七節/2
突然、空気を入れ過ぎた風船のように男が膨張し始める。
顔も腕も、胴も脚も、ぶくぶく膨れ上がっていく。
そんな状態でも尚、男は絶叫に近い笑い声を発し続けていた。
何が起きているか、理解はできない。
それでも、このままでは自身も危ぶまれることは予感していた。
立ち上がり、即座に離れようとする。
しかし、それはできなかった。
立ち上がろうとしたレイフォードが、足の痛みで数瞬動きが止まった隙を逃さず、男が右腕を引き摺り寄せたからだ。
唯一動く右腕を抑えられてしまえば、レイフォードは抵抗できない。
──逃さない。
最早言語すら喋れなくなった男が、そう言った気がした。
膨張が最高潮に達する。
皮膚がはち切れ、中身が炸裂した。
轟音と爆風。
臓物が飛び散ちるような音と、破片が付着した感触。
レイフォードの身体は、抵抗する間もなく吹き飛ばされた。
何度か地面を跳ねて、背が壁に激突する。
本来ならば、それはかなりの衝撃だったはずだ。
しかし、多少の痛みはあれども意識が飛ぶほどではない。
それとも、実は既に死亡していて天上の世界にいる、とでもいうのだろうか。
至近距離で爆発を受けたからか、耳鳴りが止まない。
状況を把握するには、視界を確保するしかなかった。
レイフォードは、恐る恐る反射的に閉じていた目を開ける。
まず目に入ったのは黒。
よく見れば編み目があることから衣服、それも外套だと分かる。
レイフォードはこれを見たことがあった。
だが、これはあの男のものではない。
もっと前に見た物だ。
同じような距離で見た覚えがあるというのに、全く思い出せない。
誰の物だったか。
よく見ようと手繰り寄せようとすると、それは僅かに動いた。
レイフォードは手繰り寄せたこととは別の力で。
そこで漸くレイフォードは気付く。
自分の身体を、誰かが庇っていることに。
同時に、この外套の持ち主を思い出した。
「……生き、てる」
蚊の鳴くような声が頭上から聞こえる。
レイフォードが彼女の声を聞くのは、助けられるのは二度目だった。
「……イヴ、さん?」
「おお、キミも……大丈夫そうだね」
赤。
勇気を象徴する色が、優しくレイフォードを見下ろしていた。
イヴは横たわっていた身体をゆっくりと起こし、レイフォード共々瓦礫の裏に隠れるようにして壁に寄り掛かる。
「い……ったいなあ……久し振りにこんな怪我負ったかも」
そう言うイヴの衣服は、爆発の影響で所々破れていた。できた隙間から肌が覗き、その肌には赤い線が付いている。
レイフォードも端の方が解れ破けているが、イヴほどではない。
レイフォードへの被害が少なかったのは、イヴが庇ったからなのだろう。
首を動かすことも辛く、視線だけを動かしてある場所を見る。
大通りの中奥、先程までレイフォードが男と戦っていた場所。
そこに転がっているはずの男の肉体は、跡形もなく吹き飛んでいた。
やはり、あの爆発は男が起こしたものだったのだ。
自身を犠牲にしてまで。
爆心地と見られる箇所は石畳を越えて地面まで抉り、大通りに建ち並ぶ住居や商店も半壊している。
そこまで強大な威力の爆発だったのか、とレイフォードは冷や汗をかいた。
はっと、とある二人の少年少女を探し始める。
あの翼人族の少年が少女を連れて離脱したことは把握していても、どこまで距離を取ったかは知らなかった。
もし、爆発に巻き込まれていたら。
そんな考えが頭を過ぎる。
早く見つけないと。
焦る気持ちのまま、レイフォードは立ち上がろうとした。
「……二人は、どこに……」
「はいはい、動かない。
多分、お目当ての子はそっちの方にいるよ」
が、イヴの脚で掴まれ、阻まれる。
大人しく彼女が指し示した方向を見れば、翼を持つ少年が少女を抱き抱えていた。
気絶しているようだが、外傷は見えない。
二人が無事だったことに安堵し、胸を撫で下ろす。
守りたいものを守れた、大切なものを奪われずに済んだ。
それが、心の底から嬉しかった。
一気に身体から力が抜け、睡魔が襲い掛かる。
活動限界を大幅に超えたと判断した脳は、肉体を強制的に休眠状態したいようだった。
「あら? まあ、子どもだしね。
……良く、眠るんだよ」
背のイヴに身体を預け、レイフォードは目蓋を閉じる。
今度こそ、全て終わっていますように。
そう祈りながら。




