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八節/2

 レイフォードは寝台(ベッド)の上に広げていた衣服類を輸送用の箱の中に詰める。

 『あちら』での生活に必要だからだ。


 高等学校に通う場合、王都周辺ではない地域の出身者の多くは下宿や一人暮らしを始めることになる。

 レイフォードたち特別奨学生は専用の寮が用意されているため、そちらに入寮することになっていた。

 一人部屋ということで、そこまで他人に気を遣う必要はないのだが、何分他人との共同生活というのは初めてだ。

 引きこもりがちのレイフォードが関わる人物と言えば、屋敷の者と学校関係者くらい。

 共同生活を送るという感覚は、全くわからなかった。



「……うん、このくらいかな」



 各季節に合う上下一式、計十八着を入れ、空いた隙間に帽子や靴などを詰め込んだ。

 明日郵便屋に頼むとすると、王都に届くのは大体一週間後。

 レイフォードたちが入寮する数日前には、届いているはずである。



「家具とかは備え付けらしいし、他に持っていくものって何があるんだろう……」



 普段使いしているものは、王都に向かう当日にまとめて持っていくつもりだ。

 今日用意するのは、『使うには使うが、毎日使うというほどでもない』という具合のもの。

 用意する必要のないものも多いので、荷物は想像よりも少なかった。


 記憶の中の『彼』が、一人暮らしというのを経験していないというのも大きいのかもしれない。

 レイフォードの年齢に似合わぬ言動の数々は、『彼』の記憶があってこそだ。

 それが役に立たないとき、彼は年相応の動きを見せる。

 もう一人の『彼女』は、一人暮らしというより野宿であるから論外だった。



「……まあ、いいか」



 今思い当たらないのなら、それは恐らくどうでもいいものなのだろう。

 そう考えて、レイフォードは箱に封をした。



「さて、と。テオは終わったかな……?」

「終わりましたよ、随分前に。

 箱、運びますね。箱だけに」

「うん、ありがとうラウラ。

 いつも言ってるけど、部屋に入るときは声を掛けてくれると嬉しいな」

「すみません。邪魔をしてはいけないと思いまして」

「いや、僕の反応を楽しんでるだけでしょ。気配まで消して……」



 『何のことでしょうか』と白を切るラウラを、白い目で見る。

 今日のようなときなら兎も角、着替えをしているときや入浴をしているときに現れるのは大層心臓に悪い。

 そういうときは大抵セレナにしばかれているが、一向に反省の色が見られないので、直す気がないのだろう。

 精霊という気まぐれものは、大体そんなものなのだ。



「テオの分は運び終わった?」

「はい、倉庫の方に避けております。

 明日まではそこに置いておきますので、何かあればどうぞ」

「ありがとう。じゃあ、よろしくね」



 ラウラは六尺ゆたかの長身を折り曲げ、麦穂色の髪を揺らす。

 彼女がこの屋敷で働くようになってから、まだ三か月と少ししか経っていないはずなのに、堂に入った立ち振る舞いは、熟練の達人のようだった。


 テオドールが働き始めたときも、同じようなことを思った気がする。

 父の従者であるオズワルドが彼の保護者に据えられ、その様子を見てか、一週間経過したあたりで『住まわせてもらっているだけでは悪いから、働かせてほしい』と要望したのだ。

 当時はまだ五歳であるからか雑用の手伝いなどばかりであったが、今は一人で何でもできるほどに成長している。

 姉代わりのような存在であったセレナや、周囲の使用人が大変可愛がったからだろう。

 後釜に入った新人が、彼に追い付けるのは随分先の話になるはずだ。


 そう考えると、採用されたのがオルガで都合が良かったのかもしれない。

 知り合いであることもだが、何より彼は状況判断能力が素晴らしい。

 ガキ大将として、怒られることと怒られないことの境目をよく見てきたからだろうか。

 普段の素行は兎も角、人情に厚く、それでいてからっとした態度は、先入観さえなければ、とても親しみやすい。

 

 『悪ガキ』と言われる言動も、年を取れば、そのうち鳴りを潜めるだろう。

 数年後のオルガは、『気の良いお兄さん』と呼ばれるような男になっているはずだ。

 


「……数年後、か」



 ぽつり。

 思わず思考が漏れてしまったことを、聴覚が教えた。


 自分は、いつまで『人』として生きられるのだろうか。

 ふとした瞬間、そんな疑問が頭を過る。


 ユフィリアと同じ時を過ごして『人』として死ぬ。

 これは決定事項だ。

 しかし、『死ねる』かどうかは、また別の問題である。


 アリステラに住む人々は、大なり小なり、そのうち外見は歳をとらなくなる。

 これは、土地柄、精霊の守護を受けているからだそうだ。

 平均的には、肉体の最盛期を迎える二十代半ば頃に止まり、その後生命力が衰える六十代ほどになると、一気に老け込む。

 年齢に比べ、やけに若い者が多いのは、こういう理由があった。


 そうして、大体八十代にもなれば、人は老衰で亡くなっていく。

 アーデルヴァイトの家業の一つである墓守を手伝う中で、何度か遺体を見たことがあるが、事故でもない限り、皆老人の姿であった。

 受肉した精霊の葬儀をしたことはないが、人と同じ身体を持つ限り、死体は死体なのだろう。


 だが、精霊は肉体が死んだところで、その存在自体が消えるわけではない。

 幻想界に核を置くそれらにとって、肉体の死とは、今まで使っていた道具が壊れたと同義。

 つまり、また手に入れればいいだけの話なのだ。


 それは、レイフォードも例外ではない。


 ユフィリアは、紛れもなく『人』だ。

 侯爵家の者であるから、王家の神徒の血は引いているが、かなり薄い。

 だから、彼女も皆と同じく、八十年余りの生を全うして、息を引き取るだろう。

 老いることなく、隣に座ったレイフォードの手を握って。



 右手首に触れ、震えを抑えた。

 想像するだけで、悪寒がする。


 また、喪うのか。

 また、遺されてしまうのか。


 そんな嘆きが、頭の中を反芻する。


 レイフォードは、『彼』でも、『彼女』でもない。

 しかし、レイフォードが『レイフォード』になったのは、他ならぬ二人の記憶があるからだ。

 レイフォードが、『レイフォード』である限り、この呪縛からは逃れられない。


 大切な人を、喪うだろう。

 自分一人だけ、のうのうと生き残るだろう。

 自己満足で死んで、だというのに、また生を繰り返すのだろう。


 それが贖罪だとでも言うように、離別と回生は己の首を締め付ける。



「……もし、永遠に君といられたら」



 ──しかし、その願いは、決して叶えてはいけないものだ。


 人という存在は、永遠にはなれない。

 なってはいけない。

 刹那であるからこそ、その命は輝きを放つ。

 

 ただ数週間余りのみ咲き誇る桜が美しいように、数十年という一生を、限りなく使い果たして生きることが人の美しさだ。

 それを、この手で否定することなんて、あってはならない。

 まして、己が最も愛す者になど。


 ああ、どうして人になれないのか。

 どうして、人として生まれてしまったのか。

 人として生まれなければ、こんな想いを抱かずに済んだかもしれないのに。


 不自由で不完全な生。

 終わりなきこの旅路の先には、何があるのだろう。


 それを知る者は、誰も居ない。

  

 現在、遊戯の月三十日。

 明日から、レイフォードたちは十二歳になる。

 準成人と呼ばれ、大人への階段を一つ上るのだ。


 新年を祝う祭り、星灯祭。

 夜になれば、いくつもの灯籠が空へと飛び立っていくだろう。

 それは宛ら、星のように。

 仄かな明かりは、暗い夜空を照らす。


 そうして、時計の針が十二を指した頃。

 また、新たな年がはじまるのだ。


 まだ色の薄い青空の下に、春風が知らん顔で過ぎ去っていった。






 使用人の制服である黒の洋袴(スカート)の裾が、歩く度に揺れる。

 他の使用人のものを真似て、源素で作り上げたその服は、どこから見ても本物のように見えた。


 手に待つ箱の角を撫でる。

 衣服と少しの小物が入っているだけだから、思ったよりも軽い。

 しかし、それなりに大きくはあるから、彼が運ぶには難しいだろう。


 視界が常に地面と平行になることで平衡感覚を保っているあの少年は、『見えなくなること』を極端に嫌う。

 一瞬でも見えなくなると、立つことが難しくなってしまうからだとか。


 以前、一度だけ試したことがあるが、面白いくらいに崩れ落ちた。

 勿論怒られたし、セレナとテオドールからの制裁も食らった。

 『受け止めたのだから良いだろう』と言ったが、『それとこれとは別問題だ』とのこと。

 人は過程にうるさいらしい。

 精霊的な価値観からすれば、『終わり良ければ全て良し』のため、偶に相違が起こる。


 特に、ラウラはその影響が大きかった。

 他の精霊と違い、長らく役目に注力していた弊害だ。

 数百年の積み重ねは、数か月では覆せない。

 精霊にとっての数か月は数時間のようなものだから、仕方ないのかもしれないが。


 それでも、ここ最近で随分磨り合わせが出来てきたと思う。

 教育係であるセレナと、『ほぼ同格だろ、遠慮とかしねえよ』と鋭く切り込んでくるテオドール、そして、その他の使用人たちのお陰だ。

 『これならば、独り立ちしても問題ない』と太鼓判を頂いたのは記憶に新しい。


 事が決まってから早一か月。

 彼と彼女に話せば反対されるからと、秘密裏に進められていたとある計画は、もう崩せないところまで来ている。

 これで、今までのように『離れ離れ』にはならないはずだ。


 婚約者だからと彼に引っ付くあの女に歯噛みすることも、美味しい立場にいるテオドールに嫉妬することも、いつの間にか人と融合して新たな人生を歩んでいた旧友に怒ることも、全てがなくなる。

 あの学校、その中でも、神秘科は、契約精霊との距離がどれだけ近くても、全く問題ないのである。

 これならば、『周囲の視線を集めるから』という理由で、彼の側を離れることもなくなるのだ。


 顔色一つ変えないまま、心の中で小躍りする。

 どうやろうとも彼の『一番』になれないことは分かっている。

 それでも、彼の側に居られるのは、居ることを許されるのは、嬉しいことだった。


 あの女──ユフィリア・レンティフルーレが、レイフォードの『一番』であることは、彼を知る誰もが理解していることだ。

 彼女と話しているときの彼の姿は、十二歳の少年そのもので、世を憂いたような表情もしなければ、浮世離れした雰囲気だってなくなる。


 彼という輝きに焼かれた者が、彼と彼女を傍から眺めたとき。

 年相応の笑顔が眩しく、そして、それが自分には決して向けられないことに気付く。

 どこまで行っても、彼にとって、ユフィリア以外の人は『その他大勢』でしかないのだ。

 肉親であっても、友人であっても、ユフィリアと同列に扱われることはない。


 その席を奪いたい。

 そう思うことは、何度もあった。

 けれど、奪ったところで、彼はその顔を、心を、己に向けてくれることはないのだ。


 あれは、ただ一人のため。

 ユフィリア・レンティフルーレという少女のためのものなのだから。


 ユフィリアとそう変わらない付き合いであるテオドールですら、『無理だろ』と言うほどだ。

 どれだけ運命を捻じ曲げようとも、彼がレイフォード・アーデルヴァイトである限り、その愛は変わらない。


 それでも、彼を愛してしまう。

 返されることはないと知っていても、愛を注がずにはいられない。

 彼には、そんな不思議な魅力があるのだ。


 因みに、これは彼に救われた者に共通している。

 テオドールやラウラ、その他数名。

 彼に偏愛を向ける者たちだ。

 

 寧ろ、彼らは、万一己に愛を向けられた瞬間、暴れ狂う可能性がある。

 俗に言う、『解釈違い』というやつだ。

 彼らにとってのレイフォードとは、七割くらい宗教だった。



「……それにしても、()()か」



 封の閉じられた箱を見下ろして、ラウラは呟く。


 アリステラ王国、王都テラ。

 元はリセリス教の教祖であるリセリスが建てた都市国家であり、ある出来事からアリステラ王国へと名を変えた今も、文字通り中心都市として機能している。



「彼女も、随分大きくなったものだな……」



 教祖なんてたまではないだろうに。

 

 リセリスを知ったのは、『彼女』のことを見守っていたときだった。

 あの日、あの業火の中で、唯一生き残った少女。

 それがリセリスだ。


 『彼女』に指し示された通り、海を越え山を超え、最期に辿り着いたこの場所で、彼女は国をつくった。

 排斥された者たちの楽園。

 悪魔憑きでも、呪い子でも、誰でも希望と幸福を胸に暮らせる世界。

 それが、ここだ。


 皮肉なものだ。

 『彼女』が手に入れたかったものは、手遅れにならなければ、手に入れられなかった。

 少年を喪い、自らも死ぬまで、芽すら出ていなかった。


 だが、それを可哀想になんて思うほど、ラウラは他人事には出来ない。

 そうなってしまった一因は、ラウラなのだ。


 『精霊と人の愛は、結果的に悲恋に終わる』。

 眉唾ものだと吐き捨てたくなる伝承だが、それは身を持って知った事実だった。


 あの少女に、ラウラは恋をしていた。

 白金色の髪と蒼空のような瞳の少女に、恋い焦がれていた。


 始まりは、救われたこと。

 終わりは、『彼女』があの少年と出会ってしまったこと。

 ラウラにとっては運命的な出会いでも、少女にとっての運命的な出会いではなかったことを、理解してしまったことだった。


 以前、ユフィリアに言われた言葉が胸を刺す。



 ────昔の想い人に重ねてるってこと?



 違う、違う。

 レイフォードは、違う。

 彼はただ一人、この世界に生きている。


 頭では、そう分かっている。

 だというのに、求めてしまう。

 『彼女』の面影を、求めてしまう。

 『彼女』が生まれ変わったかのような、彼を。


 その身体に触れたい。

 その声で名前を呼んでほしい。


 けれど、それは本質ではない。

 本当に、求めているのは『彼女』からの赦しだ。


 精霊は人の世に干渉してはいけないという規則に縛られ、救われた恩も返せなかった。

 貴方を守ることが出来なかった。


 怨まれている。

 いや、怨むほどの関係地でもなかった。


 これはただ一方的な、自分勝手な要求。

 自分が赦されたいから、楽になりたいから。

 身体に触れることで、名前を呼ばれることで、側に居ていいのだと、自分を納得させたいから。

 だから、何の関係もない彼に、『彼女』の姿を求めるのだ。


 ──ああ、最低だ。最低だよ、私は。


 倉庫に辿り着いたラウラは、テオドールのものの隣に箱を置く。

 明日になれば、他の使用人が郵便屋へ持っていくだろう。



「……戻るか」



 屋敷の使用人の仕事は、大まかに三つに分類される。

 清掃・洗濯その他雑務、側付き、料理だ。

 料理は専用の使用人が行い、側付きは基本担当が決まっている。

 ラウラが行うのは一つ目だった。


 現在時間、凡そ十四時。

 屋敷全体の掃除は午前中に終わらせたこともあり、残っているのは、浴場や倉庫などの施設の清掃だろう。


 直接的な清潔術式を使わない、この業務。

 初めは面倒だと思っていたが、やってみると案外面白い。

 人の源素量では屋敷全体に術式を掛けるのは無理だからと、清掃の補助に留めておくのがツボだ。

 試行錯誤で効率化された作業は、実現可能な範囲で、最高を追い求めるという、『人らしさ』が可視化されていた。


 倉庫に鍵を掛け、ラウラが屋敷へ戻ろうとしたときだ。



「……あ、ラウラ! ごめん、今暇?!」



 頭上から、彼の声が聞こえた。


 風を呼び寄せ、ふわりと浮き上がる。

 開け放たれた窓に乗り込んで、彼の元へ颯爽と向かう。



「何か御用でしょうか?」

「うん。これから仕事ある?」

「少々お待ちください。

 ……ふむ、無いようです」



 使用人長であるサーシャに思念伝達の術式で判断を仰ぐと、すぐに連絡が来た。

 『レイフォード様の御用件に対応するように』、と。



「そう? なら、良かった。

 これから町に出掛けようと思うんだ」

「町に、ですか?」

「ほら、今丁度星灯祭でしょ?

 暫くこっちのは見れないかもしれないし、行っておこうかなって」



 ラウラは窓を閉めながら、レイフォードに問い掛けた。

 引き篭もりがちのレイフォードが、自分から出掛けるなんて言うのは、ユフィリア関係以外では滅多にないことだからだ。



「……彼女ですか?」

「今日は違うよ。

 ……まあ、良いの見つけたら買って送るかもだけど」



 ほら、やっぱり。

 レイフォードは視線を逸した。



「そうですか……ならば、私よりもセレナやテオドールの方が適任なのでは?」



 ため息混じりに、ラウラは進言する。

 あの二人のように付き合いが長いなら兎も角、ラウラは彼女と会ったことは片手で数えられるほどしかない。

 もっと言えば、会ったときはどうしても剣呑な空気になるので、互いに避けていた。

 そんなラウラが、彼の用事をこなせるとは到底思えなかった。


 しかし、彼は頬を掻き、微笑みながら、予想外の言葉を口にする。

 


「それも考えなかったわけではないんだけど……今日は、ラウラと行きたいなって」

「……それは、何故でしょうか?」



 胸がきつく締め付けられた。

 あの二人を差し置いて、自分が選ばれた。

 けれど、あの女には及ばない。

 心が、嬉しさと悔しさで板挟みだったのだ。


 だが、ラウラの内心を意にも介さず、レイフォードは軽い調子で理由を話す。



「いつも置いて行っちゃってるから、そのお返し……かな。

 あと、この前のお詫びも兼ねて」



 この前、とは例のナンパ二人組の件だろう。

 一言二言、苦言を呈しただけだったが、彼はラウラの複雑な心境を見抜いていたらしい。


 思わず顔が赤くなりそうなのを必死で抑える。

 目を覆い隠すほど長い前髪は、今はとても役に立っていた。



「それに、さ。

 星灯祭なら人がいっぱい居るし、僕もラウラもそんなに目立たないと思うんだ。

 眼鏡も手に入ったから、昔みたいなことにもならないしね」



 レイフォードは、机の上に置いていた眼鏡を掛ける。

 美しい瞳が隠れてしまうから、ラウラはその姿をあまりよく思っていなかった。


 一度離れた彼は、再びラウラに近付く。

 そして、自分に比べて小さな手を差し出した。



「だから、一緒に行かない?

 ……それとも、嫌?」



 子兎のように丸い目が、ラウラを見上げる。


 反則だろう、それは。

 思わず抱き締めたくなるのを必死で堪え、胸に手を当て腰を折る。



「私で良ければ、何なりとお申し付けください」



 後ろで一つに纏めた髪が肩に落ちた。


 ラウラは、彼が差し伸べた手は取らない。

 それを取る資格は、今の自分にはない。

 あの時の一度限りで十分だった。


 顔を上げれば、寂しそうな表情のレイフォードが目に入る。

 全て貴方のせいだというのに、と思ってしまうが、態度には出さない。

 彼の思わせ振りなところは、今に始まったことではないのだ。


 白手袋に包まれた手を引っ込めると、レイフォードはふっと笑い──急に接近し、ラウラの手を握った。



「ありがとう!」



 手触りの良い布越しに、彼の体温が伝わる。

 常人より幾分か低いというが、ラウラにとっては十分暖かかった。



「準備は良い? じゃあ、早速行こう」



 呆気に取られ、静止する間もなく、椅子に掛けていた上着を手に取った彼は、ラウラの手を牽いて外へ向かう。

 その後ろ姿の既視感は、何度も瞬きしても消えなかった。


 普段、レイフォードはこんな強引なことはしない。

 寧ろ、自分から積極的に距離を取る質だ。


 だが、今、彼はラウラの手を牽き、二人きりで町へ向かおうとしている。

 ユフィリアでも、テオドールでも、セレナや家族や、他の使用人たちではなく、ラウラの手を牽いて。


 それがどんな意味を持つのか、どんな意図なのか。

 今のラウラには察することが出来ない。


 けれど、それでも、心に決めたことがある。


 ──今度こそ、必ず貴方を守り通そう。


 あの日、テオドールに言った言葉は、ある意味、自分への暗示であった。


 何人たりとも、貴方に危害を加えさせない。

 貴方の隣でなくとも、側で守り続ける。


 恋人でもない、友人でもない、ただの脇役かもしれないけれど。

 貴方に向ける愛は、他の誰とも同じではない、唯一の愛なのだ。


 貴方は、『彼女』ではない。

 それは分かっている。

 しかし、私はどうしても貴方に『彼女』を見出してしまうだろう。

 千年以上の妄執は、どうにも抑えきれない。


 それでも、貴方の側に居させてほしい。

 貴方だけの騎士として、守らせてほしい。


 貴方がこの蒼空の下で、いつまでも笑っていられるように。

 たとえ、赦されないとしても。

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