど、そうはならなかった。


 恐らく、己は世界に嫌われている。

 ずっと暗くて冷たい地下に幽閉されていたかと思えば、次は家族に売られ、死体蔓延る奴隷商人の馬車に詰め込まれ、悪環境の中で一ヶ月近くの長旅だ。


 翼人で、先祖返りなんて生命力の強さがなければ、己は今目の前に積み重なる死体の一つになっていただろう。



「おい、捨てたならさっさと乗れ!

 獣が来るだろうが!」



 横暴な奴隷商人に蹴飛ばすされつつも、どうにか馬車に乗り込む。

 食事も殆ど無ければ、周りは世界に絶望したほぼ死体のようなやつばかり。


 ああ、地獄のようだよ。本当に。

 己も、精霊に近くなければ、彼らのようになっていたのだろう。

 

 けれど、その優越もそろそろ終わりだ。

 目的地に近付くに連れ、徐々に空腹感が増していく。

 普段食事としている謎の力が、薄まっていくからだ。


 元がなければ食べられない。

 食べられなければ腹が膨れない。


 もしや、自分の最期は餓死なのだろうか。

 自分ながら、情けない死だ。


 完全に精霊ならば、死ぬことはないというのに。

 半端に精霊だから、こんなことになるのだ。


 全く、世の中どうにもならないものだ。

 誰も救ってくれる者は居らず、希望は見えず、世界はずっと暗く冷たいまま。

 馬車の荷台に差し込む月は、太陽を奪い殺したかのように光輝いている。

 

 少年は、手を伸ばした。

 輝く星に、輝く月に。

 その暗闇の果てにあるであろう、太陽に。


 届かないと知っていても、この願いを届けたくて。

 手を伸ばした。


 ──誰か、救けて。


 けれど、聞き届ける者はいない。

 『神様』なんていない。

 明るく暖かい世界に導いてくれる光は、どこにもいないのである。


 それでも、どうか。

 彼に一片の救いがあるのなら。

 いつか、掴み取れる日は来るのかもしれない。


 今は名も無き少年。

 自由に羽撃く翼無き鳥は、今日も夜空に希う。






 右に二人、左に一人。

 次々と襲い掛かってくる人間。

 少年は、無慈悲に彼らを殺していく。


 人間は脆い。

 首を刎ねれば絶命する。

 だというのに守ろうとしないのだから、それはもう簡単に殺せる。


 何人、何度も来ても少年を殺せないのは、圧倒的な力の差があるからだ。

 人間と、精霊(バケモノ)という差が。



「嫌だ、嫌だ……! 助けてくれ、頼むから……!」

「お前は、そう言った奴を助けたことがあったか?」



 這い摺り回る芋虫のような人間を、他と同じように斬首にし、少年は振り返った。



「オルガ、そっちは?」

「とっくに終わってらァ。

 行くならさっさと行くぞ、怖い怖い聖騎士サマたちが来ちまう」



 そうか、と死体を一蹴して道を開け、二人で予め決めていた順路を走っていく。

 他にも何人か子どもが付いてきているようだが、気にする暇はない。

 どうせ、そのうち死ぬ者たちだ。

 どうにか逃げ切れたとして、その後の旅を越えられる気はしない。



「おい、名無し! 次は──」

「問題ない。もう終わってる」

「頼りになる相棒だぜ!」



 脇道から出てきた者の首を、オルガの報告より前に殺す。

 術式を使用しない感知能力は、少年の方が高い。

 残量の関係上、探知に回す余裕は無かった。


 本来ならば、こっそり抜け出すつもりだったから、それなりに余裕があったはずなのだが、どこぞの馬鹿が口を割ってしまったため、大慌てで逃げ出している最中なのだ。

 五割即興(アドリブ)なんて、糞みたいな逃走劇。

 この七年間で関係を深め続けた二人でなければ、実行出来なかっただろう。


 暗闇の中、一筋の光が差し込む。



「見えた、出口だ!

 ……と言いたいところだが、こりゃあ大変だな」

「想定時間より早いはず……大人を舐めすぎたらしい」



 少年とオルガがやっと見えた出口に飛び込もうとした瞬間。

 目の前に大勢の騎士が立ち塞がった。


 どうやら、既に情報は回っていたらしい。



「隷属の首輪は……外れているようだな。

 許可は出ている。

 ──殺せ。慈悲はない」



 隊長らしき男が指示を出すと、陣形を整えていた騎士たちが二人に突撃してくる。

 先程までの雑魚とは違い、一筋縄では行かなそうだ。



「……死ぬなよ、オルガ」

「テメェこそ死ぬなよ、なァ!」



 肌に染み込む絶望感を振り切るように、少年たちは駆ける。

 ここを越えれば、長年待ち望んだ自由なのだ。

 これまでの地獄と比べれば、こんな絶望なんて道端に落ちている石のようなもの。


 そんな石は蹴飛ばしてしまえ。

 例え大きな石だとしても、邪魔なら蹴飛ばす。

 それが、大人には理解できない、『普通』の子どもだろう。


 不可解でも、わけが分からなくても。

 子どもには子どもなりの意地(プライド)がある。

 捻じ曲げるわけにはいかなかった。


 明確な殺意と、研ぎ澄まされた刃が命を奪いに来る。

 紙一重のところで交わし、反撃を喰らわせたとしても、一瞬よろめかせるくらいが精一杯。

 一撃必殺のつもりなのだが、本職はやはり違うらしい。



「どうするよ、囲まれたぜ?」

「正面突破」

「相変わらず脳筋だなァ? 調子はよろしいようで!」



 背中合わせに落ち着くも、また駆け出す。

 足を止めたところで、物量差で圧殺されるのが目に見えている。

 そんなことになるくらいなら、せめて撹乱させて一人でも通れる穴を作った方が良いに決まっている。

 まあ、どれだけ死ぬ気で努力しても人一人ハイレルモン穴すら作れないのが現実なのだが。


 手こずっている間に、時間は刻一刻と過ぎていく。

 経てば経つほど、人網は広がり逃走は困難になる。

 ここで止められている時点で、その後を考える必要はないのかもしれないが、もし越えられたとしても、また第二、第三の騎士がやって来て、二人を殺しに来るだろう。



「……クソッタレ」



 そう呟いたのは、果たしてどちらだったのか。

 あれほど眩かった光は、もう小指の先ほどまで小さくなってしまっている。

 戦っているうちに、遠ざけられてしまったようだ。



「ここが墓場かよ。ゴミ溜めじゃねえか」

「縁起でもないことを言うな。

 お前が埋まりたいのは綺麗な楓の木の下だろ」

「捏造すんな。

 見たことすらねェ木の名前を言われても、全く想像付かねェんだわ」

「安心しろ、俺もだ」

「見た目詐欺馬鹿野郎がよォ!」



 軽口を叩いていても、二人の内心はそう軽くない。

 寧ろ、深海に沈んでいくようにも重かった。


 確実な成功を予見していた逃走計画は、たった一人の馬鹿のために壊され、見れるはずだった外の景色は、鈍色の騎士共によって埋め尽くされている。

 これで気が重くならないというのは、何も考えられない本当の馬鹿か、振り切った天才くらいだ。

 『普通』の子どもの二人は、どうしたって不安を覚えるもので、その分動きも鈍くなっていく。


 だから、だろうか。

 普段なら絶対に避けられたはずの一撃を、もろに喰らってしまった。



「オルガ……!」

「黙れ! 人の心配より目の前に集中しろ!」



 数(メートル)吹き飛ばされたオルガは、咳混じりにそう叫ぶ。

 忠告がなければ、少年は今頃縦に真っ二つだっただろう。



「……クソ、痛ェ。少しは加減してくれよ」

「反逆者に死を。神の名の下に、制裁を」

「……聞いてくれやしねェ。馬鹿ばっかだよ、ここは」



 光のない兜の下を睨み付け、ふらつきながらも立ち上がる。

 どうしたって、ここでオルガは力尽きるだろう。

 そこまで深くない傷だとしても、腹から血を垂れ流している身体では、そう長くは活動出来ない。

 止血したとして、回復するまでに時間が掛かり過ぎる。

 ここを抜けても、振り切るまでにはまだまだ逃げなければいけないのだ。


 アイツのお荷物だけには、絶対になりたくない。


 今にも倒れ伏しそうな意識の中、オルガはただその思いだけで戦い続けていた。

 一瞬だけでいい。どうにか、彼を送り出せる隙間が作れれば。


 しかし、その願いも瞬く間に切り捨てられる。



「……オレも、お前も、運がねェなあ」

「……言ってろ」



 片腕を深く斬られた少年が、オルガの足元に転がってくる。

 彼もこの状態では、そう長くはない。



「最期は派手に散ろうぜ、相棒」

「……そうだな。せめて、全員道連れにしてやる」



 全身使い切るつもりで、二人は力を振り絞る。

 もう、逃げるために力を残す必要はない。

 当初の予定は、砂と大差ないほど崩れ壊れてしまった。


 けれど、そんな砂でも使い道はある。

 砂の中には美しい透明な結晶があるのだ。


 その結晶を拾い集めて、溶かして、また固めて。

 そうして出来た硝子は、初めの計画という名の岩より、きっと素晴らしいもののはず。


 二人は、そう信じることにした。

 この大人気ない騎士たちを皆殺しにすることが、今の彼らの唯一の希望だった。


 だが、それさえも、『大人』の手によって奪われてしまうのだ。


 

「楽しそうなこと、してますね。

 混ぜてくださいよ」



 それは、『夜』だった。

 『怪物がやってくる』という、大人の都合の良い嘘。

 子供騙しの嘘を体現したようなそれは、二人がああも苦戦した騎士たちを、五秒と少しで殺し尽くしてしまった。


 

「……何者だよ、アンタ」

「ただの通りすがりのお姉さんですよ。

 ちょっと面白いことが好きなだけの」

「……イイ性格してんな」



 黒装束に、青の十字星。

 どこからどう見ても、その女は教団実務部隊の戦闘員だ。


 鉄針使いの、夜に紛れる殺人鬼。

 そこまでいけば、彼女の正体の予想は付く。



「……《夜影》か。何でそんな大物がここに?」

「『面白そうだったから』ですよ。

 ここから出たいのでしょう?

 案内して差し上げます」



 死体を踏み潰して近付いてきた彼女は、二人に回復術式を掛ける。



「はい、元通りです。魔術は得意なんですよ。

 これなら動けますよね」

「……ああ、ありがとよ」



 独学で学んだ自分たちより、余程良い腕をしている。

 綺麗さっぱりなくなった傷跡を擦り感嘆すると、少年とオルガは夜影に付いていくことにした。


 あのままあそこにいたって、何にもならない。

 どうせ、あそこで終わるはずだった命だ。

 変人に預けてみるのも、それもまた一興だろう。


 視線でそう伝え合った二人は、大人しく夜影の指示に従い、道を通り、森を抜ける。

 驚くほど誰にも遭遇せず、戦闘も全くない。

 あれはいったい何だったのだ。

 そう言いたくなるほど、潤滑な逃走だった。



「案内して差し上げます、と言ったではないですか。

 信用してくださいよ」

「あんな状況で信用するとでも?」

「……それもそうですね」



 やがて、三人は大きな崖に辿り着いた。

 数十米はあるであろう下には、川が流れている。

 対岸は助走をつけて跳んだところで、中心にすら届かず落下。

 この高さでは、水に入っても助からないはずだ。



「おい、アンタ。こっからは──」



 と、オルガが夜影に問い掛けたときだった。

 少年含め、二人の身体が持ち上げられる。

 所謂、『お米様だっこ』の姿勢で。



「おいおいおい、何するつもりだ?!」

「そんなの、決まっていますよ。

 ──この崖を跳び越えるのです」

「やっぱコイツに任せたの失敗だ! 頭おかしい!」

「それは、お互い様ですよ……っと」



 数米の助走の後、夜影はいとも容易く崖を飛び越えた。

 魔術による補助があったとしても、神憑り的な身体能力である。

 


「訂正するわ、アンタ最高だよ!」

「そうでしょう。

 褒め称えてくださいませ」



 着地と同時に二人を下ろすと、彼女は振り返る。



「ここまで来れば、追手は何もできません。

 彼らは、魔術一つ満足に使えませんから」

「素質がねェからって攫って造るもんな。そりゃそうだ」



 ──魔術。

 それは、失われた古代の技術。

 人ならざるものの縁者だけが使える、神秘である。


 人間は、これを使うことはできない。

 出来るとすれば、魔術使いを洗脳して、意のままに操ることくらいだ。


 教団の騎士、その正部隊は皆人間。

 だからこそ、彼らがこの崖を渡ることはできない。


 諜報や暗殺などの暗部となると別だろうが、彼らを使うほど、教団は二人に執着していないだろう。



「……ありがとう、助かった。お礼は何も出来ないが……」

「いいえ、出来ますよ。

 何せ、私はそのお礼目当てで貴方たちを助けたのですから」

「……は?」



 唖然とする二人の間を通り、夜影は森へ向かっていく。



「あら、案内してくださらないのですか?

 今度は貴方たちの番ですよ。

 『理想郷』を目指す、反逆者さん」



 振り返った彼女の濃紺の瞳は、欲望に濡れていた。



「……始めからそれ目的かよ。大人って汚ェ」

「掌返しが激しいですね」

「良いだろ、子どもだぞ」

「子どもと言えるのは七歳までですよ」

「うるせェ、まだデカくなるなら子どもだよ」

「生意気ですね。それもまた、『子ども』ですか」



 少年を置いて、オルガと夜影は先を行く。

 振り返ったオルガが、『何だよ』と声を掛けた。


 そうして、少年は夜影に一つ問う。



「何故、貴方は俺たちを助けた?

 『理想郷』なんて夢のような話、貴方のような大人は信じないだろ」



 理想郷。

 二人が求める、夢の世界。


 明るく、暖かく。

 花が咲き誇り、木々が揺れ。

 人々が幸せに笑い合う、そんな夢のような世界。


 そんなものが本当に実在するかは、分かっていない。

 こんなゴミ溜めのような世界に、本当にあるのかは分からない。


 それでも、少年とオルガは一縷の望みに掛けることにした。

 空の果てに輝く星に、祈ることにした。


 だから、彼らは征く。

 どれほど遠く離れていようと、星が示した未来を目指す。


 けれど、夜影は違う。

 彼女の願いは、もっと別のもののはずだ。



「……そうですね。

 確かに、貴方たちの求める『理想郷』と、私の求める理想郷は違うかもしれません。

 私の幸せは、殺すこと。戦いの果てに死ぬことですから」

「……なら、どうして」



 手の内にあった針を、夜影は服の下にしまう。

 戦闘の終わりを告げる合図。

 そして、敵対ではなく、仲間であることを伝える合図。

 


「……ただ殺すより、戦うより、そちらの方が『面白そうだから』ですよ。

 その『理想郷』でなら、もっと幸せになれるものを見つけられるかもしれませんし」



 ──だから、私も仲間に入れてくださいな。

 その、『理想郷』を探す旅とやらに。



「……アンタ、大人に見えるが中身は子どもだな」

「分かります?

 楽しみだと前日寝れない(たち)なんですよ」

「そういうことじゃないんじゃないか……?」



 二人ぼっちだったはずの旅に無理矢理加わった、一人の女。

 ばらばらな、三人組。


 けれど、皆焦がれている。

 星の光に焦がれている。

 あり得るはずのない世界を、皆が幸せになる大団円(ハッピーエンド)を夢見ている。


 この旅の果て、あの星の光が導く先には、きっと『理想郷』がある。

 それを信じて、それだけを信じて。

 彼らは理想の未来(さき)を辿る。


 神様は、彼らを救うことはなかった。

 星は、彼らを救うかもしれなかった。


 神はどこでも我らを見守り続けるが、手を差し伸べることはなく。

 星は暗く晴れた日の夜にしか姿を表さないが、手を差し伸べてくれる。


 絶望の淵にいる者が、希望を見出すのは果たしてどちらか。

 答えは聞くまでもない。



「そういえば、貴方。名前は?」

「……俺の、名前は──」



 鳥籠の鍵を開けて、けれどまだ『自由』ではない少年は、名無しのままで居続ける。

 それは、己の運命に出会うために。

 運命に出会って、生まれ変わるために。


 翼が無いのは、まだ生まれ落ちていない卵だから。

 雛にも満たない、殻に閉じ篭った赤子。

 繭の中で溶け続ける虫と同じだ。


 けれど、いつかは必ず羽化するときは来る。

 孵るときが来る。

 それがいつになるかは分からない。


 なんてったって、運命は必然かつ偶然に、突然やってくるものだ。

 未来を知るのは、それこそ『神様』くらい。

 しかし、『神様』なんて、彼らにはいないのだから、誰も知るものはいない。


 だからこそ、やはり、信じられるのは星だけだ。

 今日も、明日も、変わらず永遠に輝き続ける星だけなのだ。


 それにとっては、彼らの一生なんて、刹那にすら足らないものなのだろうけれも。



「……ああ、今日も星が綺麗だな」



 彼らの旅路に、餞を。

 終わりなき旅に、祝福を。






 旅の始まりから、何年経ったのだろう。

 何度も春夏秋冬を繰り返し。

 行く先で仲間が増えて、減ってを繰り返し。

 途方も無い年月を過ごしたかと思えば、実際はまだ片手で数えられるくらいかもしれない。


 時間感覚なんて、いつの間にか曖昧になっていて、分かるのは、今が朝夜どちらかくらい。

 どれだけ歩いたかも、もう分からなくなっていた。



「お、大きな川だな。大山脈の先には大運河。

 ここは自然の掃き溜めらしい」

「旅の最初を思い出しますね。

 あの時は二人を抱えて跳んで行きましたか」

「今はそんなことしなくてもいいっての!」

「……まあ、成長したよな俺たち」



 最終的に残ったのは、やはりこの三人。

 夜影と、オルガと、名無しの少年。

 始まりの三人であった。



「じゃあ、越えるか」

「この先に本当にあるんです? 『理想郷』とやらは」

「常人にとっての《死の大地》は、狂人(おれたち)にとっての『理想郷』……と思いたい」

「希望的観測ですね」



 各々強化、または飛行の術式を使用して大運河を越えていく。

 これまでの旅では見たことないほど大きく、そして、美しい川だった。



「げ、次は大森林かよ。本気で自然の掃き溜めじゃん」

「良いだろ、そっちの方が暮らしやすい」

「慣れましたからね、非文明的な暮らし」

「……いや、精霊の血族としてだよ。

 自然豊かな方が、魔力も豊富だし」



 降り立った先には、深い森。

 空が見えないほど生い茂った木々は、人の手は全く入ってもいないようだった。


 三人は、一歩踏み込む。

 そして、やっとその場所の異常性に気が付いた。



「……結界、張ってあったみたいですね」

「中と外じゃ、全然濃度が違う……これは、()()だろ」



 酔い潰れてしまいそうな、濃い魔力。

 しかし、少年にとっては妙に心地良かった。


 魔力がほぼ存在しない『外』において、精霊に近い彼は常に空腹状態のようなものだ。

 生物としての栄養補給は出来ても、精霊としての栄養補給は出来ない。

 少年は凡そ十年振りにもなるだろう『食事』を、今、やっと出来たのだった。



「……美味しい」

「ま、確かに空気は美味ェな」



 悪路を突き進む三人。

 これくらいで泣きを見るほど、修羅場を潜っていないわけがない。

 時々気配がする野生動物も、あちらのから勝手に離れていく。

 近付いてくるのは、危機感のない個体だけだ。

 それも、無駄な殺生がしたいわけではないから、追い返すのだが。



「……お、来るな。何かが」

「十中八九、アレですね」

「……多い。十……いや、十二か」



 三人はそれぞれ武器を取る。

 稀に出会う『怪物』。

 深淵そのもののような黒を纏い、黒を生み出す、この世に存在してはならないもの。


 不定形なようで定形なそれは、熊のようにも、頭部だけの魚のようにも見える。

 二米はある強靭な体躯に付いた、巨大な鋭い爪と歯を輝かせ、それらは彼らに襲い掛かった──かのように思えた。



「──咲き(フルーレ・)乱れる(ランブリン・)熾天(フランヴェスタ)、」



 その『怪物』とやらは、戦い慣れた三人でも基本は苦戦するものだ。

 ただの攻撃は通りが悪く、魔術も使いどころを間違えると吸収されてしまい、相手を回復させてしまう。

 一対一ならばともかく、多数となるとそれなりの消耗を覚悟する必要があるのだが。



「……こんなところにも魔物がいるなんて。

 姉上たちは何をして……って、あれ?

 姉上! 隊員さん! どこ行ったんですかあ!」



 突然目の前に現れた()()は、そんな三人の事情なんてお構い無しに全てを灼き尽くし、そして──。



「皆どこ行っちゃったんですかあ……」



 一人、半泣きになっていた。



「……あの、そこの貴方」

「……へ? 人……でも、見たことない……?」



 少年は、その少女に向けて声を掛けた。

 どこからどう見ても一般人にしか見えない彼女だが、今目の前で怪物を灼き殺した現象は、どうしようもなく魔術によるものだ。


 つまり、この少女は恐らく人間ではない。

 少なくとも、オルガのように精霊との混血か、夜影のように精霊と話せる者であるはず。

 でなければ、魔術を使うことなんて出来ないのだから。



「良ければ聞きたいことがあるんですけど……」

「……知らない人、特殊な髪と目の色……そして、謎の言語……」

「おい、名無し。

 多分これ話通じてねえやつだわ。

 翻訳術式使え」



 そうだった、と少年はいそいそと魔術を行使する。

 知らない人に会えば、普段の少年ならまず初めに使うのだが、動揺していたからか使おうとする頭がなかった。

 上手く働かない頭を何とか動かして、少女を抜いた全員に術を掛ける。



「よし、これで……」

「……つまり、導き出される答えは」



 もし、もう少し早く術式を発動させていたら。

 もし、少年がもっと冷静であったなら。

 もし、少年が()()()()()()()()()()()()()

 こんなことには、なっていなかっただろう。



「──侵入者! 倒さなきゃ……!」

「いや、ちょっと待って……?!」



 向けられた杖の先から放たれた魔術。

 それは、先程までの彼らの頭があった位置を通り過ぎていく。



「危な……! 何だこの女ァ!」

「……見た目、超絶好みなんですけど。

 は? 大好き」

「何なんだこの女ァ!」



 後ろでやかましい二人は無視して、少年は少女に声を掛ける。



「だから! 俺たちは怪しい者じゃない!

 ただの旅人で……」

「うちの国じゃ《精霊領域》に居る見知らぬ人は、取り敢えず捕らえろっていう決まりなんです!

 だから……倒れてください、今すぐに!」

「そんな無茶な……!」



 再び放たれる、正確かつ殺意の高い攻撃。

 同年代で、戦闘経験が全く無さそうな少女にしては、やけに完成度が高い。

 きちんとした教えを受けている、つまりは、師事している者がいるようだ。


 『姉上』という言葉が本当ならば、彼女には家族がいる。

 家族がいるなら、この森の中か先には、きっと人が居る。


 もしかしたら、そこが。

 そここそが、彼らが求め続けた『理想郷』なのかもしれない。

 ならば、今ここで諦めるわけにはいかない。

 


「もう、何なんですか貴方たち!

 さっさと……倒れてください!」

「嫌だね! 俺たちはこの先に行かなきゃいけないんだ!」

「……もうやだ、助けてください姉上!」


 

 少女の叫びを聞いた彼女の姉が到達するまで、あと五秒。


 これが初めてにして最悪の、少年と少女の出会いだった。






 これは、噛み合うはずのない歯車が噛み合った物語。

 けれど、これこそが正常であったはずの物語。

 少年は運命に出会い、少女は少女のままで在り続け、二人はやがて恋に落ちる。


 友に囲まれ、家族に囲まれ。

 困難はあるけれど、確かに幸せな道を歩む。


 星の光は、確かに彼らを導いた。

 『煌めく光(レーネレイ)』は、形を歪めることなく生まれ落ちた。

 それもこれも、どこかの魔王たちが生き続けているから。


 つまり──この世界は愛と祝福に満ちている。

 それだけだ。

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