十三節/3
静かに扉を開けると、ユフィリアが壁に寄りかかって待っていた。
「お疲れ様。……どうだった?」
「もう大丈夫だよ。
錯乱している様子もなかったし……寧ろ、少し前向きになったのかな。
自分のこと、よく考えてみるってさ」
「そう。なら良かった」
事件の翌日、昨夜の事情聴取を終えた二人は、レイフォードがジークに行った『治療』の仔細を伝えるため、彼が目覚めるまで待機していた。
そして、一度様子を見に行こうとレイフォードが立った時、丁度良くジークは目覚めたのだ。
「まさか、半年くらい前のあの男がジークさんとは思わなかったなあ。
雰囲気、大分違うんだね」
「それに関しては後で殴……りはしないけど、文句くらいは言ってきたよ。
仕方がなかったとはいえ、彼に非がないわけじゃないから」
『あの男』とは、高等学校の入試前、買い出し中のユフィリアが遭遇した軽薄な男である。
事件時は余裕もなく思い出せなかったが、改めて顔を見た時、あの時の彼だと気付いたのだ。
「……で、教えてくれるんだよね? 今回のこと、全部」
「聞き耳立ててたのに、要る?」
「要ります! どうせ本当のことなんて半分くらいしか言ってないんでしょ?」
「ご明察」
レイフォードは幻聴の術式を構築し、二人の会話の内容を悟られないようにする。
今回の事件は、例の規定に接触するものであるからだ。
「どこから話そうかな……とりあえず、事件直後の話をしようか」
「何かあったの?」
「変な人がいたんだよ、僕らを……いや、事件を監視していた人かな。
霧の中に居たみたい。
晴れてからはすぐ逃げちゃったんだけど」
魔物を討伐した直後、レイフォードは自分たちに向けられる気味の悪い視線に気付いた。
即座に探知の術式を使い、その視線の主の居所を知ると、待機していたラウラに連絡して追わせたのだ。
「ふーん。その人が……」
「今回の事件の犯人だろうね。
……ただ、その人からは、もう何も聞くことはできない」
「口封じ?」
「多分」
具体的に言う前に察したユフィリアが、レイフォードの考察と同じ意見を口に出す。
ラウラに追わせて始めて数分後、彼女から来た連絡は、『対象死亡、情報無し』というものだった。
話を聞けば、王都の外に出た瞬間、糸の切れた人形のように亡くなったらしい。
遺体から情報を抜き取れるかも試したらしいのだが、記憶は綺麗さっぱり消されていた。
だからこそ、口封じという可能性を考えたわけなのだが。
「黒い霧の実行犯は亡くなった。
でも、それで終わりじゃない。
この件の裏には、何か思惑が隠れてる。
……それも、相当碌でもないものが」
「『あの事件』との関連は?」
「……どうだろうね。別口の可能性もある。
ただ、最終的に行き着く先は同じだと思うよ」
五年前の事件であの男が用意していた凝縮黒血。
今回の件での寄生型魔物。
どちらも、人を媒介にした魔物化であることに違いはない。
そして、五年の月日を得て、その魔物化は『人型』へ近づいてきている。
魔物は人型に近ければ近いほど知性が上がり、形が明確になればなるほど強力になる。
もし、完全な人型の魔物が現れたのならば、被害は甚大なものになるだろう。
「……じゃあ、そのときが来たらどうする?」
「逃げるよ。
僕はそっち方面は専門じゃないし、祝福だって万能なわけじゃない。
……でも」
ユフィリアを見て、レイフォードは微笑む。
「そこに守らなきゃいけない人がいたら、戦うよ」
君は、いつもそうやって私を守ってくれる。
ユフィリアは、何度も見た彼の背中を思い出す。
けれど、もう守ってもらうばかりではいられない。
「なら、私も一緒に戦う」
「……どうして?」
ゆっくりと瞬きをしたレイフォードがそう聞いた。
彼の瞳には、不安と困惑が滲んでいる。
「レイと一緒だよ。守りたい人がいるから、戦うの」
「……危ないよ」
「それはレイも同じじゃん。
寧ろ、戦闘に関しては私のほうが強いでしょ?」
「……怖いんだよ」
「何回戦ってきたと思ってるの。私、そんなに弱くないから」
食い気味に、ユフィリアは答える。
そうでもしないと、レイフォードは納得しない。
彼は自分を放って他人を気遣うきらいがある。
ユフィリアはそれを良いと思ったことはない。
美徳であるかもしれないが、それで自分を疎かにするのはいけないことだと考えるからだ。
しかし、レイフォードのそういうところが好ましい。
彼の手を取り、目を合わせる。
青空色の瞳と。
「私ね、もう一人は嫌。
後ろで待ってるなんて性に合わないもん」
きっとこの先も、いくつもの困難が待ち受けているだろう。
もしかしたら、酷く傷ついてしまうときもあるかもしれない。
離れ離れになるようなことも、あるかもしれない。
それでも、君と共に居たい。
君の手を離さない。
「──……約束しようよ。
君が私を守るとき、私も君を守る。
一方的に愛せるだなんて思わないでよね」
そう言うと、レイフォードは困ったように笑った。
「……まったく、君には敵わないよ」
真夏の夕焼けの元、手を繋いだ二人は帰路に就く。
二人だけの、秘密の会話を交わしながら。