六節/4
試験が始まって、凡そ四十分。
大半の受験生は、残りの試験の観戦をしていた。
神秘科の試験内容は二種類存在する。
一つは、予め張られた結界内部への干渉。
もう一つは、試験用人形に術式を命中させることだ。
前者は受験者の干渉力の強さが、後者は技術・発想力が問われる。
前者の結界の強度は、精霊術をまともに扱える者なら、手を入れることくらいは出来るほど。
位階的には第五くらいか。
この試験の意味は、基礎中の基礎の力もない受験生の足切りであるため、これが原因で落ちるという者は少ない。
レイフォードが見た限りでは、十八人中十六人は干渉することが出来ていた。
まだ試験を受けていない、レイフォードとヴァンを除いてはいるが、〝眼〟で見る限り、彼に問題があるようには見られない。
と、すると、一つ目の達成者は二十人中十八人。
他の組でも、大体同数だろう。
しかしながら、大規模な干渉を与えられるのは片手で足りるほどだった。
大半は身体を入れるだけで終わったり、本来の位階より四つ下に分類されるほど弱体化した術式だけなら発動させられたりなど、地味な結果に終わっている。
その数少ない大規模干渉者は、結界内でも高位の術式を発動させているため、申し分ない実力のようであった。
「……次。受験番号三〇七九、三〇八〇、前へ」
自分の番号が呼ばれたため、椅子から立ち上がり、試験官の前に立つ。
数米空けたところには、同じようにヴァンが立っていた。
試験官は受験者一人あたり、記録と監視で二人体制。
これは、不正──精霊石や術具の使用など──を防止するためだ。
試験開始前に全体に確認しているが、過去に巧妙に隠して持ち込んだ者がいたらしく、今の体制になっている。
そんな努力をする前に精霊術を学べ、という主張はのは最もだ。
しかし、生まれ持った源素量が余りにも少ない場合、努力だけでは埋められない差は確かにある。
そこまで少ないことは、殆どあり得ないのではあるが。
「準備は整いましたか?
では、計測を開始します。
──始め!」
一人に与えられる試験時間は五分。
その間に二つの試験を突破する必要がある。
どちらから始めるかは本人の意志に任されているが、大抵は結界への干渉から始める。
理由は勿論、そちらの方が簡単だからだ。
結界に近付き、手で触れる。
叩くと、硝子のようにこつこつ硬い音が鳴った。
眼鏡を掛けているため、術式の細部の把握は出来ないが、イヴに聞いていた通りの結界だと感じる。
『〝眼〟の力を使うのは、本当に切羽詰まったときだけにしろ。それに頼り切りだと後々困る』という彼女の助言通り、レイフォードは現在、そこだけは制限したまま試験を受けている。
これは、所謂『舐めプ』ではなく、実際使う場面を意識してのことだ。
〝眼〟の副作用が起こるような場所での研究や戦闘などのとき、『それに頼り切りだったので感知も何も出来ません』では話にならない。
この学び舎は学問を学ぶために通う場所であって、才能にあぐらをかいて過ごす場所ではないのだ。
だからこそ、レイフォードは自分が得た技術のみを使って、試験を突破する。
掌全体を付け、普段は抑えている源素を解放した──。
「……あ」
瞬間、結界は砕け散った。
粉々に、跡形もないほどに。
嘘でしょ、ただ開放しただけなんだけど。
慌てて解放した源素を引っ込める。
『何が起こった』と混乱する頭のまま、真横にいる試験官の顔を伺う。
新人らしき女性の顔は驚愕に満ちていたが、それなりに場数を踏んでいるであろう男性は無表情だった。
大丈夫、なのだろうか。
一応干渉という前提は果たしてあるわけだし。
そう己に言い聞かせ、申し訳程度に、結界の跡地に元々行うはずだった術式を発動させておく。
花畑を作り、その上仮初の生命を誕生させて生態系を造る複合術式だ。
位階にすると、それぞれ第九位階ほど。
なお、花畑の花は全て水晶花である。
第九位階ということで、詠唱がそれなりに長い。
不意の破壊のせいで若干時間が押しているため、焦って早口で唱え、噛んでしまったのはご愛嬌だ。
問題なく発動できたので良しとしよう。
十秒ほど発動させたその術式を消すと、レイフォードは源素を練りながら、試験用人形の前に移動する。
抱えられるほどの大きさのそれは、ひらひらと蝶のように動き回り、偶に宙に浮いていく。
幾度も受験者の術式を受けた表面は煤けているが、目立った傷はそれほどなかった。
これなら、壊す心配はあるまい。
胸を借りるつもりで行こう。
抑えていた源素を再び解放し、ほぼ完全に純化しきった源素を操作して、今回のために作り出した術式を詠唱する。
ところで、精霊術とは何だろうか。
一般的には、精霊の力を借りて、世界基盤と呼ばれる神秘的情報体に干渉し、物質界や幻想界に術者の望む現象を起こすものとされている。
精霊の力を借りるには、精霊自体に語り掛けるための『始まりの言語』と、彼らとの簡易契約を結ぶための『源素』が必要になる。
実は、正確に言うと、術者自身は術式発動に源素を消費しているわけではない。
精霊との簡易契約──ただ術式を発動させるための契約を交わすために、源素を消費するのだ。
簡易契約をした精霊は、術者から受け取った体内源素と、契約内容を元に環境源素を使用し世界基盤に干渉する。
そうして、やっと精霊術として術式が発動するというわけだ。
そして、源素には《純度》というものが存在する。
純度が高ければ高いほど、精霊との契約は強固になり、逆に低ければ低いほど綻びやすい。
大規模な術式の発動に必要なのは源素の量だが、単体として『強力』な術式を発動させるためには高純度の源素が要る。
人の源素は、基本、それほど純度が高いわけではない。
高純度にしたいのであれば、源素を『練り』、不純物を取り除いていくことで、純度を高めなければいけない。
しかし、ここで問題になるのは、世の中の大半の人は、『源素を練る』という行為ができないということだ。
それは、源素自体の操作は出来ても、どこをどうやれば純度が高くなっているのかが分からないというのが原因である。
レイフォードのように源素の視認が可能な者、もしくはそれに値する術式を発動出来る者に指導してもらわなければ、より強力な術式の発動というのは、土台無理な話なのだ。
精霊術の発動中は、簡易契約に意識を割かなければならないため、源素を練ることが出来ないというのも、また一因だろう。
一見小難しいように思える話だが、俗に言うと、精霊はいっぱいご飯を貰えるだけで嬉しいが、それが美味しいとめちゃくちゃやる気が出るということだ。
『賄賂みたいなもの』と某救世者は表現していた。
量を用意するのは材料がなければいけないし、美味しいご飯を作るのも技術が無ければいけない。
更に、そもそも料理すら出来ない者もいる。
美味しい料理を沢山作れる料理人は、とても希少なのである。
また、環境源素には濃度というものも存在する。
湿度と同じく、一定範囲にどれくらい環境源素が存在するかで定められるものだ。
環境源素の濃度は、術式にそこまで直接的に関わるわけではない。
しかし、急速に濃度が上昇した場合、幻想界から物質界に影響を及ぼす場合がある。
大抵は小さな風が起こったり、気迫を感じるといった程度なのだが、極度に上昇すると、精霊術の効果が強化されるという。
そんなことは滅多に起きないため、基本想定されていない。
因みに、王都の源素濃度は王国内でも平均ほど。
東部の辺境、アーデルヴァイト領はその二倍である。
そして『極度に上昇』とされるのは──約一・五倍からだ。
「──〝咲き乱れる熾天〟」
それは、熟した鳳仙花の実が種子を飛ばすように。
一から十へ、十から百へ、百から一万へ。
爆散しながら咲き続けていく。
その度に焔が灼き尽くし、青い火の粉を撒き散らし。
花に熾された空は、刹那にして青に染まりきった。
立体的なその攻撃術式は、急速に浮上したとしても逃れられることはない。
その速度よりも早く、増殖した焔が退路を塞ぐからだ。
大きく狙いを外せば、もしかしたら、という可能性はある。
だが、生憎、発動時の照準は人形の中心ぴったりである。
無論、逃れられるわけがない。
鳳仙花の種子を模した焔の大群が、人形を覆う。
術式は確かに発動し、術式は命中した。
そう、命中はした。
試験上は問題ないはずの術式。
しかし、レイフォードは、それが少し、いや大分『おかしい』ことを感じ取っていた。
「……なんか、火力強いな?」
──次の瞬間、ぱりんと何かが割れる音がした。