九節/2
「……やっと着いた」
「前回よりも疲れた気がする……」
乗合馬車から降りたレイフォードとテオドールは、清々しい空の下で大きく息を吸った。
昨日の雨なんて知らぬと言わんばかりの晴天が、彼らを淡く照らす。
苦節十数時間、やっとのことで王都に到着した一行。
今回は、キャロラインが多忙ということで、ティムネフスでは町の宿にて宿泊した。
部屋割りで若干揉めたが、『男女で分けないのは流石によろしくない』という一般論を押し通すことで攻略できた。
その日の夜、彼女らがどうなっていたかは、恐ろしくて聞く気にはなれなかった。
「……まずは、早めのお昼にしようか。
屋台とお店、どっちが良い?」
「店。前みたいなことになると困る」
「だよねえ……二人は?」
「異論ありません」
「問題なし!
……まあ、仮に手を出そうものなら、今度こそ捥ぐけど」
何をだ、と訊くのは藪蛇だろうからやめた。
ご飯が美味しくなくなってしまう話題は嫌だったのだ。
そうして、ユフィリアが興味を持っていたという食事処に入り、注文の後、食事を届くまでに今日の予定を改めて確認する。
「ご飯を食べて……大体十二時くらい、時間通りかな。
昼過ぎに寮長さんが広場に迎えに来てくれるらしいから、そこで合流する。
その後は寮に向かって荷解き、夜には歓迎会だって」
レイフォードたちは、特別奨学生専用の学生寮に住む。
王都の外れにあるその寮は、初見で辿り着ける者が少ないらしく、いつからか、その年の寮長が新入生を迎えに行く慣習が出来たという。
「その寮長さんの見た目、分かる?」
「帽子を被った背の高い女性だって。
流石に、ラウラほどではないだろうけど」
レイフォードの正面に座る彼女は、立てば見上げなければいけないほど恵まれた体格をしている。
男であっても、彼女ほど長身の人物はそれほど見たことがない。
右隣のユフィリアが若干機嫌を悪くしたことに気付かない振りをして、世間話へと持っていく。
そんなに嫌うこともないのでは、と思うも、レイフォードだって、ユフィリアに近付く男がいれば牽制するので、お互い様である。
数分も待てば、温かい料理が運ばれてきた。
若年層が好むような、小洒落た軽食だ。
味も見掛け倒しではなく、寧ろ手放しで美味しいと言うほど。
偶には流行りに乗ってみるものである。
流行りに疎いレイフォードが目を輝かせているのを、ユフィリアが満足そうな顔で見ていた。
そうして、昼食を終えた四人は、予定通り広場へと向かった。
丁度十二時を告げる大きな鐘の音が、頭上から響き渡る。
もう彼女も到着しているのだろうか。
辺りを見渡す──眼鏡を付けているから、大人数を見ても問題ない──が、それらしい人影は見えない。
見落としたのかとゆっくり再度確認しても、『帽子を被った背の高い女性』は、見つからなかった。
頭に浮かぶ『遅刻』の二文字。
一先ず時間を置いてみようと振り返ろうとしたとき、何とも言えぬ違和感を覚える。
そこにあるはずのものがない。
見えるはずなのに見えていない。
『何かがある』とはわかるのに、目に映る景色は変わらず人混みばかり。
透明化や認識の改変というものではない。
それならば、『ある』と知覚できるわけがない。
しかし、レイフォードはそこに『何かがある』ことは分かっていた。
分かった上で、それが何なのかが分からないのだ。
まるで、時空が歪んでいるように。
レイフォードは、『それ』の姿を視認できなかった。
そのような現象に呆気に取られていると、急に後ろに引き込まれる。
同時に、テオドールとラウラが前に出た。
瞬間、見えていなかった『それ』が姿を現した。
両手を上げ、戦闘の意思はないと証明しながら。
「……貴方は」
「驚かせてすまへんな。
ちょっと試してみたかっただけやねん。
堪忍してや」
帽子を被った、長身の女性。
特徴的な方言は、彼女が西部出身であることを示している。
「先輩、わたし言いましたよね。
怒ると怖い人たちですから、あまり揶揄わないでくださいと」
「いやあ……絶対おもろいやん。
止められるわけあらへんよ」
彼女の背からは、『駄目だこれは』と肩を竦めたローザが出てくる。
怒ると怖いという言葉に、レイフォードに抱き着いたユフィリアが反応したが、警戒心からか言葉を発することはなかった。
「そんな警戒せんでも……いや、うちの自業自得か。
まずは自己紹介やな。
うちの名前はコレット。
聞いての通り西部出身、寮長を務める神秘科六年生や。
履修自体は経済科やから、あんまりみんなとは関わらんかもな。
……んで、うち、今回の入寮者は四人やって聞いてたんやけど……あんさん、誰や?」
寮長──コレットは、人受けの良い笑顔で、しかし圧を与えながらラウラを見遣る。
意図的な舐め回す視線は、下手に動くものなら処すという気概が察せられた。
だが、ラウラにはそんなやましいことはない。
彼女は公的に認可されている立場である。
腰を折り曲げ、美しい礼をすると、理路整然と語り出す。
「私はラウラ、レイフォード様の契約精霊でございます。
護衛も兼ねて、受肉体にて生活しております。
入寮を見届けましたら霊体化いたしますので、何卒ご容赦お願いいたします」
「契約精霊……? ほーん、そういうことかいな。
疑ってすまんかったな、最近何事も物騒なもんで」
霊体化というのは、精霊が通常形態に戻ること。
つまり、実体化を解き、幻想界へと戻ることを意味する。
作った受肉体は時空の狭間に保管するらしく、劣化等の問題は無いのだとか。
「ま、そういうことなら、早速向かおうやないか。
うちらの寮に、な」
帽子の鍔を抑えながら振り返ったコレットは、レイフォードたちを先導する。
ローザとの再会を喜びながらも、彼女を見失わないように後を追えば、見えてきたのは実家の屋敷にも似た四階建ての平屋だった。