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七節/2

 扉を開けた瞬間に、一気に視線が集まる。

 それもそのはず。

 今、レイフォードは担がれているのだ。



「おう、散れ散れ。

 今からお仕置きなんだぞ」

「局長、ナニするんすか?」

「そりゃあ、密室で……じゃねーんだよ。

 精霊石の生成と源素充填だわ」

「遂に局長が大人の階段を上るのかと思ったのに」

「生憎、子どもには興奮しねーよ。

 コリンと違って」

「人聞きの悪いこと言わないでもらえます?!」

「紛れもない真実だろうが」

「言い争う前に下ろしてください……」



 相変わらず騒がしいな、この研究室。

 粘液漬けとなった全身を擦り、レイフォードは呆れた。



「おっと、すまん。おい、デイヴィッシュ。

 こいつ浴室に連れて行け。

 粘液のせいでまともに歩けねえ」

「へーい……つうか、局長。

 仕方ねえのは分かってますけど、俵担ぎはいかがなもんかと」

「良いだろ別に。急ぎだったんだから」



 妙にぶれる視界の中、フローレンスの部下の男に手渡される。

 こういう経験は何度目だろうか。

 情けなさとともに、自身の不運さを嘆いた。



「酷いです、局長。

 あたしはただ、小さくて可愛い子が好きなだけで──」

「ああ、はいはい。そうだな、すまんかった。

 あいつの換えの服好きなように選んでいいぞ」

「──サイコーです局長!」

「おう、程々にしてやれよ」



 何か不穏な会話が聞こえた気がする。

 薄れゆく意識の中で、レイフォードは怯えていた。



「……あ、寝落ちちゃいました。ホント、何したんすか」

「わたしは何もしてねーよ。

 やったのは医療部だ、い・りょ・う・ぶ!」

「もしや、あれですか。

 改造した粘体(スライム)の体液を使った麻酔ってやつ」

「それそれ。

 極度の飢餓状態にして搾り取ってた時に、脱走したらしい」


 

 技術局は、いくつかの部門に別れ、それから研究室毎に別れている。

 所属人数はまちまちだが、総じて、その専門分野の頂点とも言える技術が集結していた。


 今回の騒動の原因である粘体、その体液を使用した麻酔は、医療部の悲願である『完全に意図的な調整が可能な麻酔』であった。

 これは、源素を多分に含んだ水の変異種である粘体を人工的に作り出し、調整することで作成されている。

 粘性を持つのは、扱いやすさを上げるためであるらしい。

 その強度自体も調整可能であるため、限りなく液体に近いものも作れるのだが。


 粘体は、飢餓状態──ここでは存在の維持のために必要な源素が不足している状態を指す──となると、体外に粘液を分泌する。

 体液である粘液から、栄養となる源素を抽出し、源素を無くしたそれを体外へと出すことで、体積は減少してしまうが、存在を保つことができるのである。


 粘液は、粘膜摂取することで麻酔と同様の効果を発揮する。

 しかも、後遺症が全くない。

 強いて言えば、粘性を不快に思うくらいだろうか。


 野生の粘体を調査していったところ、その性質が発見され、医療界は大いに沸いた。

 『これを使えば外科手術が楽になる』と。

 

 アリステラ王国における外科手術は、基本精霊術が使えない。

 それは、精霊術──贋作神秘は、世界基盤による修正を受け、いつか効果を失ってしまうからだ。

 人の命を預かる中で、そのような曖昧かつ不安定な方法は避けたい。

 だからこそ、かなりの極限状態でなければ、手術はすべて人の手によって行われる。


 だが、医療技術はまだ発展途上である。

 その中でも、麻酔関連は下も下。

 現在最新の麻酔ですら、成功率はかなり低く、持続時間も短かった。


 そのような事情があったからこそ、粘液による麻酔研究は急速に進められていた。

 そして、その研究がついに実を結んだと思ったときに、あの脱走が起こったわけだ。

 


「お腹空いてたんですね……。

 そりゃあ、あんな『ご馳走』目の前に出されたら飛びつきますよ」



 フローレンスは首を縦に振った。


 粘体に知性はなく、ただ本能に身を任せ、栄養となる源素を求めて徘徊する。

 野生においては、主に植物が捕食対象で、動物に手を出すことは少ない。

 しかし、極度の飢餓状態であるならば、話は別だ。

 どれだけ相手が強力であろうと、源素を吸い尽くそうと飛び掛かる。

 知性がないのは、このような行動を起こすための生存戦略なのかもしれない。


 また、源素の吸収は、皮膚との接触、あるいは体液の摂取などが効率が良いとされる。

 レイフォードが昏睡状態に陥ったのは、知覚外から襲われ、強制的に粘液を摂取する羽目になったからであった。


 流石、東部騎士団で魔物・変異種相手での『最高級の餌』と呼ばれる男である。


 

「そこまで強力なやつじゃないから、起こそうと思えば起きるってよ」

「そうすっか。せっかくなら、この前の()()使うか……」


 

 そう言って彼が取り出したのは、先日の飲み会において、余興として行われた遊戯で獲得した『目覚まし』であった。

 でも、これはただの目覚ましではない。

 弩級の目覚まし、『弩・目覚まし』だ。


 外見は、何の変哲もないただの目覚まし時計である。

 秒針も正常に時を刻み、文字盤にも何らおかしいことはない。

 唯一変わったところといえば、外見からは想像できないほど重いことくらいだろう。


 デイヴィッシュは、その上部にある突起を押した。



「……へ?」

「おはよう、取り敢えず身体洗ってこい。

 その間に色々準備しておくから」

「……分かりました」



 かちりと音が鳴ったかと思えば、レイフォードはこれっぽっちの眠気も残らず、意識を覚醒させていた。

 先程まで、あんなにも眠気があったというのに。


 謎技術に恐れ慄きながら、レイフォードは身体にこびりついた粘液を落とす。



「うわ……見つかったら怒られるだろうなあ……」



 ふと浴室の鏡を見ると、全身に痛々しい拘束痕が付いてしまっていた。

 恐らく、粘体に襲われた際、かなり強く締め付けられたからだろう。

 体積が小さくなったことで、対象を拘束するための触手も細くなり、その分掛かる圧力も強くなっていたのだ。


 中まで潜り込んできたのが幸いか、服で隠せる範囲ではあった。

 彼女らに隠し通せるかは、また別の話なのだが。



「おーい。拭き布(タオル)と服、ここに置いておくからな」

「はい、ありがとうございます」



 デイヴィッシュが脱衣室から居なくなったことを確認すると、レイフォードは浴室を出る。

 拭き布はともかく、服は碌なものが用意されていないのだろうな、と察しながら。






「……お待たせしました」

「お、今日も似合ってんじゃん」

「褒められても、全く嬉しくないんですよ。

 何回目ですか、これ」



 そう言って、レイフォードは服の裾を持ち上げた。


 ふんだんに縁飾(フリル)があしらわれた膝丈の洋袴(スカート)

 高い踵の革靴。

 白い肉襦袢(タイツ)に包まれた脚は、男性特有の角張った膝が隠されてしまっているせいで、少女のようにしか見えない。

 ご丁寧に、上半身も丁度肩幅を誤魔化すような寛衣(ブラウス)だ。



「露出度高くねーんだから、まだマシだろ」

「比較対象が悪過ぎる……。

 選んだ当の本人は、鼻血出して気絶してますし」

「長年の夢なんだ。許してやれ」

「一回り年下の男を女装させる夢って何なんですか……?」

「ああ……うん、まあ。

 あいつの趣味に関しちゃ、何も言えねーわ。すまん」

「諦めないでくださいよ……」



 溜息混じりに、レイフォードは文句を垂れる。

 自分が『そういうもの』が似合う顔である自覚はしているが、身体も精神もどこからどう見ても男なのだ。


 その点、露出度が高いものはまだ良いのかもしれない。

 骨格がもろに出るため、男らしさが滲むからだ。


 だが、今日のような服で、その上鏡を見てしまったとき。

 若干、本当に若干だが、自分が男であるという自覚が薄れてしまう。

 ありえないと分かっていても、男として生まれたのは何かの間違いで、本当は女だったのではないかと誤認してしまいそうになるのだ。


 レイフォードとしてみれば、周囲の人が皆手放しに褒めちぎるのも悪いと思う。

 誰か一人でも『キモい』と言ってくれれば、少し気が楽になるというのに。


 視界の端で、ディヴィッシュに叩かれたコリンが目を覚ました。

 レイフォードを視認した瞬間、安らかだった顔は険しく、そして息が荒くなる。


 匍匐前進のような姿勢でレイフォードの足元へと近付き、洋袴の中を覗こうとしてくるので、咄嗟に裾を抑えた。



「……ねえ、きみ。下着(パンツ)、何色……?」

「流石に気持ち悪いです。

 というか、用意したのは貴方では?」

「それとこれとは話が違うんだよお!

 良いから早く教えろお!」

「……黒、ですけど。

 あの、捲ろうとするのやめてもらっていいですか?

 本当に叫びますよ?」



 鼻血と涎を垂らしながら恍惚とした顔を浮かべ、人とは思えない笑い声を上げるコリン。

 乙女がしていい姿ではない。



「じゃあ、踏んで罵ってくれたら終わりにします」

「何が『じゃあ』ですか、何が。

 ……どう罵れば?」

「ゴミを見るような目で、嫌悪感を露わにしながら、踏み潰すように……。

 台詞はおまかせします」



 ちらりと、レイフォードはフローレンスに視線を送る。

 『本当にやっていいんですか、これ』と。

 返ってきたのは、深い頷きだけだった。


 踏む、ということは座らないといけない。

 そう思って辺りを見回していると、ディヴィッシュが丁度良い椅子を運んできた。

 音も立てずに置き、すぐに立ち去る姿は宛ら仕事人。

 だが、レイフォードを助けるという頭はないようである。


 フローレンスと彼以外の職員も皆観戦状態に入っているため、助けは期待できないだろう。

 一部は撮影機材まで用意している。

 本当にどうなってるんだ、この研究室は。


 もう腹を括るしかない。

 ゆっくり椅子に腰掛け、脚を組む。

 足元には、芋虫のようなコリンが転がって、レイフォードを見上げていた。


 その顔目掛けて、出来るだけ優しく、足を置く。

 妙に綺麗な白い靴の踵が彼女の体液で汚れた。


 そして、力を込め、見下し、渾身の台詞を吐き捨てる。



「──この、変態」

「あびゃ……はわわ……」



 おかしな叫び声を上げたかと思えば、目を回し、コリンは再び気絶した。

 供給過多だったのだろう。

 今までで一番、とびっきり過激なお願いであったのだから。

 次点は下着の上にぶかぶかの男物の襯衣(シャツ)と長い靴下だけを着て、馬乗りになってほしいというものだ。

 なお、これを頼んだのはコリンとは別の者である。


 終わったことを察した周囲は、気絶したコリンを引き摺り、レイフォードから遠ざける。

 雑な扱いに見えるが、彼女以外も同じような対応をされるため見慣れた光景だ。


 椅子にもたれこんでいると、フローレンスが水を手渡してくる。



「お疲れ。

 生成の準備終わってるから、少し休憩したら実験室来いよ」

「いや、軽く流してますけど、これ大分おかしいですからね?」



 思い返すのは、今までの所業の数々。

 獣耳や仮装なんてものは軽い方で、耳掻きやら膝枕やら行為を付け足されたり、挙げ句の果てには、今日のような妄想の再現をしたりと、子ども相手には絶対よろしくないものばかりであった。

 子ども扱いされていないと言えば聞こえは良いが、レイフォードは、法律的にはまだ準成人も迎えていない『子ども』だ。

 何らかの捜査が入れば、彼らの歪みきった性癖が白日の元に晒されるのは確実だった。



「みんな疲れてんだ。

 おまえ一人の犠牲で何とかなるなら、それ以上のことはねーよ。

 つーか、許可出してるのは、おまえがやらかしたときだけだし」

「……ぐうの音も出ない」



 彼女の言う通り、これらを頼まれるのはすべて、レイフォードが何かしらやらかした後のことであった。

 レイフォードが断れないのは、基本『己の後始末を任せてしまっている』という後ろめたさがあるから。

 つまり、彼女らがこういった変態じみたことを頼む本当の目的は、レイフォードの罪悪感を減らすためだった。

 


「それに……いや、何でもない。

 とりあえず、あっちで待ってっから」



 そう言って、彼女は手を振って外を出た。


 フローレンスが、レイフォードを気遣って言わなかった言葉。

 しかし、何を言おうとしていたかというのは、長い付き合いだからか、察することが出来ていた。


 ──おまえ、誰かが喜ぶなら、それを嫌がるとかしねーだろ。


 恐らく、彼女はそう言いたかったはずだ。

 レイフォードの性質を見抜いている彼女なら、そう言うはずだ。

 お人好しに見えて、自分勝手。

 与えているように見えて、与えられている。

 そんな性質を知る、彼女なら。


 この研究室は、騒がしい。

 けれど、それ以上に心地良い。


 誰しも自分を持っているから、譲れない意志があるから。

 誰に導かれるまでもなく、自分で道を探し出せる。

 それは、つまり、レイフォードが最も『レイフォード』らしくいられる条件が揃っていることに他ならない。


 救わなくていい、導かなくていい。

 与えられた『役割』を果たさなくていい。


 それほど肩の荷が下りる場所を、レイフォードはここと、あともう一つしか知らなかった。



「……そろそろ、行こうか」



 閉じていた目蓋を開け、椅子の側に置かれていた別の靴に履き替えると、研究室の外に出る。

 人っ子一人居ない廊下の空気は涼しく、少し肌寒い。


 どうか、誰とも会いませんように。

 そう祈りながら、レイフォードは実験室へと向かっていった。

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