七節/4
二人の会話を盗聴していた青年と悪魔は、天を仰ぐ。
「……おい、契約者よ。
『絶対分かんねーよ、大丈夫大丈夫』とは何だったのだ?」
「いや、想像付くわけねーだろ。何で分かんだよ。
つーか何で覚えてんだよ、二十年以上前の話だぞ。
これだから天才はよお……」
今の自分を苦しめているのが、過去の自分だと誰が予想していただろうか。
確かに、あの時の自分は最早、人ではない『何か』であったし、それのおかげで今も『幽霊』として存在している。
それもすべて、元はと言えば隣に座るこの悪魔と、所謂『前世の記憶』によるものなのだが。
全く何も話していなかったフローレンスが、どうして一番真実に近付けているのか。
ルーディウスは、その意味が分からなかった。
「ああ……酒飲みたい、煙草吸いたい、女遊びしたーい」
「全部苦手だろう。
貴様、近付くことすら難しいではないか」
「うるせー。
人として、やけになりたいときがあんの。
悪魔のくせして品行方正な奴には分かんねーかもしれないけど」
何気なく放った一言。
だが、それはシエルにとって『地雷』にも等しい一言であった。
肩に添えられた、異形の手。
自分がやらかしたことを悟るには、些か遅すぎた。
「ふむ、そうか。
ならば、再現くらいはしてやろう。
何、情報はいくらでも過去から持ってこれる。
貴様にとっては地獄のような思い出だろうがな」
「やめてください、死んでしまいま──って、本気でやめろお前!
無理無理、全部キモいから無理──!」
ある日、興味本位で飲んだ酒。
友人から一本だけ貰った煙草。
女に関しては──一人に操をたてているため、今世では彼女以外との経験はない。
だからこそ、今自分に襲い掛かっているのは酒と煙草の苦しみだけ。
脳味噌を掻き混ぜられているような酩酊感と、肺を焼かれているような痛みだけだった。
「マジで無理……辛……」
「我を馬鹿にするからそうなるのだ。
生前は兎も角、今主導権を握っているのは我であるからな?
重々承知しておけ」
「……すんませんした」
この自称悪魔、散々こき使ってたことを根に持っていやがる。
生きている間、彼にした仕打ちを思い出し、ルーディウスは地獄を耐える。
その様子を見て、シエルはほくそ笑み、そして、心配した。
「契約者がそうなるのならば、あの少年も碌なことにはならんだろうな」
「……うちの家系、酒も煙草も。
というか、薬も基本駄目なんだわ。
基本身体が貧弱なの」
「神秘本面へ特化したことへの代償か。
難儀なものだな。
この〝眼〟とやらも、程度は下げてあるが、人が持っていていい力ではない。
全く、頭のおかしい一族だ」
「ご先祖様に言ってくれよ……」
契約の際に渡した、ルーディウス本来の眼球を弄ぶシエル。
継承能力とは、分け与えられた神の力の一端。
肉体の一部が置換されることで、それは効力を発揮する。
継承能力と綺麗に言っているが、その実態は呪いに近い。
血が続く限り、末代までこの力から逃げることは出来ない。
右眼に人ならざる力を宿しながら、生きるしかないのだ。
ただ、王族の血が薄れてきたからか、力自体はかなり弱体化している。
『人』の身体が耐えれるように、長い時をかけて調整されていたのだ。
だが、偶に特異点のように、強力となってしまう者がいる。
それが、巫の血が強く出た者。
即ち、レイフォードであった。
シエルは嘲笑う。
「……始めから、定められていたのだろうな。
それこそ、彼が『彼』として定義されたときから」
「『名は体を示す』ってか?
俺も人のこと言えねーんだわ」
「だろうな。
だからこそ、貴様は我と契約が出来たのだろう。
魔王と同格の契約が出来る者なぞ、『人』の枠組みに収まれるわけがない」
魔王なんて仰々しい称号だが、その本質は特位精霊と変わりない。
長い時を生きた、世界そのものの具現化。
悪魔も、精霊も、呼び方が違うだけで、同じものであるのだ。
そして、まだ未熟な悪魔・精霊ではなく、世界そのものと同格の契約をすることとは、つまり、世界と同化することに他ならない。
いや、どちらかといえば、世界と同化出来るからこそ、同格の契約が出来るのか。
遠い昔、とある精霊が、とある少女の隣に居続けられなかった原因だ。
魔法に目覚めた後ならば、話は違かっただろうが。
過ぎた問題に、たらればを言っても仕方がなかった。
「さて、どうする?
あの女、我らを調べ尽くしにくるのではないか?」
「その辺は殿下に頼んでるから防いでもらえる……と思いたい。
ここまで頑張ってきた努力が水の泡なのは嫌だぞ、俺」
その気になれば、いつでも彼女たちの前に姿を現すことは出来た。
しかし、それをしなかったのは、いずれ消えてしまう定めにあると理解していたからだ。
もう別れさせてしまったのに、また別れさせるのは酷だろう。
そう思っていたから、理解のある──霊視能力を持つ者の前にだけ、現れていたのだ。
彼らなら、急に消えたとしても、まだ納得してくれるはずだから。
だが、そうも言っていられなくなってきてしまった。
フローレンスが勘付いたということは、近いうちに頭を揃えて王宮に殴り込みに来かねない。
彼女たちならば、少し調べれば、ヴィンセントが何かを隠していることに気付くだろう。
そこから、あの計画まで露呈するのは、絶対に避けたかった。
「このまま、姉貴分として動いてくれるのが一番助かるんだけどなあ……。
余計なことしないでくれねーかなあ……」
「無理だろうな」
「んなこたあ、分かってるわ。
あいつらの思考回路なんぞ、とっくの昔に把握してるんだっての!
……動くぞ、おっさん」
「ああ、我が契約者よ」
傾き始めた日。
明星が空に輝き始めた頃、誰にも知られず、悟られず、死人は暗躍する。
同類たる彼を、救うために。