七節/3
扉を開けると、機材を手に持ったフローレンスが待っていた。
「準備はいいか? なら、早速始めるが」
「問題ありません。
……源素もきちんと練れます」
眼鏡を外し、掌の上に源素を集める。
いつもと変わらない、己の源素だった。
「いつもと同じ手順だ。
中入って、一か所に集めとけ。
大きさは……こんくらいか」
彼女が指し示したのは、大体一頭身。
それくらいもあれば、闘技場程度の大きさの結界は張れるのだろう。
「承知しました。三十分もあれば出来ると思います」
「ほーい。じゃ、よろしく」
フローレンスに眼鏡を預け、レイフォードは実験室の奥にある強固な結界の中に入る。
彼女が言った大きさと同じくらいの箱がぽつりとあるだけで、他は何もない。
意図的に、物が排除されていた。
この中であれば、いくら源素を解放したとしても、外部に影響は起きない。
闘技場での一件のように攻撃術式を使うこともなく、何度もおこなっていることだからか、不安は全くなかった。
桶の水をひっくり返すように、普段抑えているすべての力を解き放てば、閉じた空間内に強風が起きる。
髪や服の裾が靡くのを気にも止めず、レイフォードは手袋を外した右手を、例の箱に向けて突き出した。
溢れ出る力の奔流を一点に集めることを想像し、操作する。
始めは荒ぶっていた源素が安定し、やっと小さな欠片が出来たのを確認すると、レイフォードは座り込んだ。
「雛型の形成は……上手く行ってる見てーだな。
そのまま続けろ」
机の上で、いつものように記録するフローレンス。
精霊石の数を管理している以上、人工のものであっても、報告書は必要不可欠だ。
彼女の手が止まり、レイフォードもそれほど集中する必要がなくなったところで、ずっと気掛かりであったことを尋ねようとする。
が、先に口を開いたのは、フローレンスであった。
「知りたいか? 『禁呪』のこと」
「……はい。どういう意味なんですか」
「そのまんま、言葉通りだよ。
禁じられた呪い。
精霊術より、魔術や呪術に近いもの。
この国じゃご法度の贋作神秘だ」
禁呪とは、精霊術と違い、精霊の助けを全く借りず、尚かつ体内源素のみを使用する術式のことを指す。
やり方は簡単、ただ『願う』だけ。
想いが込められているならば、言葉でも、動作でも、何だっていい。
ただ、これを使うには、源素の純度を大幅に引き上げる必要がある。
そうでなければ、世界基盤に干渉することができない。
この制限のおかげで、使用者はかなり少数に限られる。
純度を上げるということは、源素を練る必要があり、源素を練ることが出来る時点で、ごく少数となるからだ。
そこで、ふと、レイフォードは五年前のことを思い出す。
あのとき、あの男は『禁呪も使えないよう細工してある』と言っていた。
気が動転していて、そこまで頭が回っていなかったが、あの中にいたはずの何名かは、禁呪を使おうとしていたのだろう。
そして、恐らく、その中には、父であるシルヴェスタが含まれているはずだ。
「禁止されているのは……治安維持だけではないですね。
もしや、源素の上限なく発動出来ますか?」
「ご名答。
あれは例えるなら、勝手に契約書を作り、金を巻き上げる悪徳業者だ。
借金を抱えることになろうとも、躊躇うことなんてない」
「……実際、そこまで行った例は」
「ある。
……今のおまえなら言っていいか。
おまえの親父は、一回それで死んだ。
今も生きてんのは、わたしたちがどうにか生き返らせたからだ」
「……へ?」
衝撃の事実に、一瞬思考が止まる。
父が、あの父が、一度死んでいた。
「そこまで驚くなよ、知らなくて当然だ。
だって、あいつ自身覚えてねーもん」
「……どうして、そんなことに」
「……ざっくり言えば、キレ過ぎた。
歯止めが効かなくなっちまったんだよ。
自分のせいで、兄貴が殺されたってな」
はっと息が詰まる。
以前、キャロラインから聞いた話だ。
伯父は、ルーディウスは不意を突かれたシルヴェスタを庇い、首を斬られて亡くなった、と。
「ある意味、自殺だったんじゃねーかな。
『せめて、敵を全部殺してから死のう。それが償いだ』って。
だから、自分まで燃やし尽くす勢いで、あいつは灼き払った。
仲間の静止も、クラウディアの声も、何一つ聞こえないまま」
「それは……」
もし、自分の目の前で、ユフィリアが。
テオドールや、家族が殺されてしまったら。
自分も、絶対にそうなってしまうだろう。
復讐の焔に包まれて、全部燃やし尽くすまで、怒りを止めることが出来ずに。
全て、すべて、殺してしまうのだ。
あのときのように。
「精霊ってな、本当に死んじまうときは、精霊術を使わせてくれないんだよ。
『友人を死なせてたまるか』っつってな。
大体はそこで止まるんだが……あいつには効かなかったみたいだ」
「……危ないですね」
「だろ?」
軽い口調で話すフローレンスだが、表情は暗い。
きっと、昔のことを思い出している。
時系列を考えれば、シルヴェスタを蘇生した後に、ルーディウスの死を知ったはずだ。
一度生き返らせた経験があったからこそ、もう一度。
なんて、考えてしまっていたのだろう。
結果は、惨いものだったが。
「……つーことで、あんま使うなよ。
使うにしても、最終奥義だ」
「分かってます。
僕も、死にたくないですから」
レイフォードは、約束をした。
ユフィリアと最期まで、共に生きる、と。
もう二度と、約束を破る気はない。
だからこそ、死ぬことはできなかった。
「そうかよ。
ま、おまえの場合、死ぬより先に『お迎え』がくんじゃねーの?
心待ちにしてるんだろ、同類がよ」
「僕はまだ人ですよ。
……個人的には、ずっと人のままで居たいんですけどね」
「そりゃあ、難しいお願いだな。
もう、殆ど受肉精霊みたいなもんなんだから」
「……ですよね」
偶に、また世界に溶けてしまいそうになる境界を見つめて、現実とはままならないものだと愚痴を零した。
あの日から、レイフォードの身体は変わった。
虚弱だった身体は、健康に。
過剰な源素によって崩壊していた魂は、輪郭を取り戻し。
けれど、ただ一つ。
おかしな現象が起こっていた。
気付いたのは、しばらく経ってから。
真実を知ったのは、つい最近のことだった。
──ふと、誰かの願いが聞こえるのだ。
『物を失くしてしまったから、見つけたい』。
『友と喧嘩してしまったから、仲直りしたい』。
喋っているわけではない。
けれど、確かに届いている。
聞き届けてしまっている。
一度聞いてしまえば、それを無視することはできなかった。
直接的とまではいかなくとも、それとなく問題を解決し、結果望んだ通りになれば、その声は消える。
気のせいではない。
そう気付いても、治す方法は見つからない。
また、匙を投げられた。
あの日々と同じように。
どうして、己には無理難題が降り掛かって来るのだろう。
そうぼやきつつも、この不可思議な現象にも慣れた頃だ。
とある精霊と出会った。
彼女は長い時を過ごしたからか、何でも知っていた。
ならば、これも分かるのではないか。
その予想は、正しかった。
──それは、《理》です。
貴方が生まれ持った、生きるための道標。
これまで歩んできた過去と、これから歩む未来の証。
貴方が『貴方』である限り、それに従って生きるしかありません。
私たち、精霊と同じように。
至極当然という風に、彼女は言う。
それが、レイフォードにとって、どれだけ重大であるかを分かっていながら。
もうどうしようもできないものだ、と。
精霊は、その名と同じ理を持つ。
ラウラが『風』を、ローザが『花』の理を持つように、レイフォードもまた『光』として、また『導く者』としての理を持ってしまった。
あの時から、レイフォードの肉体は変質していたのだ。
人から、中途半端な精霊へと。
原因は、この身に宿る膨大な源素量、そして、ユフィリアによる再構築。
人の身で受け入れられる源素量なんて、高が知れている。
だからこそ、あの日々のレイフォードは苦しんでいた。
解決するためには、入れ物を変える必要がある。
そうして、このままでは存在を維持できないと、『人』でありながら、『精霊に近いもの』へと肉体を変化させられたのだ。
それによって、レイフォードは今、この瞬間もここに存在出来ていた。
これを知る者は、当事者であるレイフォードと、精霊たち、そしてフローレンスくらいだ。
「寿命じゃ死ねねーもんな。どうするよ」
「誰かに殺してもらう、というのは?」
「おまえを知ってるやつは絶対できねーし、他人じゃ勝手に死体使われることなるぞ。
駄目だダメ」
「自殺しようとしても止めるじゃないですか。
どうしろと」
「だから、それを今考えてんだろうが」
レイフォードの頭の中には、人の寿命以上に生きるという考えはない。
それは、ユフィリアとの約束を破ることになるからだ。
あくまでも『人』として、彼女の隣に居たい。
だからこそ、いつかは死ななければいけない。
人であるからには、終わりを迎えなければいけなかった。
「……やっぱ、精霊化を回避するのはできねーな。
どうしてもってんなら、存在ごと……いや、その後がなあ」
「何ですかそれ。凄い気になるじゃないですか」
フローレンスが言い淀んだ内容を追求する。
どうせ、失敗前提の挑戦だ。
この際、どんなことでも知りたかった。
「死ぬつーか、消えることなら出来んだよ。
存在ごと焼べて、禁呪使えばな。
『恒久的な世界の平和』でも願えばいけんじゃね?」
「……それ、かなりやばいことしてません?」
「そんぐらいしねーと無理なの。
禁呪使ってる以上、ほんとにホントの最終手段だぜ」
世界規模の干渉。
それがどれだけおかしいことかは、数時間前の小型箱庭世界にて説明された。
この世界の外側には、結界のような障壁がある。
外側から見れば、大体立方体のようになっているはずだ。
まさしく、箱庭世界。
箱の中に、世界が形成されているわけである。
レイフォードがそれを知ったのは、遠視術式を使った天体観測を行ったときだ。
空には、星がある。
そのはずなのに、雲を突き抜けた先にあったのは、ただの行き止まり。
どれだけ調べても、壁に星空が映されているだけで、それ以上進むことが出来ない。
今まで美しいと感じていた太陽も、月も、星々も。
すべて張りぼての空想だったのだ。
悟ったレイフォードは、大地の先も見た。
結果は察していた通り、四方八方、行き止まり。
道理で『世界の果て』と言われるわけだ。
記憶の中の地球は球体で、宇宙は限りなく膨張していたが、どうにもこの世界は平面的で、外側は行き詰まりな箱型らしい。
それどころか、星の巡りも固定されていて、アリステラ以外の国では季節というものも、存在していないようだった。
アリステラに季節があるのも、気候的なものであって、空に関しては季節感など無かったことを、今更ながらに気付く。
規定された通りに朝が来て、夜が来る。
まるで、誰かにそう創られたように。
いや、『まるで』ではないのだろう。
この世界は、確実に、誰かによって創られている。
歪で、継ぎ接ぎで、穴だらけなのがその証明だ。
アリステラ王国の土地はおかしい。
ここだけで、一つの世界が完成している。
基本、ずっと寒いままの北、ずっと暑いままの南。
温暖かつ浸潤で山の多い西、寒冷かつ乾燥して草原と森が多い東。
地球に当てはめて見れば、北極圏、赤道帯、西ヨーロッパ、東アジアだろうか。
細かく分類すればもっと違いがあるが、一つの国にあっていい違いではない。
世界地図を千切って、一つの国としてまとめたような出鱈目さだ。
そして、恐らく、この予想は正しい。
解答は、今から約千四百年前の歴史。
所謂、『旧暦』が持っている。
しかし、今現在、レイフォードがそれを知る術はない。
フローレンスに聞いたところで、誤魔化されるのがオチだろう。
そもそも、彼女らもそこまで知らないのだろうが。
気付けば、箱の大半を満たすほど、源素の結晶が大きくなっていた。
これならば及第点だろう。
源素の放出をやめ、人工精霊石を箱ごと持ち上げると、結果外のフローレンスの机の上に置いた。
「どうです?」
「ばっちり。
術式構築は後でやっから、今日の仕事はこれで終わりだな」
「今日は……ってことは、後でまた呼び出されるんですね」
「ったりめーだろ。壊した本人に確認させねーわけがねーよ」
「耳が痛い……」
記録器具ごとを突っ込んだ箱を小脇に抱えたフローレンスとともに、レイフォードは研究室へ戻る。
その道すがら、彼女がふと思い出したように話す。
「おまえの伯父の話なんだけどさ。
あの人がわたしとイヴの師匠みたいなもんだった、ってのは知ってるか?」
「つい一昨日知りました。
先生が外道みたいな戦法を取るのは、伯父上のせいだとも」
ルーディウスの旧友であるセリアーノは、彼の戦い方に対して、よく苦言を呈していたという。
何でも、『騎士道に反し過ぎる』のだとか。
「外道って……まあ、その通りだけどよ。
んでな、おまえとあの人を比べて、そういえばって思ったんだわ。
『色々似てる上に、使ってるやつ多分精霊術じゃなかったな』って。
そもそも、あれだけの技量がありながら、あんなカスみないな源素なのも、バカみてーな身体能力だったのも、あの名前も、『人』ならおかしいんだよ。
だから、もしかしたら、あの人自身おまえと同じく、人でありながら人ならざるものになっちまってたんじゃねーか、と。
なら、今もどっかで生きてんじゃねーかな……なんて、妄想だけどな」
そう言って、フローレンスは研究室へ入っていった。
驚きで固まったレイフォードを置いて。