十節〈愛、それはこの世で一番不明瞭なもの〉/1
春の陽射しが空から降り注ぐ、ある日のこと。
数百名の新入生と、それを迎える教師・在校生一同。
観覧の父兄や国家の重鎮の視線を一つに集めた少女は、歓迎の言葉を締め括る。
「──在校生代表、ヴィヴィアナ・レクスガル・アリステラ」
拍手喝采が講堂内に響き渡った。
ヴィヴィアナ・レクスガル・アリステラ。
彼女の名をこの学校内で、否、この王国内で知らない者はいない。
アリステラ王国第一王女、そして王位継承権第二位。
皇太孫でありながら、生徒会長を務める彼女の名を。
壇上から降りる佇まいまでも高貴で、誰も彼も彼女に魅了される。
身分の高さを鼻に掛けることなく、分け隔てなく接することからも、民からの支持は厚い。
校内で親衛隊なんてものが出来上がっているほどだ。
そんな彼女と、レイフォードの面識は王宮内で一度顔を合わせただけだ。
ヴィンセント殿下に呼ばれた際に紹介だけされて、それ以降の面識はない。
同学年のアニスフィアは兎も角、基本クロッサスに篭り、王都に来ても技術局以外訪れないレイフォードと、王女であるから自由の少ないヴィヴィアナの絡みは、無くて当然である。
しかし──やはり、見られていた。
ヴィヴィアナの視線は、確実にレイフォードを向いていた。
あれほどはっきり目があったことから、偶然とは考えにくい。
レイフォードがそこにいると知って、尚且つ見つめていなければ起こらないことだ。
そして、その瞳には、決して良くない感情が宿っていた。
何か粗相をしただろうか。
そう考えているうちに、入学式は終わりを迎えていた。
新入生の控え室に戻れば、式典服である灰色の外套を身に着けたユフィリアとテオドールが、レイフォードに駆け寄って来る。
「みんな外で待ってるよ、行こう!」
「人の波に巻き込まれないように、少し時間を置いた方がいいかも」
十二学科それぞれに控え室が用意されていると言っても、廊下は一つだけ。
混雑することは目に見えていた。
「そうだね。
早く行きたいのは山々だけど、落ち着くまで待とうか」
見慣れない同年代からの視線から隠れるように帽子を被って、用意されていた席に座る。
自分がよく目立つことは知っていたが、ここまで目立つとなると先が思いやられる。
気を遣った二人が自分を隠してくれていることに感謝していると、足音が二人分近付いてきた。
「大変そうだね。わたしも手伝おうか?」
「やっぱり目立つなお前……すぐ分かったわ」
片方は、聞き慣れたローザの声。
そして、もう一つは──。
「ヴァンくん? 久し振りだね」
「おう。元気そうで何よりだ」
快活な金髪の少年、ヴァン。
レイフォードと共に試験を受けた、受験生の一人である。
「あの時はびっくりしたぜ。
大きな爆発が起こったかと思えば、血相変えた先生たちが結界張ってたし、お前はお前でケロッとしてるし……そんで、どっかに連行されていくしな」
「その節は本当にごめん……」
「気にすんなよ! 二人とも無事に合格できたわけだしな!」
程よく焼けた小麦色の手が、レイフォードの肩を叩く。
一瞬隣の二人が怖い顔をしたが、彼に悪意がないことを知ると、表情の強ばりは取れていった。
「で、そっちの二人は?」
「私はユフィリア。
レイの一番最初の友達。
よろしくね」
「テオドール。
レイくんと一番仲が良い友達だ。
よろしく」
「ん?」
「は?」
「何回目なの、そのやりとり……。
えっと、よろしくね」
「……おう」
『何なんだコイツら』とでも言いたげなヴァンの視線を受けつつ、ローザに話を振る。
「ローザはこれからどうするの?」
「わたしかい?
来る家族もいないからね、とある子を見つけたら、そそくさ寮に帰るつもりだよ」
「とある子?」
「……腐れ縁、とでも言うべきかな。
あちら側から避けられてしまっているのだけど、声くらいは掛けようと思ってね」
「避けられてるのに?」
「それでもさ、ユフィリアくん。
……けれど、彼女、とても勘が鋭くてね。
近寄らせてくれないんだよ。
流石、北の狩人だ」
「……北の、狩人?」
ローザの言葉に、テオドールが反応する。
「その探し人の名前、もしかしてドロシーか?」
「よく知ってるね。
……ああ、そういえば二人とも騎士科だ。
知り合いかい?」
「知り合いも何も……入試で同じ班だったんだ。
対人戦でも世話になった」
「そうかい……あの子がね。
無口だっただろう?」
「それでも、腕は確かだ。
口よりも手を動かす職人気質な奴なんだろう。
寧ろ、やりやすかったよ」
「そう言われれば、彼女も喜ぶはずさ。
伝えておくよ」
ドロシーという名の少女は、テオドールの入学試験においての仲間であったらしい。
試験の詳細は聞いても、受験生の話まで聞いていなかったレイフォードは、二人の話を新鮮に感じていた。
「おっと、彼女を出待ちしないとだから、私はこれで。
ヴァンくん、約束は果したからね」
「ありがとな。後で何か奢るわ」
「なら、南の植生でも教えてくれ。それじゃ」
未だ解消する気配のない人混みをするりと抜け、ローザは騎士科の控え室へ向かっていく。
あの技術は、いったいどこで身に着けたのだろう。
謎が増える少女の姿が見えなくなると、ヴァンが口を開く。
「オレもそろそろ行くぜ、あっちで他学科の友達を待たせてるんだ。
これから先もよろしくな」
「うん、よろしく」
彼が指し示した先には、三人ほどの男女が集まっていた。
レイフォードにとってのユフィリアたちのように、地元から仲の良い友達だろう。
軽い挨拶を交わし終えると、ヴァンは彼らの元へ向かっていった。
再び三人だけになると、ユフィリアはレイフォードの腕に抱き着いた。
「……レイ。私、聞いてないんだけど」
「何を……?」
「あの男のことだよ!
知らない間に友だちを作ってたなんて!
婚約者たるもの、交友関係は把握しておかないと!」
「友だちって言っても、試験で少し話しただけ──」
「あんなに楽しそうに話しておいて?」
「……ごめんなさい」
頬を膨らませたユフィリアは、レイフォードの腹を突く。
そういうところが可愛いと思いつつも、口に出すと怒られてしまいそうなので黙っておく。
「まったくもう!
テオがまた女の子落としてたのは知ってたのに!
その子がレイを見て白旗揚げてたのも知ってたのに!
ドロシーっていう子なのは知らなかったけど!」
「おいちょっと待てユフィ」
「……へ? 何それ新情報なんだけど」
「あっ……ごめん、テオ」
「謝って許されるなら法律は要らねえんだよ……!」
横を向けば、テオドールは顔を背ける。
「『また女の子落としてた』って、何?」
「えっと……その……ユフィ!」
「……白状しなさい。
そろそろ隠すのも難しくなって来たでしょ」
「開き直んな!」
「やっちゃったものは仕方ないじゃん。
諦めの悪い男は嫌われるよ」
「お前……!」
わなわな拳を震わせるテオドール。
彼を宥めながらも、レイフォードは先の件を追求する。
そうして、諦めたテオドールが述べたのは、以下のことである。
十歳ほどになってから、何度か──ユフィリアの補足によると、二十回ほどらしい──好意を向けられ、告白されることがあった。
その度断っていたのだが、どうにも面倒臭くなってきたため、そのような気配がする度に、見せつけるようにレイフォードと過ごすことで、先約がいると誤魔化してきた。
「……つまりは、ずっと僕は逆当て馬にされてたってこと?」
「言い方……! いや、その通りなんだけど……!」
「モテる男は辛いね」
「お前のせいなんだが?!」
呻きながら顔を隠すテオドールの背を、ユフィリアが擦る。
逡巡したレイフォードは、ある一つの結論を導き出した。
「まあ、テオが刺されないなら文句はないよ。
改めて考えてみたら、僕には不利益とか無いし」
「やったじゃん。おめでとう」
「そういう問題じゃない……」
深い溜め息を吐くテオドールが本格的に可哀想になってきたところで、励ましの一言をかける。
「モテるのって悪いことじゃないしさ!
皆、テオのこと好きになってくれてるってことだから!
ほら、元気出して!」
「おあ……」
「あーあ、レイがトドメ刺した」
「なんでえ……?」
励ましの一言だと思っていたが、トドメの一撃だったらしい。
見事に撃沈したテオドールを支え、ようやく収まってきた人混みを抜け、自分たちを待つ家族の元へ向かう。
探すのはとても簡単だった。
「お父様、お母様! 後でお兄様たちも!」
「俺たちはおまけか?!」
「兄さん、どうどう」
「ユフィ、入学おめでとう」
「王都での生活は快適かしら?」
一目散に駆けていったユフィリアとその家族を眺める傍ら、レイフォードも祝いの言葉を受ける。
「入学おめでとう。息災か?」
「はい、父上。問題なく過ごしていますよ」
「慣れない環境は体調を崩しがちだから、病気には気を付けなさい」
「授業で分からないことがあれば、先輩や先生たちに頼るんだよ」
「ありがとうございます。母上、兄上」
今までの父ならば、遠慮がちに頭を撫でるだろうが、今回はなかった。
撫でられる準備をしていたレイフォードは、少し面食らうが、その真意に気付き納得する。
「リーゼは東部の方の入学式だからね。
会えなくて残念そうだったから、後で手紙でも書いてあげて」
「うん。書いておく」
そうして一言二言話しているうちに、『国立中央総合高等学校』と書かれた看板の前が空いた。
「おい、シル! 折角なら一緒に撮ろうぜ!」
「先に家族ごとに撮れ! 一緒に撮るならその後だ」
こちらに手を振るディルムッド。
どうやら、記念写真のお誘いらしい。
「……あのせっかちのことだ、すぐに順番は回ってくる。
さあ、行こうか」
シルヴェスタは背を向ける。
彼はもう、レイフォードに手を伸ばすことはしない。
それは、子どもではなく、準成人という年相応の扱いをするということ。
だが、『父であることをやめる』ということではない。
あくまで、舐めた子ども扱いをしないということだ。
親にとっては、子どもはいつまでも可愛い子どもである。
そして──その成長の記録は、ずっと残しておきたいものである。
この心地良い春の日に取った写真は、いずれ色褪せるだろう。
しかし、その写真によって蘇る思い出は、いつまで経っても色褪せないものなのだ。