十二節/2
飛び出し向かってくる蔓を切り払う。
縦横無尽に襲い掛かってくるが、落ち着いて対処さえすれば問題ない。
唯一の懸念は、この蔓があの青年にどう影響を与えているかなのだが。
「全く反応してない……!」
いくら切り払い、落としたとしても、宿主となっている彼の表情は変らない。
苦しそうな顔は、遭遇時から続いている。
切断の影響ではないことは明白だった。
「埒が明かない……根こそぎにしないと意味がないの……!」
斬り落とされた蔓は、数秒後には黒い霧になって消えてしまう。
そして、切断部位が霧のようになって再生する。
武器というよりかは、物理攻撃自体の相性が悪い。
精霊術が使えれば。
そう願わずにはいられないが、生憎この空間には源素も精霊もない。
短杖に刻まれている術式は形状変化のみであるため、術式による攻撃は不可能だった。
戦闘の余波がローザに及ばないように注意し、相手を引き付ける。
青年の理性は、今はほぼ無い。
あの花に寄生されていると見て間違いないだろう。
そんな魔物がいるとは聞いたことがないが、『正体不明』の名をほしいままにするのが魔物だ。
そういうものもいるのだろう。
一分の確率で、あれが青年の形を模った魔物という線もある。
だが、ありえないと切り捨てて構わない。
ほぼ完全に人に擬態できるほどの格の魔物にしては、どうにも動きが鈍いのだ。
魔物は、形がはっきりすればするほど、格が高くなり、人型に近くなるほど知性が高くなる。
あれが青年ごと魔物であるならば、ユフィリアはもう生きてはいないだろう。
機敏に自身を狙う蔓をいなし、斬り。
それでも終わりの見えない戦いに、息が切れ始めている。
持久戦に持ち込まれれば、先に落ちるのはユフィリアの方だ。
ただの人と怪物では、どうしても怪物の方に軍配が上がる。
更に、あの花。
未だ蕾であるが、あれが咲いてしまえば何が起こるか分からない。
だからこそ、早期決着が必須なのだが──。
「手数が足りない! 決定打が足りない! 何もかもが足りない!
ああもう、こういうときに……」
彼が、いてくれれば。
月光のような金髪を揺らす、彼の後ろ姿を思い描く。
ユフィリアの心には、ずっとあの日の景色が刻まれていた。
────……ごめん、遅くなった。
彼はそう言って、ユフィリアをあの男から庇い、短剣に刺された。
そして、その短剣を使い、彼に引導を渡して、そこで生命を使い果たした。
身体は、とうの昔に限界を迎えていた。
内から源素に侵され、肉体そのものが人から変質してしまっていた。
そこに、損傷という影響を与えてしまえば、どうなるかは分かりきったことだったのだ。
憶えている。
ユフィリアは、ずっと憶えている。
あの日、彼が消えたことを。
あの日、自分が彼を創り直したことを。
知っている。
ユフィリアは、きっと知っている。
あの日から、レイフォードが『人』ではなくなってしまったこと。
あの日から、ユフィリアがレイフォードを『人』でなくしてしまったこと。
『人』として創ったはずだった。
けれど、彼は『人』ではなくなった。
それは、世界の意志であり、『誰か』の意志であり、他の誰でもないレイフォードの意志であった。
結局、彼は定められた役目を捨てられなかったのだ。
その名に刻まれている故か、それとも、その『魂の記憶』故か。
何度彼が死に、何度ユフィリアが創り直したとして。
二人が本当の幸せに辿り着くことは、できないだろう。
『人』と『神』では、格が違いすぎる。
人が神と結ばれるのならば、己の格を上げるか、相手の格を下げ、同格にするしかない。
しかし、その点において、ユフィリア・レンティフルーレという少女は、どうしようもなく『人』だったのだ。
この事実を知らなくとも、かの少女は本能的にそれを理解していた。
レイフォード・アーデルヴァイトとユフィリア・レンティフルーレは、最後までともにいることはできないのだ、と。
──だが、それがどうした。それが、何の障害になる?
ユフィリアは、深く息を吸う。
青年と魔物から距離を取り、右手に握る剣の形を変える。
ユフィリアは、ただの人だ。
テオドールのように精霊に近くもなければ、ローザのように精霊と同化しているわけでもない。
ラウラのように偉大な精霊でもなければ、他の寮生たちのように特殊な出自なわけでもない。
そして、レイフォードのように、世界に愛されているわけでもない。
しかし、しかしだ。
それがいったい、何の障害になるのだろう。
ただの人だ。
だが、ただの人だから負けるなんて道理はない。
ただの人だ。
だが、圧倒的な力の前に挫けなければいけないなんて道理。
彼の周りにいる者に比べ、ユフィリアの力が劣っているのは変らない事実である。
過去も、今も。きっと、これから先も。
それは、不変の事実である。
それでも、ユフィリアはレイフォードの隣に立つことを選んだ。
彼と並ぶことを選んだのだ。
彼とともに、未来を歩むことを決めたのだ。
だから──。
「こんなところで、諦めていられるか──!」
振り被る。
細く、鋭く、槍のように変えた白銀。
手数がない? ならば、一度ですべて吹き飛ばしてしまえ。
決定打がない? ならば、一撃にすべて掛ければいい。
それは全身全霊の一撃。
全ての源素を込め、作り出したその一槍を手に、ユフィリアは駆ける。
襲い掛かる触手に気を取られることはない。
ただ実直に、花に向けて疾走する。
目指すは、青年と根の接続部。
彼から、あの花を引き剥がす。
意識が、己と目標にだけ絞られる。
音が世界から消えていく。
光と影しか、分からなくなっていく。
瞬きの間に詰められた距離。
触手に裂かれた肌の痛み。
驚愕により見開かれた青年の瞳。
余計なことを考える余裕はなかった。
ユフィリアの頭には、『刺し穿つ』という言葉しかなかったのだった。
時間にして約十二秒の攻防。
触手を躱し、青年に接近し。
そして、ユフィリアは己の右腕を前に突き出した。
白銀の一閃が未開花の蕾を貫く。
肉を刺したような感触の後、弾ける黒い血。
それを撒きながら、花は青年から剥がれていく。
──『人』を舐めるなよ、怪物風情。
どこか悔しそうに散る花弁に、心の中で吐き捨てた。
そして、花を貫いた槍が地面に刺さる。
もう、触手は動かない。
花は命を散らしたのだ。
動くはずがなかった。
討伐完了。
動かぬ死体から槍を引き抜き、背後に居るであろうローザへ振り向く。
壁に持たれていた少女は、ようやく意識を取り戻したようで、重い目蓋を何度か開閉させていた。
一先ず無事だったことに安堵し、ユフィリアは彼女の元へ駆け寄った。
未だ晴れぬ黒霧。
消えない死体。
どこか存在していた違和感に、気付くことなく。
「──まだだ! ユフィリアくん、後ろ!」
己の失態を把握したのは、その声を聞いてからだった。
「──……あ」
それが表したのは、恐怖か驚愕か。
もしくは、至らぬ自分への失望か。
大きく膨れた黒の巨体。
貫いた花弁から滴り落ちる液体。
脳裏に過る、ある少年の言葉。
────ユフィはいつも詰めが甘いんだよ。
『これで終わり』って油断したときが、一番やりやすい。
確実にやったのか確認してから背を向けろっての。
ああ、どうして自分はこうも愚かなのだろう。
少し離れただけで、戦場の勘も鉄則も忘れてしまうなんて。
避けることもできず、ただ見上げることしかできない。
ユフィリアのがら空きになった首筋に、それは根を伸ばしていた。