十三節/4
これは、ジークが目覚める数時間前の話。
とある少年と女性が、お茶の合間にただ事実を照合するだけ。
何の変哲もない、世間話のようなものだ。
「ここからは、互いに嘘はなしにしよう。
吐いたところで特に得することもないからね」
「いいんですか?
僕は構いませんが……お仕事上の都合もあるでしょう?」
思い浮かぶのは、彼女の上司の顔。
初見は昼行灯という印象を受けるが、実際は正反対な御人である。
「実は、既に上司からの許可は貰ってるんだ。
きみもそうだろう?」
「そうでなければここに来ませんよ」
少年も、直属の上司から今回の『お茶会』で話す内容の許可を貰っていた。
二人が話すべきものは、公にはお見せできないものなのだ。
「それはそうだ。
まあ、そう固くならず、自然体で行こうよ。
今日はただ『楽しいお話』をしに来ただけなんだから、さ」
「そうですね。……では、まず僕からお話しましょうか」
黒い霧事件当日、負傷したジークへ行った処置。
その詳細について、少年は語る。
「ご存知だと思いますが、僕の干渉力というのは、現在を生きる『人』の中では最高に位置します。
並大抵のものは、抵抗されずに干渉することが可能です」
「『人』……ねえ?」
「話の腰を折らないでください。
僕としては、まだ『人』のつもりなんですよ」
「おっと、すまない。続きをどうぞ」
にやけ面で含みのある言い方をする女性を、少年は軽く睨み付ける。
発言した本人も、気にしていることだった。
飄々とした態度で謝罪する彼女へ小さく溜息を吐き、話を続ける。
「……例に漏れず、ジークさんの魂への干渉は特に問題なく行うことができました。
ですが、彼の魂は……その、随分と歪な形でして。
だというのに、それが『正しい形』として定義されている。
まるで、初めからそうであったかのように。
……いいえ、『ように』ではありませんか。
『そうだった』のでしょう?」
少年の中では、確信めいた考察。
今までの人生で見てきた幾人もの魂に裏付けされた、真実に近い答えである。
「ああ。
細かいところまでは分かっていないけれど……ジークは、そうなるように生み出された。
あいつは、初めから『魔物の寄生先』として作られた生命体だ。
『人間』とするには、いささか欠陥品すぎるな」
「それは、例の《教団》で?」
「そこまでは。ただ、『外』の産物であることは確かだ。
そして、何らかの理由で、この国に送り込まれてきたということも。
……まあ、見当は付いているんだけど」
──教団。
それは、現在、アリステラ王国の仮想敵であり、最大の脅威。
我が国への干渉は二十年ほど前からだが、調査によれば、四十年ほど前から存在しているらしい。
聖典を用いて道理を解き、頭を垂れて神へ祈る姿は清純かつ典型的な宗教像そのものだが、その裏では、残虐非道な所業を行っていた。
誘拐した者や、強引に奴隷とした者の人身売買。
信者の洗脳や、『神の裁き』と称した侵略・略奪行為。
挙げればきりがない。
しかしながら、善良な信者の総数も一都市を築けるほど存在する。
一面だけでは語れない組織である。
「そういえば、きみの周りには多いよね。教団の関係者。
実の肉親の手で売られた翼人族のテオドールくんに、人体実験の結晶であるオルガくん、暗殺部最上位層のセレナさん。
で、ジーク。
いやあ、きみは面倒を引き寄せるのが上手いね。惚れ惚れするよ」
「偶然ですよ、偶然。
……それで、『見当』というのは?」
「言わなくとも分かってるだろう、きみなら」
「買い被り過ぎですよ。僕はただの子どもです」
「技術局の虎の子が何を言う。その気になれば、きみは世界をひっくり返すこともできるじゃないか」
「そんな恐ろしいこと、するわけがないでしょう」
「……否定はしないんだね」
「過多の謙遜は嫌味になりますから」
女性は乾いた笑みを零す。
淡白だが、どこか上品な仕草だった。
「いいだろう。私の口から、《情報局》の見解を述べようじゃないか」
──《アリステラ王国情報局》。
この国の暗部とも言える、仕事人の集団だ。
情報局の名の通り、彼らはこの国の『情報』の取り締まりを行っている。
国に不都合な情報を潰し、国民には都合が良い情報だけが流れるよう細工する。
そうすることで、国民の思想を統制し、国の安寧へ尽くすのである。
彼らは、基本表に出てくることはない。
正体を知られること自体が、大きな問題を引き起こす可能性があるためだ。
表沙汰になる場合、彼らの活動は、騎士団や技術局として偽装される。
国家ぐるみの偽装を見破る者は、国内でも片手で数えられるほどだろう。
騎士団や技術局を表とするならば、情報局は裏。
表裏一体であり、どちらもなくてはならない存在だ。
そんな彼らは、今回の件やあの事件のことを誰よりも把握していた。
情報だけを用いた単純な考察ならば、彼らの右に出るものはいない。
「根幹となるのは、『教団は王国を敵視している』ということだ。
彼らは、神秘を扱う者を一律して《悪魔憑き》としている。
外の世界には、精霊術どころか源素すら存在していなんいんだよ」
「建国記に謳われる最果ての地。
世界崩壊からただ一つだけ生き残った、最後の『人』……それが僕らアリステラ王国民ですよね」
アリステラ王国建国記では、この世界は一度滅亡の危機に瀕したとされている。
人智を超える怪物の力により、世界は崩壊し、まだ都市国家テラリアの民であったアリステラ王国民も死を覚悟した。
そのとき、彼らの前に一人の少年、あるいは少女が現れる。
白衣と白髪をなびかせながら、並外れた美貌を持つその人は空から舞い降りた。
そして、迫り来る怪物たちを一掃し、それらの王であった存在すらも消し去って、皆を救ったのだ。
しかし、後の初代国王となる少女エリネに力を与えた後、間もなく、その姿はどこかへ消えてしまった。
怪物を倒した後に世界は、瞬く間に修復された。
あの荒廃振りは見る影もなく、青々とした木々や草花が生え揃い、空と海が澄み渡り、新たに命が生まれ落ちた。
その奇跡に人々は歓喜し、また彼もしくは彼女へ感謝と尊敬の意を持った。
そして、あの方を『神』とし、王族を神の代弁者である《《神使》》とした。
アリステラ王国民の使命は、神に守られたこの地を永遠に守り続けること。
だからこそ、悠久の理想郷の名を冠する。
だが、反対に、救われなかったものたちは、どうなったのか。
当然、すべて滅びた。
たった一つも残さず、絶滅した。
足掻きも願いも、何も意味がなかった。
それは、世界が修復された後も変わらなかった。
修復は、『時間遡行』ではなく『補填』。
失われたものを、他のもので補うことで成されていたのだ。
昔と似ているようで、まったく別物のそれらは、作り直された環境に適応して進化する。
源素も精霊も失われた、神秘なき世界の基盤に合わせて生きていくのだ。
「外の世界は、精霊の血族と先祖返りという特例を除けば、人型種族は人間しか存在していないんだ。
彼らは神秘を扱う力も、感知する力も持ち合わせていない。
……というより、『ない世界』に適応したが故の形かな。
『人』と『人間』は、生物的には同じだからね。
そうそう、教団の連中は私たちを《妖精》と呼んでいるみたいだよ。
『人間を模った、ただの怪物』という意味だそうだ。
酷い話だけど」
「彼らからすれば当然の帰結でしょう。
なにせ、子どもでさえ、指一つで人を殺められるのですから」
己の理解の埒外にあるものほど、怖いものはない。
神秘を知らない者からすれば、無から炎や水が生み出される光景は、到底信じられないものだろう。
そして、少しでも頭が回る者であれば、それが自分の命どころか、多数の生物を殺し得る力だと気付く。
更に、それを自分たちが持ち得ないということも。
「その通り、あちらは私たちを脅威として認識している。
自らの生を脅かすもの。
今は無害でも、それはいつか害をなすかもしれない。
だから、先に滅ぼそうとする。
まあ、無理のない思考だ。
誰だって死にたくはないからね」
「けれど、彼らは直接攻め込んでは来なかった。
正面戦闘ではこちらに利があるから、ですね?」
「ああ。
国民一人ひとり、それも子どもですら脅威となる。
戦力差は歴然、士気は最悪だろうさ」
少年はまだ十二歳ほどである。
しかし、彼が扱う神秘には、数万人を殺せるような力すらも存在する。
連発できないとはいえ、少年と同じことができる者は、彼が知る同年代の者の中だけでも五人ほどいた。
「……だからといって、無差別に危害を与えていいとは限らない。戦争とは、本来兵士だけが戦うものです」
「『戦争』なら、だろう。これは戦争じゃない。ただの殺し合い、生存競争だ。勝利条件はね、相手の『支配』じゃなく、『殲滅』なんだよ」
少し冷めた紅茶を口にする。
香りも、味も、落ちているわけではないというのに、どこか美味とは思えなかった。
「今回の件、そして今までの件も含め、情報局は一つの結論を出した。
それは──『教団』によるアリステラ王国の侵攻、及び国民の殲滅。
そう遠くないうちに、彼らはここにやってくる。
幾千もの兵士と幾億もの刃を手にして、ね」
机に肘をついた女性は、値踏みするよう目を細める。
「そこで、私たちはキミに助力を求めたいんだ。無論、タダでとは言わない。キミが望むもの、すべてを渡そう。地位、名誉、財宝……私達にできるものなら、何だって差し出そう」
──それだけで、この国を守れると言うのなら。
「……条件があります」
「いいよ。大抵のものなら受け入れるさ」
そうして少年は、三つの条件を出した。
「一つ、僕以外の人間にこの取引を持ちかけないこと」
「ふむ、キミさえいればどうとでもなる。いいだろう」
「二つ、作戦実行時に教団以外の者がその場にいないこと」
「……兵士を下げろ、ということなら。
要はキミを見なければいいんだな?
なら、どうとでもなる」
「そして、三つ。
──これを、僕が軍部と行う、最後の取引にすること」
女性の口が孤を描く。
狐か狸か、腹の中を見せない狡猾な笑みがくつくつと溢れ出した。
「……ああ、勿論だとも。
これで交渉は成立だ。
キミには、来る日にこちらの最終兵器となってもらう。
そのために、軍用の大規模戦闘術式を習得してもらおうか」
「位階は十ですね?
丁度、全力で源素を操作しても壊れない杖を手に入れたところなんです。
下手に自然を使うより、圧倒的な『力』で潰した方が早い。
時間か空間、もしくは両方に干渉できるものを希望します」
「了解、宮廷精霊術師の皆様に言っておくさ。
『理論上可能なだけの最高にバカな術式でも作ってみろ』ってね。
……ちなみに、その杖を見せてもらうことは?」
「丁重に扱ってください。僕以外が扱うことを想定していないので、一歩間違えると源素枯渇で死に体になります」
「うっへ、じゃあ見るだけにしておこうか」
少年は、前腕に固定した杖──とは言葉ばかりの透明な板を取り出す。
これは、二年ほど前から開発を続けていた少年専用の杖。
そして、いずれ軍の標準装備となる杖だ。
板状に加工した精霊石数個を源素融和率が高い金属で固定したもの。
広げた手ほどの大きさで、杖としては小型の部類に入る。
機能は二通り。
一つは単純な『杖』としての機能。
杖を軸に源素を操作し、精霊術を扱う。
補助装置としての運用だ。
そして二つ。
特定の機構──『引金』と呼ばれる箇所を引くことで、源素を持つものなら誰でも簡単に『弾丸』を放つことができる、すなわち凶器としての運用。
精霊術を扱うとなると、大なり小なり専門教育を受ける必要がある。
そして、向き不向きもある。
この国でも、多少の源素の操作しかできないという者は存在するのだ。
だが、この杖はただ引金を引くだけで弾丸と呼称される簡易術式を陣なしで使用することができる。
それは、精霊の助けなしで神秘を起こすということ。
すなわち、『禁呪』そのものであった。
「まさか、禁呪を一般化しようとするなんてね。
しかも、それ時空間干渉だろう?
どうりで消費源素量が多いわけだ。
狙いをつけて、引金を引けさえすれば、防御関係なく風穴が開く。
まさに人殺しのために存在する道具だよ。
戦争でもする気だったのかい?」
「……貴方がそれを言うんですね」
「開発期間から逆算すれば、そう言うしかないだろう。
もしや、キミは相当前から『こうなること』をわかっていたのかな?」
少年は、手の内でくるりと杖を回す。
『自分』は何の経験もないくせに、それはよく手に馴染んでいた。
「……わかっていた、わけではないですね。
ただ、もっと……もっと僕は強くならなければいけないと。
守らなければいけないと。
漠然と、そう思っていたんです」
「ふむ、英雄願望の類いじゃないね。
おそらく、使命なんだろう。
それが、キミが生まれた理由なんだ」
あっけらかんと、女性はそう口にする。
使命。
この感情をまとめるには、あまりにも短く、けれど的を射ている言葉。
誰かを救うこと。
誰かを守ること。
──そして、終わらせること。
ちっぽけな子ども一人の力では果たせるはずもない使命に、少年は囚われているのだ。
手の内に輝く透明な石は、鋭利な冷たさが宿っていた。
「……一つ、訊いてもいいですか」
「ああ、どうぞ」
「役目を放棄する人って、どう思いますか?」
想定外だったらしい少年の質問に、彼女は一瞬目を見開いて、しかしすぐに笑い飛ばす。
くだらないと、吐き捨てるように。
「そうだな。私は、そいつのことを──『ろくでなし』だと思うよ」
使命とやらが、例えば牛乳を買ってくるだとか、祖母の家に荷物を届けに行くだとか、そんな子ども騙しのものであったら、どれだけ良いことだろう。
たった一人の子どもが成し遂げられるものであれば、どれだけ良かったのだろう。
あり得もしない夢を、少年はいつまでも思い描く。
きっと、少年はいつか、多くの人を殺さなければいけない。
終わらせるために、殺さなければいけない。
そのとき、少年はもう『少年』と呼べる歳ではなくなっているかもしれないが、少年の心はずっと変わらない。
──ああ、やりたくないなあ。
人でなしで、それでも『人』の皮を被って。
ろくでなしで、それでも『真面目』の皮を被って。
今日も少年は、自らの役目を果たそうとする。
できるわけないだろ、と誰にも聞こえない愚痴を零しながら。