十一節/2
ユフィリアたちの身に、危機が迫っている。
それを理解した瞬間、レイフォードは走り出した。
「……急にどうした?! 何が起こったんだ?!」
「詳しいことは分かりません! でも……異常事態なのは確かです!」
突然途切れた術式。
ユフィリアの『霧』という発言と、最後の驚いた声。
どう考えても、『何か』が起こっている。
現時点での考察は、情報量が足りな過ぎる。
一先ず、現場に急行しなければ話にならなかった。
「……なら、ボクも手伝うよ!
元々中心街の方へ行こうと思ってたんだ。
人手は多い方がいいだろ!」
「危険です! 最近の事件も関係しているかも──」
「『こういうときは助け合い』、そうだろ?
危険だって言うのなら、キミだって同じだ。
こんな子ども一人行かせて待っていられるかっての!」
並走しながら、ヒルダはレイフォードに告げる。
彼女の瞳に、怯えは見えなかった。
「……すみません、ありがとうございます」
「気にしないでよ。ま、後でお茶でもどう?」
「全部終わった後なら、いくらでも」
「お、やった!」
先程のやり取りを反復するような返し。
これで貸しは無くなった、ということかもしれない。
ああは言ったが、立場上の大人がいるという利点は捨て難い。
ユフィリアの発言からして、事件は中心街の中で起こっている。
一般市民を現場から遠ざけようにも、子ども一人の発言を本気にしてくれる者は、そう多くはない。
その点、ヒルダは顔が利き、人当たりも良く、そして話が上手い。
伊達に人商売をしていない、ということだろうか。
彼女に任せておけば、いくらかは人を避難させることができるかもしれない。
薄く広げていた探知の術式を若干強める。
あまり強くしすぎると、王都の人口密度では情報量が多くなりすぎてしまうのだ。
「なあ、今どこに向かってるんだ?!」
「北東側の、商店街辺りです!
ここだけ人の通りがおかしい……何故か通りの端と端に密集していて、中心に不自然な空白ができているんです。
関連性が無いとは思えません」
「なるほどな……!
ならこっちだ。裏路地を通るが、時間短縮になる」
示された民家と民家の隙間。
大人一人がやっと通れるという幅だが、反対側には道が見えていた。
この場で一刻も早く現場に到着できるのは嬉しい。
提案を飲まないという選択肢はなかった。
先頭を譲り、彼女に道案内をしてもらう。
王都の地理に関しては、彼女の方が確実に知っているからだ。
彼女からすれば狭い幅も、するりと抜けていく。
「手慣れてますね」
「町をフラフラ歩くのが趣味でね。
こういう狭いところは、見ると吸い込まれちゃうんだ」
華麗な身のこなしで、速度を落とさずに通っていく姿は、まるで猫のよう。
一年ほど前のオルガたちとの冒険を思い出し、レイフォードの表情は少しだけ綻んだ。
「もうすぐ商店街の端に出る。ここから先はキミに任せるよ」
この道の先からは、光が溢れている。
商店街の照明だろう。
同時に、人の騒ぎ声も聞こえてきた。
「では、人混みを割ってもらえますか?
僕の〝眼〟は、大人数の前じゃ使えないので」
「そうだったな、ならそうしよう。
因みに、声を大きくする精霊術とかある?
あると嬉しいんだけど……」
ヒルダの問いに頷く。
精霊術は、多種多様な術式がある。
音の増幅なんて当たり前の術式だった。
「了解! とびっきり大きくなるように掛けてくれよ!」
二人は裏路地を出る。
瞬間、飛び込んできたのは、人の大群であった。
そして──
「黒い、霧……?」
それは、宵闇が迫ってくるように。
不定形な形を蠢かせ、しかしその場からは動かず。
こちらを威嚇してくるそれは、『黒い霧』としか表せないものだった。
近くにいた男性に、ヒルダが事情を聞く。
「何があったんですか?」
「それが……あの霧のようなものが急に出てきて、気付いたら商店街の端に出てしまっていたんだ。
神秘に詳しい奴らが、『結界だ』とか言ってるけど……何も分かりやしねえ。
あんな感じだから、中の様子も分かんねえし……店の連中なんて困りっぱなしだよ」
「ありがとうございます。……で、どうだい?」
「もっと近くで見てみないことには……でも、結界であるのは確かでしょう」
建物の屋根ほどまで高く立ち昇る霧。
しかし、普通の霧にしてはやけに形が整い過ぎている。
風の通りに少し流されることはあれど、全体的な密度は変わらない。
「なんだ、嬢ちゃん。もしかして学生さんかい?」
「はい、中央校の神秘科です。
専門家と言えるほどではありませんが、あれが何か判断することくらいはできます」
「ということで、お兄さん。
この子をあの霧の前まで連れていきたいんです」
「分かった、協力しよう。何をすればいい?」
驚くほど円滑に進むのは、ヒルダの雰囲気からだろうか。
相手が話しやすい空気を作るのが上手い。
レイフォードだけではこうはいかなかったはずだ。
「今から、ボクがこの子に声を大きくする術式を掛けてもらって、全体に『通してください』とお願いします。
そのとき、混乱する人もいると思うので、声を掛けてもらってもいいですか?」
「お安い御用だ! どうせならその辺にいる友人にも手伝わせる」
「ご協力、ありがとうございます!」
ヒルダが目配せし、準備ができたことを知ると、レイフォードは彼女に術式を掛ける。
ただ、声を大きくするだけ。
だが、今はそれだけで良かった。
「すみません、通してください! 霧を調べたいんです!」
人混みの中に響き渡る声。
人々の視線が一斉に集まる。
竦んでしまう足を一歩前に出して、堂々と胸を張った。
「通してやれ! 中央校の神秘科の学生さんだ!」
「お願いします、通してください!」
どよめきが伝わり、否が応でも混乱していることが理解できる。
しかし、ここで通してもらわなければ、霧の前には辿り着けない。
十数秒後、徐々に道が空き始める。
元々の人の多さも相まって、空けられる幅は狭い。
しかし、人一人が通るには十分だった。
「よし、いいさだろ! 行ってこい二人とも!」
「ありがとうございます!」
「良いってことよ! 解明、頼んだぜ!」
気の良い男性の声を背に、レイフォードとヒルダは走り出した。
程なくして、二人は霧の前へと到着する。
何度見ても、黒い霧としか言えぬそれ。
それが何であるかの概要を理解するために、レイフォードは眼鏡を外す。
〝眼〟が脳に伝える情報。
それを要約すると、この霧は『ここにあってはいけない』ものである、ということだった。
「……分かりました。これは、人為的に張られた人避けの結界です。
無論、それ以外の効果もあります。
この中には、源素も精霊もありません。
中で精霊術を使用することはできないでしょう」
「解除は?」
「外側からは難しいです。
地形を破壊する程であればいけるかもしれませんが……それは論外です。
術者に解かせる、もしくは術具を破壊するしかありません」
「……術者は」
「中に居ます、確実に。碌でもないことになっているはずです」
思い返す、五年前のあの事件。
この霧は、あの結界にそっくりだった。
「じゃあどうやって解除するんだ?
中じゃ精霊術は使えないし、そもそも中に入れないようになってるんだろ?」
「解決策はあります。大分力押しですけど」
「どんな?」
右手にそれを持ち、普段抑えている源素を解放する。
溢れ出した源素は物質界に影響を及ぼし、風を起こす。
「干渉力の差で無理矢理こじ開けます!」
「そりゃあ力押しだ!」
霧に触れる。
弾かれるような感覚がする。
しかし、同時に『隙間』がある気配もした。
「……行くんだね」
「はい」
「危ないんだろ」
「でも、行かなければいけません」
「……友達は、中に」
「おそらく」
人混みの中に、ユフィリアの姿は見えなかった。
彼女の性格からして、レイフォードと連絡が取れなくなったならば、霧を出た瞬間に再度取りに来るはずだ。
しかし、それをしない。
否、できないのは、彼女がこの結界の中にいることに他ならない。
「……そうか、分かった。だけど──」
ヒルダの手が、レイフォードの肩を叩く。
年上としての責任感。
子どもに任せる他ない無力感。
それでも、レイフォードならやってくれるだろうという安心感。
それらがすべて乗った、力で。
「──死ぬなよ」
「当たり前です。みんな連れて帰ってきますよ」
右手を握り直し、霧の中へと歩を進める。
もう、レイフォードは振り返らない。
今見えているのは、宵闇。
そして、ユフィリアの姿だけだった。