六節/2
巨大な正門。
掲げられた校章。
威圧感のあるそれらは、受験者たちを歓迎する。
「……昨日も見たけど、やっぱり大きいね。色々と」
「そりゃあ、この国有数の施設だから」
ユフィリアの感嘆とした声に、レイフォードが返す。
ここは、国立中央総合高等学校。
国内に五つしかない高等学校のうち一つである。
警備員に受験表を見せ、四人は校地内に踏み込んだ。
今は、自分たちより二つ前の組が試験を行っている頃だろう。
各部屋には防音術式が掛けられているため、内側の声が外に漏れることも、外の音が内側に聞こえることもない。
緊急時の連絡は試験監督が担うため、特に問題はない。
「じゃあ、僕らはこっちだから。
二人も頑張って」
「怪我はしないように!」
「そっちこそ、言い負かされて泣かないようにな」
「流石にそこまで白熱しないさ」
激励の言葉を伝えると、各自の試験会場へと向かっていく。
筆記試験と違い、実技試験は各科の棟で行われるため、文系、理系、特三で会場が異なるのだ。
中央校の校舎は主に四つの棟に別れる。
文系は東、理系は西、特三は北、余った南は購買や食堂など、全校で扱う施設になっている。
正門から真っ直ぐ行くと南棟に入る。
それぞれの棟は内部で繋がっているのだが、今日は南棟が封鎖されているため、直接各試験会場がある棟に入る必要があった。
だからこそ、四人は校門を入ってすぐ別れたのだ。
「テオは北棟の控室に集まって、試験時間になってから本会場に移動するんだよね」
「うん、校舎内で戦闘するわけにはいかないから。
先に外で魔物の討伐をしてから、体育館で模擬戦らしいよ。
レイくんも、試験自体は闘技場でするんでしょ?」
「そこが一番強い結界が張ってあるらしいからね。
精霊術で競うからには、結界がないと酷いことになるだろうし」
「……そうだね」
何だ、その目は。
レイフォードは突っ込まずにはいられなかった。
いや、分かる。分かるとも。
テオドールがそんな目で己を見つめる理由は。
レイフォードには『前科』がある。
精霊術の加減を間違えて、思い切り環境を破壊しかけた、という。
その時は側にイヴもいて、なおかつ術式の消去が出来るテオドールがいたため、大事にはならずに済んだが、一歩間違えれば山一つ消し飛ぶところだったのだ。
そこからずっと、攻撃性のある精霊術の使用は禁じられ、もし使うときも第五位階までと制限されている。
「だって、今日使うのは第八位階の攻撃性でしょ。
嫌な予感しかしないよ」
「大丈夫、闘技場の結界は第十でも耐えるってフローレンスさんが言ってた!」
「……それでも不安だ、レイくんだもん」
「僕への信用の無さ……いや、大丈夫。大丈夫なはず」
精霊術は、世界への干渉の規模と発動難易度によって第一から第十までの位階が設定されている。
ただ水を出したり、光で照らしたりするのは低位。
大規模な破壊や天候の変化などは高位だ。
攻撃性の術式は、一番簡単なものでも第三位階と難易度が高く、その分使う源素量も大きい。
それは、ただ術式を発動させるときと異なり、『攻撃』という属性の付与が必要なことが原因である。
攻撃性を増せば増すほど、必要な源素量は増える。
だが、人の源素量には限りがある。
先天的なものが大きいそれは、どれだけ努力しても超えられない壁だ。
源素量が足りず、そもそも発動自体ができない者も居る。
一般的に高位とされる第七位階以上は、そういうことが多くなるのだとか。
源素を溜めた精霊石を使い、不足分を補うことも出来るが、今回の試験では使用を禁じられている。
あくまで、個人の力を試すものだからだ。
だからこそ、この試験で第七位階以上を使用することは、大きな利点となる。
レイフォードに第五位階以上の攻撃性術式の使用許可が下りたのは、そんな事情があったからだ。
しかし、位階が低いからといって、理不尽に落とされるわけではない。
試験では術式を扱う技術も見られる。
低位でも複数同時発動などで、評価されることもあるだろう。
それでもやはり、源素量という壁があることは否定できないのだが。
「まあ、そこまで言うなら俺は何も言わないよ。
たとえ破壊したところで、最後の組だからそこまで迷惑は掛からないだろうし」
「……自分でも想像出来るが嫌だな。
また不安になってきた」
レイフォードの脳裏に過るのは、爆散していく試験用人形。
そして、信じられないものを見るような、試験監督と同じ組の受験者。
受験番号からして、本当にレイフォードが最後の最後だというのも、更に不安を煽ってた。
「と、俺はこっちだ。また後で、健闘を祈る」
「ありがとう。頑張ってね、テオ」
手を振って、レイフォードはテオドールと別れる。
一人になると、校舎内の静けさが肌を突き刺した。
もう、他の受験者は集まっているのだろうか。
不思議なほど周囲には誰も居らず、前を見ても後ろを見ても、見えるのは廊下の端だけだった。
誰とも会話しないまま、レイフォードは控室に辿り着いた。
耳を澄ませば、和気藹々とした声が聞こえる。
組ごとに分けられているわけではないので、この中には一つ前の組のものもいるだろう。
まだ時間はあるから、居ても大体三十人ほどか。
それだけいるのなら、話せる人くらい簡単に見つかるはずだ。
そんなことを思いながら、扉を開けた。
瞬間、降り注ぐ視線。
数年前、初等学校に編入した時と同じような視線だ。
気にしないようにして、室内を見渡し、空いている席に荷物を置いた。
筆記用具と必需品くらいしか入っていない軽い鞄だが、静まった空間には、置く音でさえも大きく感じられる。
そう、静まった空間。
レイフォードが入室した瞬間から、その空間は驚くほど会話が無くなっていた。
それも、原因はどう考えてもレイフォード。
なぜならば、先程まで和気藹々と会話していた他の受験生は、皆何故かレイフォードに視線を向けていたのだから。
居たたまれなくなったレイフォードは、『何が起こった?』と頭を抱えながら俯いた。
自分はただ入室し、空いている席に着いただけ。
特に何をしたわけでもないはずだ。
もしや、自分が知らないだけで特殊な作法か何かがあったのだろうか。
ちらりと周囲を見ると、相変わらず皆自分を見ている。
うっかり目を合わせれば、ばっと目を逸らされてしまった。
わけも分からず、レイフォードは混乱する。
初等学校では常に浮いている自覚はあったが、初対面の者にもそう思われるほどなのか。
そんなおかしな気配でも察しているのだろうか。
自問しても、答えは見つからない。
数分もすれば、ひそひそとした会話が始まったが、自分に注がれる視線の量は変わらなかった。
どうしよう、一回外に出ようかな。
この空間気まず過ぎる。
もう無理かも。
表情は一切変えないが、レイフォードの内心は悲鳴を上げていた。
人見知りというほどでもないが、どちらかというと引っ込み事案な彼にとって、この状況は堪え難いものである。
しかし、こんなにも注目されている状況で、席を立つ勇気もない。
自分の一挙手一投足が監視されているようなものなのだ。
そんな勇気がある者なら、こんな状況は屁でもない。
だから、レイフォードは何もできなかった。
ただ一人、視線の雨に耐え忍びながら、『空、きれいだなあ』と現実逃避するしかなかったのだ。
「失礼します。三組目の試験を……何かありましたか?」
引き戸を開けて、試験監督らしき女性が部屋に入ってきた。
彼女はこれまでの控室の様子を見てきたからか、今の状況の不可解さにすぐ気付いたのだ。
けれど、その彼女の質問に答える者は誰もいない。
皆、目を逸らしたのだ。
「……何も無いならいいのですけど。
三組目の方、集まってください。
会場に向かいますので」
顔を見合わせて、ぞろぞろ動き出す受験生。
彼らが居なくなると、残ったのは八人ぽっち。
彼らが、レイフォードと同じ組の受験生だった。
内訳は、男子が五人、女子が二人。
残り一人はレイフォードだ。
初めは顔を見合わせていた彼らだが、じりじりにじり寄って何やら会話を始めた。
いつの間にか、受験生たちはレイフォードの席から遠ざかっていたため、彼らの会話を盗み聞きすることはできない。
八対一の状況。
大人数に紛れられた先程と違って、これは言い訳ができないほど避けられていた。
何が悪いのか、見当も付かないレイフォードは机に突っ伏したくなるも、それをやったら流石に変人過ぎるため止めた。
心はもうぼろぼろである。
早く帰りたい。
もしくはさっさと試験の時間が来てほしい。
しかし、三組目が出ていったのは数分前。
どう考えても後一時間はこの苦痛に耐えるしかないのだ。
南無三。
ユフィリア、テオドール。
この際、ローザでもいい。
誰か知り合いと話したい。
泣きたくなってきた頃、七人のうち一人がレイフォードに近付いてきた。
「……あのお、えっと……そのだな……うん」
しどろもどろに話しかけ、何故か後ろを振り返るその人。
普段は快活な少年なのだろうが、今はその鳴りを潜めている。
「がんばれ、行けるよ!」
「大丈夫、大丈夫!」
何故僕に話し掛けるだけで応援されているんだ。
おかしいだろ。
声には出さないが、叫びたくて仕方がなかった。
ここに誰も居なければ、レイフォードは両手両膝を付いて嘆いていただろう。
「……よし、そこのキミ。
キミも四組目の人……で合ってるかな?」
「……はい、そうですけど」
おずおずとそう答えると、後ろの六人がまた集まって話し始めた。
何を話しているのかは分からないが、恐らく碌な話ではないのだろう。
何故なら、彼らと話していたはずの目の前の少年が、目を見開いているからだ。
「……ああ、じゃあ、そうだな。
オレの名前はヴァン、十一歳。
出身は南部のマストソーンっていう港町だ。
キミは?」
「……レイフォード、同じく十一歳です。
出身は東部のクロッサス……最東端にある城塞都市です」
「クロッサスって言うと……アレか、めっちゃ大きい壁があるとこ。
行ったことはないが、話だけは聞いたことがある」
「そうです。
本当に端の方にあるので、あまり大きな町ではないんですけど」
「それを言ったらオレも最南端だからな。
人のこと、とやかく言える立場じゃないぜ」
止まってしまった会話に、互いに愛想笑いをする。
気まずい、本当に気まずい。
何を思って話し掛けに来たのだろうか、この人は。
いや、しかし。
本来ならば、話さなければいけないのはレイフォードの方だ。
暗黙の了解といえども、受験生同士の交流はほぼ必須。
そう考えると、彼らの行動にも納得がいく。
彼らは自ら行動に出ないレイフォードを気遣って、話し掛けてくれたのだ。
雰囲気的に気圧していたのは仕方ないことだが、ここまでしてくれた彼らの行為を無下にするわけにはいくまい。
ここは、勇気を振り絞って話すべきなのだ。
「あの……」
「ええっと……」
被った。
駄目だ、被ってしまった。
何故僕はいつもこうなんだ。
頑張ろうとするといつも裏目に出る。
ほら見ろ、彼も気まずくなってるだろうが。
今すぐ尻尾を巻いて逃げ帰りたくなる気持ちをぐっと抑え、けれど先の二の舞いになるのが怖くて口を開けないまま数秒間沈黙が続く。
ああ、もう駄目かもしれない。
レイフォードが諦めかけたその時だった。
「ああもう! しゃらくせえ!」
突然、ヴァンが己の頬を叩いたのだ。
レイフォードが奇行に驚いていると、彼は固まった手を握ってきた。
「こっちに来てくれ!
いいか?! いいな!」
「待って、話の内容が……!」
ヴァンの勢いに負けたレイフォードは、半ば引き摺られるように残りの六人の方へ連れて行かれる。
まだ、心の準備が出来ていない。
何をされるのだろう。
内心半泣きのまま連行されると、六人の怪訝な視線が一斉に降り注ぐ。
後ろからヴァンに肩を抑えられているため、逃げることはできない。
何なんだ、この状況。
レイフォードが訊く前に、ヴァンは必死に話し始めた。
「皆も聞こえてたとは思うけど、彼女はレイフォードさん。
歳は十一で、出身は東の端っこにあるクロッサスっていう町だ」
そこまで言い終わると、彼はレイフォードの肩を優しく叩く。
「ここまででもう分かると思うが……彼女は幽霊でも怪異でもない、ただの人だ。
信じられないかもしれないが、本当にただの人だ。
霊感とか何にもないオレでも触れるし、話せるんだ」
「……へ? 避けられてたのってそういう……?
嘘だろ、幽霊とでも思われてたのか僕は……」
あまりにも衝撃的過ぎる展開に思考が追いつかないレイフォード。
それとは裏腹に、周囲からは歓声が湧いていた。
「良かった! ほんとに良かった!
見えちゃいけないやつかと思った!」
「怖かったあ……! あ、安心したら涙が……」
「初めてだよこんなの。普通の幽霊より、生きてる人の方が怖いのなんて……」
散々な言われようだな、どういうことだ。
「いや、すまん。
失礼なのは分かってはいるが、キミが入ってきたときから、皆怖がっていたんだ。
幽霊か何かかと思ってたから」
「何でそんなことになってるんですか……?」
全く状況が噛み砕けていないレイフォードに、ヴァンは詳細を語る。




