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二節/2

 とある森の中、少年が木々の隙間を逃げ惑っている。

 この幅では飛んで逃げることもできない。

 千切れかけの翼では、もう飛ぶことすらできないかもしれないが。

 だが、それでも少しでも飛ぶことができれば、あの怪物との距離を離すことはできるはずだった。


 傷だらけの身体に鞭を打って、少年は走り続ける。

 行き先があるわけではない。

 ただ、あれから逃げたい。

 まだ生きたいという一心で走り続ける。


 しかし、その逃亡劇ももう直ぐ終わる。

 限界だったのだ。

 禄に栄養も摂ったことがない身体は何度も倒れかけ、意識だって半分落ちている。

 生存本能だけで少年は走っていた。


 怪物との距離は段々縮まっていく。

 少年の逃走速度は遅くなっていくのに、怪物の速度は変わらない。

 あれらには疲労という概念がないのだ。


 そして、遂に少年の力が底をつく。

 同時に怪物に追い付かれれる。

 背後から来る強い衝撃。

 

 獣のような鋭利な爪が食い込み、少年の背を傷付けた。

 怪物は大人の優に越える体躯で、地に伏せる少年へと圧を掛けていく。

 みしみしと軋む身体、駆け抜ける痛みに叫び声を上げた。

 

 抵抗しようと藻掻くも背から抑えられていることや尋常じゃない膂力により、顔を上げることさえ叶わない。

 最早声を上げることもできなくなると、怪物は少年を掴み上げた。

 口のような器官を大きく開け、丸呑みにしようとする。


 もう、死んでしまうのか。少年は悟った。


 五年という短い人生の中、少年に良い思い出というものはなかった。

 生まれた瞬間から『呪い子』『悪魔憑き』と蔑まれ、毎日毎日虐げられる。

 冷たく暗い地下でずっと首輪と鎖で繋がれ、空を見ることもできない。

 明るく暖かい世界に出ることも叶わない。


 始めて外に出たのは、奴隷として帝国に連れて行かれる時だった。

 悪魔憑きの珍妙さを求める物好きのために奴隷商へと売られ、血が繋がっているはずの家族は商人を笑って見送っている。

 哀しむことも、怒ることもせず。


 そして、少年はそこで全て諦めてしまった。

 自分が誰かに愛されるわけがなかったのだ、と。


 帝国に向かって、野を越え山を越え、最後に大山脈を越えようとした時、それらはやってきた。

 生者を求める怪物たちは、奴隷を積んだ荷馬車を襲い出す。

 少年はその拍子に運良くその場を離れることができた。


 しかし、一体だけ少年に気付き追ってきたのだ。

 それから逃れようと、暗い森の中を走っていく。

 《死の大地》と呼ばれる場所を駆けていく。


 自分はいずれ死ぬと分かっていた。

 この身体では逃げ切ることはできない。

 逃げ切れたとしても、死の大地では生きていけない。


 でも、生きたかった。

 愛されることは諦めても、最期の最後まで生きることは諦めたくなかった。

 だから、僅かにある希望に手を伸ばしたのだ。


 少年は最後の力を振り絞りって暴れる。

 少しでも時間を稼ぐために。

 救世主が間に合うことを信じて。


 滑稽な話だった。

 今まで誰も救けてくれなかったというのに、少年は救いを信じたのだ。


 神なんて信じていなかった。

 家族も、他の人々も皆崇めていた『神』。

 少年だって、願ったことがないわけがなかった。


 だけれども、気付いてしまったのだ。

 どれだけ願っても神は願いを叶えることはない、と。


 しかし、この窮地に立った今、少年は願っていた。

 神を信じていた。

 どうか救けてください、なんて都合が良いのは分かっている。

 だが、この状況で神に願わずにいられるというのだろうか。



「───死にたくない、まだ生きたい。誰か、救けて……!」



 そして、その願いを確かに聞き届ける者がいた。


 怪物の目に向かって、何かが飛んでくる。

 小さな何か。それは小石だった。

 一つだけではない。二つ、三つ、四つ。



「……こっちに来い。獣(もど)き」



 そう煽る小石の投擲者。

 どうやら、『神様』は少年を見捨てなかったらしい。






 全弾命中。

 レイフォードが投げた小石は全て魔物の目に直撃した。

 今にも少年を喰らおうとしていた魔物は、その不快感を排除しようと少年を投げ出し、レイフォードへ爪を振るう。


 解放され地面を転がっていった少年は、レイフォードに向け、逃げろと警告しようとする。


 しかし、声が出ない。

 咳き込むばかりで発声できない。


 ──ああ、殺されてしまう。


 赤い鮮血が撒き散らされ、劈く悲鳴が鳴り響く。

 そう思っていた。


 だが、そうはならない。

 魔物の直線的な動きを見切るのは簡単だった。

 足を引き半身になり、すれ違いさまに斬りつける。

 追撃を躱し、更に斬る。


 知っている。レイフォードは知っている。

 魔物の殺し方を、消し方を。

 それを行うためには、魔物の動きを止めなければならない。

 だから傷付ける。

 動きを止めるときまで、ずっと。


 いつまで経っても爪が当たらないことに業を煮やした魔物は、大きな口による噛み付きを行うことにした。

 邪魔者はそう速く動けない。

 数分間の攻防で魔物は察していた。

 

 攻撃を避ける際、奴は自身の細かな動きから軌道をを予測し、数歩で避け反撃する。

 だが、決して自分から攻撃することはない。

 数歩しか動けないのだ、あれは。


 つまり、数歩では避けられない広範囲の攻撃をすればいい。

 そして、魔物の持つ最も広範囲な攻撃は口による噛み付きだ。


 魔物は、その体躯に不相応な小さな脳味噌と知恵を振り絞り、最善を選んだのだ。

 それは、レイフォードにとっても最善だったのだが。

 

 身体の半分以上もの割合を占める、大きな口だ。

 それが迫り来る。

 三角形が無尽に並んだ歯をぎらりと輝かせて。


 レイフォードは左手を突き出す。

 逆手に持った(マチェット)ごと。


 ぐちゃりと歯がレイフォードの肩を抉った。

 同時に(マチェット)の刃が魔物の口内を抉る。


 劈く絶叫。

 鋭い痛みに顔を歪むが、休んでいる暇はない。

 抉った傷痕に刃を立て、魔物に自分を縫い付ける。

 もうこれで、逃げることはできない。


 最後の仕上げだ。

 レイフォードの右手が魔物に触れる。


 レイフォードは自身の祝福の力を理解していなかった。

 だが、今は違う。

 思い出した(・・・・・)のだ。

 使い方も、使う相手も。


 魔物の身体から光が吹き出す。

 浄化の光、瘴気で構成された肉体を殺す破滅の光。

 更に大きな悲鳴を魔物は発した。

 痛い、怖い、辛い。

 

 感じたことのない恐怖が迫り寄ってくる。

 自分を殺すためだけの存在が目の前にいる。

 

 逃げたい、逃げれない。

 ならば、殺せばいい。

 思考が一回りして戻ってきた魔物。


 だが、その判断は遅すぎた。

 噛み砕こうと口に力を込めた瞬間、自身の身体は消失する。

 純白の光に包まれて。


 ことり、と何かが落ちた。

 透明な石のようなもの。

 魔物の核である《魔石》。

 魔物が死ななければ現れることのないそれがあるということは、つまり、あの魔物は確かにその生涯を終えたということだった。


 ──《浄化》。

 レイフォードが触れられるほど近い範囲の瘴気や、それに準ずるものを消失させる力。

 それが、神から与えられた祝福だった。


 解放された左腕が、重力に従って身体の脇に落ちる。

 ぎりぎりくっついていると言えるほど、損傷は酷かった。

 万全じゃない体調と訓練も何もしていない身体では、こうやって無理をしなければ倒せない。


 しかも、まだ数百、数千匹以上いる。

 森の奥からする気配は無尽蔵だった。


 取り敢えず、少年を逃さなければ。

 唖然と見ていた翼を持つ少年の元へ、レイフォードは歩み寄った。






 夢でも見ているのではないだろうか。

 凶悪な怪物はその身体を消失させ、死ぬと思っていた少女(・・)は怪我を負いながらも確かに生きている。


 少女はふらりふらりと揺れながら、少年へと近付いてくる。

 腰の抜けた少年は呆けて見上げるばかりで、立ち上がることすらできない。


 暗い闇の中で輝く日光色の髪、青と白の瞳を持った少女。

 まるで夜空に浮かぶ太陽の如き煌めきを持つ少女に、少年は目が眩んだ。

 『神様』のようだ、なんて思ってしまうほどに。


 日が沈み、空が暗くなることで映し出される夜空に太陽が浮かぶことは絶対にない。

 だが、少年の暗闇を照らしたのは紛れもない彼女だった。

 目を焦がすような光で、先も見えない闇を照らし出したのだ。

 ありえない存在、矛盾した存在。

 それこそが彼女なのだと、焦がれながら。


 少女は右手を差し伸べる。未だ座り続ける少年に向けて。



■■■■■■(ここは危ない)■■■■(逃げよう)



 少年は少女が口を動かし、何か音を発したことは理解した。

 しかし、それが何を意味するかまでは分からなかった。


 それでも、今この手を取らなければいけない。

 取らなければ、ここで死ぬ。

 肌にひりつくような威圧感が、森の奥から伝わって来るのだ。


 自身と違う、柔らかで靭やかな手を取る。

 へたり込んでいた身体がぐいと引っ張り上げられる。

 二人で並び立てば、少女は少年が走ってきた反対方向に顔を向けた。

 あそこに行けば、何かがあるのだろうか。


 疑問も不安もある。

 だが、現状信じられる者はこの少女しかいない。


 不思議な双眸が灯す光だけを信じて、二人は森を駆けていく。

 満身創痍の肉体で、あるはずの希望を目指して。

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