仮定〈約束は永遠に〉
1周年記念ショートストーリー。
本編とは違った未来を辿った、所謂《IFルート》となりますのでご了承ください。
分岐点:三章十五節
少女は目覚めると、知らない花畑の中にいた。
周りには透明な花が咲き乱れ、心地良い春風が吹いている。
「……水晶花?」
「正解」
背後から聞こえたのは、少年にも少女にも思える声。
驚いて振り向くと、そこには同年代くらいの子どもが一人立っていた。
「やあ、こんにちは」
「貴方は、誰……?」
短く切り揃えられた月光色の髪。
蒼空を映した異色虹彩。
触れれば溶けて消えてしまいそうなほど、儚いその姿はどこか見覚えがあった。
けれど、何故だか思い出せない。
確かに知っているはずなのに。
知っていたはずなのに。
そんな少女の問いに答えず、それは跪いた。
まるで、結婚を申し込むときのように。
「──僕と契約してください」
一文字一文字想いを込めて。
それは、■を伝えた。
しかし、少女は何も答えられない。考えられない。
見知らぬ者からの『契約』とやらの申し込み。
打ち切りになる娯楽小説もびっくりの急展開。
本来ならば、絶対に断るべきなのだろう。
『知らない人の話を鵜呑みにしてはいけません』と両親にも口酸っぱく言われているし。
だが、無意識に断ってはいけない気がして。
少女は差し出された手を取ってしまったのだ。
「──はい」
前髪で隠れた瞳が、少し揺れたような気がした。
「……契約成立だ。やっと君の質問に答えられるよ」
立ち上がり、傷も汚れもない右手をそのままに、それは完璧な礼をする。
改めて見た、それの姿。
何度見ても自分と同じほどの年齢、同じほどの体格。
どこかで見た覚えもある。
それでも、何も思い出せない。
「僕の名前は、レイ。
今先程、君と契約した《精霊》だよ。
……今後とも、よろしくね」
花の蕾が綻んだような笑顔でそれは──レイは、そう言ったのだった。
ばっ、と少女は起き上がる。
再び目覚めたそこは見知った自分の部屋で、花畑なんてどこにもない。
勿論、レイと名乗った精霊の姿も、何も。
「……夢、だったの?」
「半分くらいはそうかもね」
悲鳴を上げて、椅子から飛び退いた。
少女が座っていた場所の右斜め後方。
その空中に浮かぶ、レイ。
「そんなに驚かなくても良くない……?」
「驚くに決まっているでしょ!
なんで、なんで貴方ここにいるの?!」
「それは……君の契約精霊だからね」
きらりん、と星が散るように片目を閉じる。
「どういうこと? もっと詳しく説明してよ!」
「良いけど……契約解除は絶対に無理だからね」
「何で!」
「そういう決まりなんだよ。君も知っているでしょ?」
ああ、そうだった。
少女は頭を抱える。
精霊との契約は、人生一度切り。
魂と結び付けるものである故、精霊の消滅以外での契約解除は出来ない。
「……いや、なら貴方を消せば……?」
「無理だよ。君じゃ僕に勝てない」
「やってみなくちゃ分からないでしょ!」
「それは勇気じゃなくて、無謀って言うんだよ……」
呆れたように肩を竦めるレイ。
精霊相手なんて、今の少女の実力では決して勝てないだろう。
しかし、それでもやらなければいけないときはある。
「さあ、勝負!
“精霊よ”──」
「はい終わり」
不意打ち気味に、少女は精霊術を発動させようとする。
が、レイが指をひと振りするだけで声を発せなくなり、無力化されてしまう。
発動速度で負けてしまえば、少女の敗北は確定していた。
「分かった?」
「……いや」
「もう……相変わらず頑固だなあ……」
『相変わらず』。
そう放った彼の言葉を、少女は聞き逃さなかった。
「相変わらずって、私貴方と初対面なんだけど?」
「ああ……えっと、そう!
僕精霊だから、ばれないようにずっと見てたんだよ!」
「うわ、気持ち悪い」
「変な意味じゃないから、勘違いしないでよ!」
言い争う二人。
その騒がしさを聞き取ったのか、使用人が様子を伺いに来た。
「ユフィリア様、どうかいたしましたか?」
「ううん、何でもない! 気にしないで!」
「はあ……承知いたしました。
何か御用があればお申し付けください」
扉越しに聞こえる足音は、徐々に階段の方へ向かって行く。
取り敢えず危機を脱したことで、少女は肩を下ろした。
「ほら、大人しく受け入れて」
本当に心の底から嫌だが、半分ほどは自業自得であるので認めざるを得ない。
本当に残念なことだが。
「……よろしく」
「うん、よろしくね」
ユフィリア・レンティフルーレ、十二歳。
高等学校へ向かう前日、不本意ながら精霊と契約してしまった。
「っていうか、貴方。性別どっちなの?」
「……うん、まあね。
もう別にどっちで扱ってもらってもいいけど、一応男だよ」
「煮え切らない答え、変なの」
酷く曖昧な答え方をした彼に、ユフィリアは懐疑の視線を向けた。
精霊は性別という概念が殆ど無く、取れる選択肢の中から自分の好きな姿になっているだけだ。
選択肢は、大きく四つの区分に分けられる。
《人の精霊》は人の姿を、《空の精霊》は空を飛ぶ生物の姿を、《海の精霊》は海に棲む生物の姿を、《地の精霊》は地上で暮らす生物の姿という風だ。
また、精霊は四つの区分から、更に『格』で細分化される。
それぞれ《下位》、《中位》、《上位》。
そして、例外である《特位》だ。
格が上がれば上がるほど精霊の知能は高くなり、姿も鮮明になっていく。
下位の精霊は光の玉のような見た目、上位はレイのようにはっきり形が視認出来るらしい。
特位の精霊は、少し特殊である。
彼らは法則に囚われない。
下位のように光の玉にも、上位のようにはっきりとした形にも。
人の姿をすることもあれば、魚の姿をすることも、獣になることも、はたまた虫になることもある。
特位となる条件は複雑で、かつ難しいらしい。
数千年生きていることが条件とも聞いたことがある。
だからこそ絶対数が少なく、数えるほどしかいない。
それに則れば、彼は《人の精霊》なのだろう。
しかも、かなり鮮明であるから《上位》の。
「……そんなに見つめてどうしたの?
やっぱり僕のこと、気になる?」
「それはもう。
自分の部屋に知らない人が居るんだもの。
気になるに決まっている」
「それはすみませんでした。
じゃあ、消えとくね。
用があるときは呼んで、すぐ出てくるから」
「……最初からやってよ」
ふっ、と彼の姿が掻き消える。
話すだけ話して消えてしまった。
なんだか疲れてしまって、ユフィリアは寝具に倒れ込む。
天井を見上げて、呟いた。
「……これから、どうなるんだろう」
将来への不安は、まだまだ山積みである。
少年は、花畑に戻って来た。
ここは少年が作った、少年のための空間。
来るべき日に、とある少女を良い雰囲気で迎えるための空間でもあった。
「……嫌われちゃった、かなあ」
身を投げ出すように、身体を花に沈める。
第一印象は、最悪の一歩手前というところだろうか。
ユフィリアは、いつになっても警戒心が高い。
『僕』として初めて会ったときは、全然そんなことなかったというのに。
精霊になってからは、どうしてこんなにも拒絶されるのだろう。
いや、どちらかと言えば特別扱いではなくなった、というだけなのだが。
「でも良かった、断られなくて」
最悪の想定は、契約の申し込みを断られること。
多分、傷付いて数百年ほど引き篭もってしまう気がする。
「頑張らないとなあ……」
雲一つない天青色に手を伸ばす。
当面の目標は、『受肉すること』。
そこためには、契約者の血肉を貰わなければいけない。
それも、源素のたっぷり詰まった新鮮なものを。
血液とか唾液とか、沢山集めれば髪の毛もいけるかもしれない。
「こんなことになるなら消さなきゃ良かったかも……いや、駄目だ。
余計に話がややこしくなりそう」
五年前の自分に殴り込みを掛けたくなるが、どうやっても現状が良くなる気がしなかったので拳を抑える。
そもそも、こんなことになるなんで当時の自分は知らなかったわけだし。
しょうがないといえばしょうがないのだ。
知っていて隠していた先生や、ヴィンセント殿下、フローレンス技術局長への怒りはまだ忘れていないけれど。
「まさか、過剰症で崩壊した人は精霊になるとか……本当に……」
「あら、また怒ってるの?」
突然現れたのは、自分よりいくつか年上のなりをした少女エヴァリシアだ。
「そりゃあ怒るよ。
僕があれだけ頑張っていたのは、いったいなんだったんだって」
「その計画、自分で壊していたような気がするのだけど?」
「……ああ、何もきこえないなあ」
そんなレイ──レイフォードの姿を見て、エヴァリシアは笑う。
「ずっと見ていたけれど、あなたの格好付けてしまう癖は死んでも治らないものなのかしら?」
「……改めて言われると凄い恥ずかしいな。
馬鹿は死んでも治らないって言うからね、そういうことだよ」
「治す努力は?」
「しても無駄」
でしょうね、と溜息と共にエヴァリシアは言う。
「まあ、良いのではなくて?
無事に契約は結べたのでしょう」
「そうだけどさあ……もう僕怖いよユフィがあ……。
前はあんな感じじゃなかったのにい……」
「自業自得ですわ、観念なさい」
「そんなあ……」
レイフォードは態とらしく両手で顔を覆い、泣き真似をする。
気にはしているが、別に心が折れるほどでもない。
契約は結べたのだ、前向きにいこう。
それくらいの心持ちでいないと、今後持たない気がする。
きっと。
「そうだ、エヴァ。お父さんの方はどうなった?」
「それがですね……やっと、聞いてくれましたの!
本当手を焼かせてくれますわ、あの頑固親父!」
ぷりぷり怒るエヴァリシア。
彼女の父親は長い間復讐心に取り憑かれ、亡霊としてこの世を彷徨っていた。
「きちんとお話をして、逝っていただけました。
『元気で健康に、幸せに生きてくれ。君の行く末が、希望と幸福に満ちた世界であることを願っている』だそうです」
「愛されてるねえ……」
「……ええ、全く」
四百年以上に渡るの彼女の苦労も、今日やっと終止符が打たれたらしい。
空を見上げて微笑む彼女の顔は、もう何も憂いなどなかった。
「これからどうするの?」
「そうですわね……あなたと同じように契約者を見つけたいところなのですが、丁度良い方が中々居らず困り果てておりますわ」
「……一人、おすすめしたい子がいるんだけど」
レイフォードを太陽だ、と言って慕ってくれた翼人族の少年。
彼はまだ、契約している精霊はいないはずだ。
「ああ、テオドール様ですね。
ですが、彼。
精霊なんて要らないのでは?」
「そうなんだよね……《先祖返り》だから、ほぼ精霊だし」
テオドールは、精霊と契約する利益が殆ど無い。
彼自身が受肉した精霊のようなものであるからだ。
精霊術というより別の神秘を扱っている現状、エヴァリシアと契約してくれる可能性は低いだろう。
「良い方を見つけるまで待ちましょうか。
生憎、待つのは得意なので」
「説得力が違う」
一際強い風が吹く。
花弁が舞い、匂いが香り、春が運ばれてくる。
「幸せ、ですわね」
「……思っていたのとは、少し違う形だけどね」
もう、レイフォードがユフィリアと結ばれる運命はないだろう。
レイフォードは人ではなくなり、ユフィリアもレイフォードを忘れてしまった。
それでも、レイフォードはユフィリアと共に最期まで居るつもりだ。
新年会の一週間後、庭園で交わした約束通りに。
だから、ユフィリアとずっと一緒に居る。
最期のときまで、ずっと。
「──ユフィリアが好きだ」
この世界の誰よりも、この世界の何よりも。
レイフォードは。
ユフィリアのことが、好きだったんだ。
「……愛されているようですね、彼女は」
「悪い?」
「いいえ、純愛とは美しいものです」
蒼穹に浮かぶ月の下、談笑はまだ続いていく。
これは、噛み合うはずのない歯車が噛み合った物語。
穏やかに少年は命を引き取り、穏やかに皆は日常を送り、希望と幸福に生きるだけ。
終わりの日は、もう来ない。
だって、どこにも終わらせられるものが居ないのだから。
機械仕掛けの神はその役目を果たし、自身を焼却炉に投げ入れた。
終末装置はまだ生まれず、憎悪と悪意と狂気の塊は夢半ばで途絶える。
つまり──この世界は悠久に平和である。
それだけだ。