九節〈雨と春嵐〉/1
創造の月九日。
生憎と、今日の天気は雨であった。
「いってらっしゃい。あっちでも元気でね」
「長期休暇には帰ってきなさいよ!」
「また学校で」
「……病気には気を付けるように」
家族からの四者四様の言葉を背に、レイフォードたちはクロッサスの町を出て、王都へ向かう。
驚いたのは、町で乗り合いの馬車を待っている間に、オルガたちが見送りに来たことだろうか。
出立の日時を教えていたわけではないから、わざわざ誰かに聞いて、駆け付けてくれたようだ。
会話は、あまり長くはなかった。
『頑張ってください』、『またね』、『こっちは任せとけ』くらい。
そこまで時間もなかったことだし、彼らも予定があると言っていたから、あっさりとしたお別れである。
特筆するべきことと言えば、シャロンの伝言だろうか。
────どっかの馬鹿ローザに伝えておきなさい。
『千年前の約束を忘れるな』ってね。
それ以上のことは語らなかったが、彼女ら同士では伝わるのだろう。
一言一句記憶したレイフォードが頷くと、表情豊かな猫は友人たちの元へ浮遊しながら戻っていった。
そうして、現在時刻約十二時。
小雨がぱらぱらと馬車の天蓋を打つ頃。
レイフォードの右側と正面では、軽く戦争が起こっていた。
「……ねえ、レイ?
どうしてこの女がいるの。
いっつも連れてきてないよね」
「私が居ると、何か不都合でも?」
「こいつ……!」
レイフォードの右側に座り、腕に抱き着いているのは、当たり前だがユフィリアである。
菫青色の瞳をめらめらと燃やしながら、彼女に腹を立てている。
対して、正面に座っているのは──。
「気に食わない!
態度も身体も大っきいし!
私の許可も得ずにレイにベタベタ触るし!
ほんっと、気に食わないんだから!」
「私、レイフォード様の契約精霊ですから。
触れ合うことは当然では?」
長身かつ豊満な肢体を持つ女性。
長い前髪に隠された瞳は、恐らくユフィリア同様に燃えているだろう。
「……ねえ」
「無理」
「まだ何も言ってないじゃん」
「『助けて』」
「……意地悪」
「いや、無理だから」
左隣に座るテオドールは、渦中に巻き込まれたレイフォードを助けようとしない。
薄情な男だ。
しかし、同じような状況になったのならば、レイフォードだって彼を見捨てる。
それほどまでに、男にとって、女の戦いとは苛烈に見えるのだ。
ああ、どうしてこうなった。
ティムネフスまでの数時間、この恐ろしい空気に曝され続けることに嘆いた。
こうなった原因は、勿論、事前予告もなしにラウラがレイフォードたちに付いてきたことだった。
レイフォードも、テオドールも、何も知らなかったため、何度も訊き返したが、返答は一様にして『間違っていない』であった。
どうやら、仕組まれていたようである。
以前から側に居させてほしいという要望は受けていたが、様々な事情があり、仕方なく保留していたことが堪えたのだろう。
更に、レイフォードが学園に行くならば、ラウラが屋敷に居る理由はなくなる。
だが、正直に話せば反対されるとは分かっていた。
だからこそ、このような強硬手段に出たのだ。
今更駄目だとも言えず、腹を括ったレイフォードは、一縷の望みに掛けて、ユフィリアとラウラを対面させた。
結果は、ご覧の通り惨敗。
ユフィリアはラウラを認識した瞬間不機嫌になるし、ラウラはラウラで煽り倒す。
折り合いが悪いことは理解していたが、ここまで互いに嫌っているとまでは考えが及んでいなかった。
頼みの綱のテオドールからは手を切られてしまったため、孤軍奮闘するしかない状況である。
不幸中の幸いなのは、今の馬車にはレイフォードたちしか乗車していないことだ。
「大体、受肉体があっても基本幻想界に居るのが精霊でしょ!
何でずっと物質界にいるの?!
精霊なら精霊らしく、あっちで引き篭もってて!」
「そんな規則はございません。
第一、私はレイフォード様の護衛です。
一分一秒たりともお側を離れないのは当然では?」
「テオが居るから要らない!」
「要りますとも。
はっきり言って彼、私より断然弱いので……」
不意打ちに、左から呻き声が聞こえた。
「……流れ弾来たんだけど?」
「自業自得」
「理不尽だ……」
しかしながら、一般的な視点からすると、テオドールだって十分強いはずだ。
並の大人十人が束になっても、彼には叶わない。
新卒の騎士が三人がかりでやっと、というほどなのだ。
ラウラが規格外過ぎるだけである。
「じゃあ見た目だけでもどうにかして!
全体的に小さく細く!
出来るでしょ?!」
「それに何の利点が?
護衛として、威圧感が減るのは困ります!」
「じゃあ胸だけでも削りなさい!」
「嫌です」
「何で!」
「……あった方がお得でしょう」
正面のラウラと言い争っていたユフィリアが、凄まじい速度でレイフォードに向き直り、地に響くような低音で問う。
「……大きければいいってものじゃない、よね?」
圧だ。
有無を言わさぬ圧が、レイフォードを襲う。
ここで首を縦に振らなければ、何が待ち受けているか分からない。
空かさず、レイフォードは高速で頷いた。
打って変わって笑顔になったユフィリアは、ラウラを見る。
「とにかく! 身体だけの女に負ける義理はない!
ぽっと出の泥棒猫に、幼馴染が負けるなんてあり得ないんだから!」
「……ならば、証明してあげましょう。
古今東西、恋物語は運命の出会いから始まるのだと。
そうでしょう、テオドール」
「俺?!」
二人の間に電撃が迸る。
また流れ弾を喰らったテオドールは、ユフィリアの圧に萎縮していた。
この空気の中を、何時間も堪えるのか。
圧倒的不仲の二人を取り持つのは、レイフォードには不可能だった。
雨はまだ、上がる気配はない。