十二節〈徒花に届け、白銀の光〉/1
ユフィリアとローザは、配達用の木箱を抱えて、商店街を歩いていた。
「すまないね、ユフィリアくん。私の仕事を手伝わせてしまって」
「いいよいいよ。どうせみんな遅いし、レイたちは技術局に行くって言ってたし……丁度良い暇つぶし? みたいになったもん」
「それでも、後でお詫びに何か茶菓子でも持っていくよ。
何か好きなものはあるかい?」
「何でも好き! ……でも、みんなで食べられるものだと嬉しいかも」
「きみらしいなあ……」
重いというほどではないが、確かに重量のある木箱。
これの中身は、ローザが夏季休暇中に部活の合宿で採集してきた紅茶の茶葉だという。
「まさか、運送会社が魔物に襲われて配達が遅れてしまうとは……。
しかも、運悪くわたしのものだけとは、予想できなかったな」
「南部にそれくらい強い魔物が出るなんて珍しいよね。
運搬してた人は、怪我無かったんだって?」
「ああ、積荷も無事だ。しかし、馬車が壊れてしまってな……。
事後処理や破損の点検もあって、五日も遅れてしまったらしい」
「仕方ないね……東部だとあるあるだけど」
「やっぱりおかしくないかな、東部。
というかそれ、割と業者が追い払ってるだろう」
「うん」
「普通は抵抗できないんだよ……何なんだ本当に『修羅の東部』は……」
呆れるローザに、笑うユフィリア。
東部において、どれだけ可憐な少女であっても低級の魔物は倒せるという都市伝説めいたものがある。
これは、それなりに事実である。
東部の教育は、何故か戦闘も含まれているのだ。
『東部の女と結婚したいのなら、まず強くなれ』。
他地域の男がよく言われることの一つである。
「まあ魔物と隣合わせだし、当たり前じゃない?
北部だって似たようなものでしょ」
「北は魔物より野生動物の方が多いからね。
熊くらいは殴り倒せるけど……流石に魔物は無理だよ。
野生動物の知識は合っても、魔物に対する知識はないのだから」
そんなものかと雑な返事をし、ふと木箱の匂いを嗅ぐ。
茶葉が入っているのなら、紅茶の匂いがするだろうと思ったからだ。
しかし、全く匂いはしない。
包装が完璧な証拠である。
「これは、その『知識』の一つ?
木箱の構造上、どこからか匂いはすると思ったけど」
「そうとも言えるかな。
動物には嗅覚が鋭いものもいてね、臭いの強いものは完全に密封するようにしているんだ」
配達用の木箱というのは、軽いが頑丈な木箱の中に、緩衝材と防水の布が貼られている。
梱包時は、極力空洞を減らした後、最後に専用の紐で締めるのだ。
中に布が貼ってあるとはいえ、臭いの強いものは近付いて嗅いでみると臭いがすることが多い。
会社によっては、臭いのあるものは別で配達することもあるくらいだ。
ローザの配達が遅れたのは、その辺りの事情もあったのだろう。
「文化祭前に届いて良かったね。環境調査部の出店で使うんでしょ?」
「うちは喫茶店だからね。
総勢十五名による独自配合のお茶を提供するよ。
勿論、茶菓子もあるよ?」
「行く! 絶対行く!
風紀の仕事もあるけど、絶対行く!」
「そう言ってもらえると嬉しいなあ。
……あの衣装を着なければならないのは憂鬱だけれど」
「いいじゃん。似合ってたよ?」
「別にわたしは好き好んで男装しているわけじゃないんだよ……。
何でわたしだけ執事服なんだ……! いや、男性の中で女中服を着る人もいるが……!」
「似合うから! 安心して!」
「そういう問題じゃない……」
興奮するユフィリアに、遠い目をするローザ。
着こなしを確認するため、一度ユフィリアの前で文化祭用の衣装を着たことがあるのだが、そのときも彼女はローザを褒めちぎっていた。
ユフィリアの趣味の一つに、他人を着飾るというものがあるからかもしれない。
主に被害に遭っているのはレイフォード、次点でテオドールなのだが、今回はその矛先がローザに向かったというわけだった。
「ローザに女中服が似合わないってわけじゃないよ?
執事服が似合いすぎるってだけ。
もう『本職?』っていう域だもん。
実際に見てる私が言うんだよ? みんなそう思ってるって」
「そうかい……また男と思われるんだな、わたしは」
「……女中服来てても女装とか言われそう」
「流石に傷付くよ、それは!」
学生らしい他愛もない会話をしていると、ユフィリアにとある術式が掛かる。
「ん……? レイからだ。用事終わったのかな」
「ふむ。もう遅い時間だからね、安否確認かな」
「あ、そういえば遅くなるって連絡してなかったかも」
「尚更そうだろう。付き合わせた手前、非難はわたしがうけるからね」
「もう、気にしないでってば」
あまり帰りが遅くなるということがなく、すっかり失念していたユフィリアは、彼からの思念伝達を取る。
脳に直接響くような音。
もう慣れたが、始めは驚いたものだった。
レイフォードは、二人を迎えに行くと話している。
そのために、何か目印を見つけなければならないだろう。
周囲を見渡し、彼がこちらまで歩ってくる時間を考えると、商店街の東の端にある旗が目に付いた。
「目印は、東口にある旗の下で……あれ?」
そこで、ユフィリアは異変に気付いた。
思念伝達の術式が途切れかけていたのだ。
周囲に何か妨害するものでもあるのかと、再び見渡す。
そして、『それ』を見た。
「……何、これ。霧……?」
「……様子がおかしい。今にでもここを離れるべきだ」
「そうだね。人の気配が──」
衝撃。
それは、背後から来た。
「……ローザ?」
ユフィリアは、ローザに背を向けて立っていた。
ローザは、ユフィリアの背後に立っていた。
だから、この衝撃は。
人が倒れ込んだような重さは、どう考えてもローザのものなのだ。
咄嗟に瞑ってしまった目を開く。
自分に覆い被さるように倒れるローザ。
ふと、彼女の肩に触れた。
ぬるりとした、気色の悪い感覚。
ユフィリアは、それが何であるかを知っていた。
「……え?」
それは、血だった。
間違えようもなく、ローザの血液であった。
撃ち抜いたような傷口。
溢れ出す緋色。
ユフィリアは、事態を理解した。
「──〝精霊よ、我願うは堅牢の城。
我を、皆を護りたまえ〟」
──〝堅牢たる我らの城〟。
周囲に構築される防御術式。
移動することはできなくなるが、ここで下手に動くのは危険だろう。
そう、思っていたのだが──。
「発動、できない?」
確かに、ユフィリアは自身の声に源素を載せた。
そこにいるはずの精霊に語り掛けた。
だが、精霊からの返答はない。
それは即ち、この場に精霊がいないということ。
この空間が、世界の法則から外れたということと同義であった。
気を失っているローザを引き摺り、壁を背にする。
傷口の出血は、まだ止まっていない。
周囲を警戒しつつ、強く圧迫する。
先程まで大勢いた人の気配が存在しない。
そして、ローザの肩が撃ち抜かれ、今こうして気を失っている。
それは、二人が他と分断されたこと。
二人が狙われて隔離されたことを証明している。
二人の身長差からして、本来それはユフィリアの東部に命中するはずだった。
しかし、ローザが庇い、大勢を崩したことで狙いが外れ、彼女の肩に命中した。
通り魔的犯行というには、些か限定的だろう。
二人を──否、ユフィリアを狙って行われたことだと考えるのが妥当だ。
辺りは、黒い霧に包まれていた。
通りの奥に行くほど深く、ユフィリアたちの周囲になるほど浅くなる。
黒、精霊術が使えない。
この二点から、ユフィリアは五年前の出来事を思い出した。
「……同じ、だ」
こうやって、誰かの血で手を染めることも。
自分の無力さを嘆くことも。
あの時と全く同じであった。
ローザが受けた傷は、致命傷ではない。
しかし、すぐに止血しなければ失血死の可能性だってある。
そうなると、今すぐにでもここから脱出しなければならないのだが。
「……やっぱり、そういうこと」
それは、難しいのだろう。
誰かが、こちらに向かって歩いてくる。
千鳥足で正気だとは思えない。
それでも、こちらに向かってきている。
幸い、今日は授業で精霊術を使う機会があり、杖を携帯していた。
精霊術は使えないが、形状を変更して武器にするくらいはできる。
刃渡りは二尺、刃は薄く、しかし広めに。
切断に重きを置いた直剣にする。
ユフィリアのような女の力でも容易く切れるようにするためだ。
足音からして、相手は鎧を付けていない。
不意を付ければ、戦闘能力を奪うことくらいはできるはず。
剣を構える。
足音が聞こえる方向へ、切先を向ける。
いつでも掛かってこい。
そう挑発するように。
宵闇の中から、それは姿を現した。
色褪せた金髪に、すらりと伸びた手足。
白を基調とした皺の付いた衣服。
大凡の形は、年若い青年。
だが、『ただの青年』と言い切れない『何か』があった。
それは──
「魔物……?」
青年の肌に黒が根を張っている。
瘴気を撒き散らすそれは、もう直開花する蕾のようであった。
ユフィリアは、青年に対話を試みる
「そこの貴方! いったい何者ですか?!
この霧や先程の狙撃について、何か知っていますか?!」
声が聞こえなかった、ということはない。
虚ろな瞳の彼は、ぴくりと反応した。
同時に、ぽつり、ぽつりと何かを呟き始める。
離れた距離では、彼の言葉を完全に聞き取ることはできない。
しかし、ユフィリアはとある二つの言葉だけは、聞き取れていたのだ。
『見つけた』。そして、──『逃げろ』。
それを告げた、美丈夫であろう青年の顔は酷く歪んでいた。