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四節〈白き焔は黒を灼く〉/1

 唸り声を上げ、魔物はゆらりと立ち上がる。

 先程までレイフォードを甚振っていたそれは、イヴに赤子の手をひねるように毛散らされた。

 首を斬られ、手足も半分しか残っていない。

 それでもまだ、死んでいなかった。



「……腕、鈍ってるねえ。一撃で殺せないとは」



 イヴは右腕だけで剣を中段に構える。

 魔物は片方の手足を撓らせる。


 両者見合い続け数秒、仕掛けたのは魔物だった。

 黒の身体を透明化させ、周囲に紛れ込む。 



「おっと、便利な能力だね」



 イヴは一瞬面食らったような表情をするが、取り乱すこともなく虚空に剣を振るった。


 イヴにはレイフォードと同じような〝眼〟もなく、魔物を探知できるような能力があるわけではない。

 そこにいると分かったのは、長年戦い続けたからこそある、ただの戦場の勘だった。


 最後の凶刃を斬り落とされ、達磨になった魔物は地に伏せる。

 胴体しかないというのにまだ動いているのは、優秀な肉体によるものだろう。


 だが、そんな身体でさえも出来ることは、もうない。

 イヴは剣を心の臓に突き立てた。

 起き上がれないように足で踏み付け、躙る。


 数秒後、遺っていたのは魔石だけだった。

 付着した黒い血を払って腰に帯剣すると、イヴはレイフォードに歩み寄る。



「……酷い怪我だ。

 シルヴェスタのところのレイフォードくんだね。

 よく頑張った。

 今から町の方に行くから、そこで治療してもらおう」



 視線を合わせ優しく頭を撫でると、外套が血で汚れることもお構い無しに片腕でレイフォードを抱き抱えた。

 立ち上がり、そして何でもないように一歩踏み出す。


 次の瞬間、二人は町の外壁の上にいた。



「……まさか、転移……?」

「ご明察。噂通りだね」



 転移と呼ばれる不可思議な現象。

 精霊領域から町までは数百(メートル)ほど距離がある。


 どこにも源素を操作した痕跡も視えず、驚異的な速度で走ったわけでもない。

 ならば、後はイヴ自身の特異な能力。

 つまり祝福の力によるものだと考えるしかなかった。



「貴方は──」

「知識に貪欲なのは良いことだけど、ちょっと静かにしようか。

 傷に響くよ」



 レイフォードが疑問を呈しようとすると、彼女は制した。

 こんな非常時に訊くものでもないか、と素直にイヴに従う。


 その様子に頷くと、イヴはもう一度転移する。

 そして、ある人物に確実に聞こえるように叫んだ。



「シルヴェスタ! 今の状況はどうなっている?!」



 外壁上で大勢に指揮をする男が一人。

 レイフォードの父であり周辺の領主を務めるシルヴェスタ・エルトナム・アーデルヴァイトだ。

 

 シルヴェスタはイヴたちの方へ顔を向け、抱えられたレイフォードを認識した瞬間、血相を変えて詰め寄った。



「……どこにいたんだ」

「領域の中、一人で」

「……そうか」



 やっと絞り出したその言葉には様々な感情が込められていた。

 安堵、心配、怒り。

 正と負が入り混じったまま、シルヴェスタはレイフォードを受け取る。



「手が空いている者、負傷者だ!

 診療所まで運んでくれ!」

「承知いたしました!」



 駆け付けた町の衛兵である男は、指示に従ってレイフォードを運ぶ。

 揺れは最小限に、しかし迅速に運べるのは非常時の訓練をしっかり受けている証拠だった。

 

 人一人いない静かな町の大通りの景色が流れていく。

 窓も扉も締め切られ、どこも光は灯っていない。

 皆消えてしまったかのように人の気配が感じられなかった。


 張り詰めていた意識が、徐々に朦朧になっていく。

 麻痺していた痛覚が唸り、裂傷や咬傷が思考を支配していく。

 夜の寒さが、一層堪える。


 だが、痛みも寒さも感じているということはレイフォードの生きていることの証明だった。

 よく五体満足で帰って来れたものだ。

 欠片も動かない身体で、そう自画自賛した。

 

 もう眠ってしまいたい。

 しかし、そうはいかない。


 レイフォードには、確かめなければいけないことがあった。

 それは、先に逃がした少年がどこにいるのかということだ。


 あの少年の速度でも、何もなければ町に辿り着ける分の時間は稼いだはずだ。

 だから、この町のどこかにいるはずなのだ。


 だが、クロッサスの町は広い。

 今のレイフォードの身体では探しに行くことはできない。


 早く、早く見つけないと。

 焦る気持ちとは別に、身体は動かず力が入らない。

 思い通りにできない自分が、心底嫌だった。


 僅かに残った意識で辿り着いた診療所。

 清潔に保たれているそこは、普段とは様相が異なっていた。


 忙しなく駆け回る職員、そこかしこから聞こえる呻き声。

 床に敷かれた簡易的な寝床には、三十人はくだらない多くの怪我人が寝転んでいた。

 壁に寄り掛かって座っている者もいる。

 大半は、町の騎士団の者たちだろう。

 寝転んでいるのは重傷、座っているのは軽傷のように思える。


 その中に、一際小さい人影があった。

 レイフォードと同じく、五歳ほどの。


 翼のような腕に、腰から生えたもう一対の翼。

 伸ばされた夜空の髪に、今は閉じられているであろう銀の瞳。

 暗闇で見た、少年の特徴と一致していた。


 ああ、良かった。

 彼も間に合ったようだ。


 レイフォードはほっと胸を撫で下ろした。

 所々に巻かれている包帯らしき物は、少年が治療を受けたということを示している。

 今は眠っているようだが、確かに生きていた。

 彼は、助けられたのだ。


 安心しきったレイフォードは、抵抗せずに眠りに落ちる。

 次に目覚めたときには、全て終わっているのだろうと高を括って。


 そう簡単に終わるものならば、どうして魔物との戦闘に慣れている騎士団から、これほどまでに怪我人が出ているのだろう。

 どうして町は、こんなにも静かなのだろう。


 普段ならば、精霊領域に魔物が出たからと言って、街が静かになることはない。

 真夜中でも、居酒屋などの空いている店はある。

 人の気配はあるのだ。


 それがない、感じられないということはつまり、今町には人がいないということになる。

 正確には家屋にいないだけなのだが。


 明らかな異常事態。

 狂気と瘴気に塗れた、人と人あるいは怪物と人の攻戦は、幕が切って落とされたばかりだった。

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