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五節/3

 なぜ、こんなことになっているのか。

 それは、『ローザ』が七歳になる冬まで遡る。


 彼女と彼女の両親、そして彼らが所属する劇団パンタシアは、北部主要都市たる『クランベル』へ向けて旅をしていた。

 次の公演を、クランベルにある劇場で行うためだ。



 ────お母さん、北って寒いの?



 厚着をした上、毛布に包まった少女は、母に問い掛ける。

 彼女の母親は北部の果ての生まれで、毎冬厳しい寒さに耐えながら生活していたという。



 ────そうねえ、確かに外は寒いわ。

 だけど、家の中はとても暖かいのよ。



 豪雪地帯ということもあり、北部の建築様式は東西・中央とは異なっている。

 二重の扉や窓、傾斜の付いた屋根、色彩豊かな外壁などは、今まで主に中央で暮らしていた少女には物珍しく映るだろう。

 

 父方の祖父母の家には、劇団の遠征の度に里帰りしていたのだが、母方の方はいつも機会がなかった。

 まだ幼かった少女を過酷な北の大地で過ごさせるのは、憚られたからだ。


 しかし、少女ももうすぐ七歳。

 ちょうどクランベルでの公演を行うことになった今、この機会を逃せば来年までは来ないだろう。

 そうして、温暖な気候であった中央から飛び出し、少女は初めて寒冷な北の気候を体験することになったのだ。


 馬車から顔を出せば、雪がぱらぱらと降り落ちている。

 手袋を付けているからか、触れてもそれが溶けることはない。

 幾何学的な形状。

 花のようにも見える雪の結晶は、広がる銀世界も相まって、とても美しく思えた。



 ────ねえ見て、お母さん。

 お花みたいで綺麗だね。

 この辺り、全部お花畑なのかな。



 子ども特有の柔軟な考えに微笑む母。

 御者を務める父も、周りの劇団員も二人の話を聞いて笑っていた。

 

 何でもない、ありふれた旅。

 行く先は違えど、いつもと同じで楽しい旅──の、はずだった。


 突如、大きな衝撃が少女たちを襲う。

 揺さぶられ、叩き付けられ、積み荷が宙を舞う。

 木箱の縁に頭をぶつけてしまったのか、頭部から出血し、少女の視界が赤く染まった。


 恐怖と痛みで滲む視界。

 自分を包み込む母の腕。


 ふと、上を見上げた。

 何かの視線を感じた気がしたのだ。

 今にも獲物を喰らわんとする獣のような視線が。


 ひゅっと、喉が閉まった。

 それから、目が離せなかった。


 悲鳴を上げる暇もなく、境遇を嘆く暇もなく。

 それは、すべてを喰らっていた。


 黒、真っ黒。

 そうとしか言いようのない巨大な怪物は、親しき人を喰らっていたのだ。

 口から、太陽みたいに真っ赤な血を滴らせながら。

 





 そこからの少女の記憶は途切れている。

 気付けば、馬車の外に投げ出され、頭が割れるような酷い痛みと、凍ってしまうような寒さで身体がまったく動かなくなってしまっていた。

 

 父も、母も、劇団員たちも、誰一人として周りにいない。

 恐らく、あの怪物が少女たちを捕食しようと馬車を破壊したときに、少女一人だけ運良く逃げおおせられたのだろう。

 もしかしたら、何人かは怪物から逃げられたのかもしれないが、霞んだ視界では、景色を正確に捉えることは出来なかった。


 寒い。痛い。でも、動けない。

 身体がどんどん冷たくなっていく感覚。

 生命が削られていく感覚。


 しかし、少女は動けない。

 温かい場所向かうどころか、に助けを求める声も出せなかった。


 ああ、わたしはここで死んじゃうんだろうな。

 

 息を吸えば、肺が凍ってしまいそうなほど冷たい空気が入り込む。

 何だか現実味がなくて、全部夢の中の出来事みたい。

 徐々に身体の感覚が無くなっていくのが、その思考を肯定しているようだった。


 このまま、眠ってしまえば。

 夢の中で眠れば、現実で起きられると聞く。


 次に目を開ければ、母の優しい声が聞こえるだろう。

 父の暖かな腕がわたしを包んでいるだろう。


 だから、もう眠ってしまおう。

 ここは、夢の世界なんだ。

 全部、ぜんぶ、夢だったんだ。


 ありえないとわかっていても、少女は縋るしかなかった。

 幸せの空間を突然壊され、地獄の底へ叩きつけられ。

 親しい者たちとともに喰われるわけでもなく、一人寂しく凍え死ぬ。


 高ければ高いほど、落ちた衝撃が強くなるように。

 幸せの絶頂から叩き落とされた少女の心は、粉々に割れてしまっていた。


 やがて、少女は目を閉じた。

 静かで、真っ暗で、暖かくも寒くもない空間が広がっている。

 時々、星のような輝きが見えたような気がして探してみるけれど、見つからない。


 そうしているうちに、段々と眠くなっていく。

 何も考えられなくなっていく。


 お父さん、お母さん、皆。

 今、わたしもそっちにいくからね。


 意識を手放そうとした、その時だった。



 ────助けてあげようか?



 知らない青年の声が、頭上から降ってくる。

 咄嗟に目を開けると、極寒の地に似合わない軽装に花束を持った青年が少女を見下ろしていた。



 ────きみが望むなら、わたしが助けてあげよう。

 助ける方法は……何とも言えないけどね。



 春の若葉色の瞳が一文字に細められる。


 どこか怪しい雰囲気を纏った青年。

 しかし、嘘を言っているようには見えない。



 ────助けて、くれるの?



 勿論と頷けば、彼は膝を付いて少女に手を差し伸べた。



 ────これは契約だ。

 わたしがきみを助けてあげよう。

 代わりに、きみにはわたしとともに生きてもらう。

 この世界の隅々まで、目一杯楽しんで。

 約束、してくれるかな。



 少女は理解した。

 彼は、精霊なのだ。


 御伽噺に出てくる、人と世界を見守り、手を貸してくれるもの。

 神様に生み出された守護者であり、隣人であり、友人。

 だから、今、彼は少女を助けようとしているのだろう。


 自分を見下ろす精霊。

 その表情はよく見えなかった。


 笑っているのか、笑っていないのか。

 穏やかな声だけれど、穏やかではない気もする。


 信じてもいいのだろうか。

 一抹の不安が頭を過る。


 『怪しい人に付いていってはいけません』とは、皆に口うるさく言われたものだ。

 彼は間違いなく知らない人であるし、怪しい人だ。

 本当に助けてくれるかは、正直わからない。

 

 けれど、心のどこかで、少女は彼のことを信じてしまっていた。

 彼のことを信じたかった。


 動け、動け。わたしの手。


 雪に埋まっていた手を目覚めさせ。

 氷のような腕を溶かし。

 少女は、手を伸ばす。

 銀世界に差し込んだ光に、届くように。






 そして、ある雪の日。

 少女と青年は──『ローザ(ふたり)』は、ローザ(ひとつ)となった。

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