四節/6
「待って、ローザちゃんは女の子のはずだ。
同姓同名の別人で、これは単なる偶然の可能性が──」
「ん? わたしは歴とした女だよ。見れば分かるだろうに」
「……へ?」
ローザ。
その名を持つ少女と、彼女と関わった一連の出来事は今も忘れられない思い出の一つである。
だが、目の前の青年──否、女性とあの日の少女が結び付くだろうか。
いや、結び付かない。
はきはきとした口調に、凛とした空気。
あの日のような内気で恥ずかしがり屋な面影は消え去っている。
共通点なんて、髪と瞳の色くらいなのだ。
それらが同じだけの別人と言われた方が納得できるほど。
「信じられないなら、触ってみるかい?
凄い硬いけど」
「……自分でそれ言っちゃうんだ。
触らないよ、僕男だし」
自分の胸を叩いて、彼女はそう言った。
確かに、悲しくなるほど平らではあるが、年齢を考えるとまだ成長の余地はあるはずだ。
彼女が本物のローザであるならば、歳は同じく十一歳である。
第二次性徴期が遅いだけかもしれない。
まだ、希望はあるはずなのだ。
同年代のユフィリアが歳相応に成熟しているという事実から目を背けるレイフォードだが、彼に懐疑の視線が突き刺さった。
「……何を言っているんだい、きみは女の子だろう?
もうあの二人はいないし、偽る必要はないよ?」
「いや、だから正真正銘男なんだって。嘘とか吐いてない」
ぴしり、とローザが固まる。
そして、額から一筋の汗が滴った。
「いや、いやいや。そんなはずがない。
だって、きみは昔からずっと……まさか……?!」
「そういえば、面倒臭がって訂正してなかったなあ……」
思い返せば、あの時ローザは己を少女と認識していた。
一度きりの出会いだろうと、訂正の煩わしさを考慮して放置してしまっていたのだ。
「……嘘だ。こんなことがあって良いのか……?
何故気付かなかったんだ、『ローザ』……」
「なんて言えばいいのかな……ごめんね」
崩れ落ち石畳に手を付けるローザ。
そんな彼女の様子に、貴方も大概だと言う気にも成れず、レイフォードは取り敢えず謝罪をした。
そこで、テオドールの背中に隠れていたユフィリアが手を上げた。
「はい、一回話が止まったところで! 私は説明を求めます!
最初から全部教えてください、私は何もわかりません!
あと買ってきたものも置かせてください、重いです!」
一人蚊帳の外であった彼女が説明を求めるのは当然のことである。
三人分の買い出しの成果を持ち続けることが難しいのも、だ。
そうして、顔を見合わせた少年少女は席に座り、この混沌とした状況を整理するのであった。
十数分後、それぞれの情報を整理し終えると、各々口を開いた。
「なるほど、だから二人はそこにいたんだ」
「もう少し早く来てれば……ごめん」
「僕も迂闊だったから、気にしないで。
そうだ、改めて礼を言うよ。
ありがとう、ローザさん」
「礼には及ばないよ、成すべきことを成しただけだからね。
あと、ローザと呼んでもらっても良いかな?
敬称付きで呼ばれるのは、あまり慣れていないんだ」
その要請に了承すると、彼女はにこりと微笑んだ。
「今更だけど、まさかここできみたちと会えるとは思っていなかったよ。
テオドールくんがわたしを覚えていることも、ね。
会っていた期間も短いし、見た目なんて殆ど面影が残っていないだろうに。」
「それは……何となく、としか言えないな。
ぱっと思い付いただけだ」
「それでも、気付いてくれて嬉しかったよ。
……まあ、一見男性と思われたことは残念だったけれど」
それは本当に申し訳ない、と三人同時に誤った。
ある意味、彼女はレイフォードと同類である。
普通に過ごしているつもりなのに、周りから勘違いされてしまうのだ。
三人は過去のローザを知っているから理解出来たが、知らない者であれば説明に時間を要するだろう。
「よくあることだから、気にしないでおくれ。
この見た目で助かっていることもあるんだ、悪いことばかりではないよ」
「そうなのか? いや、それでも失礼だったことは確かだ」
「真面目だね。そういうところも、昔と変わらないんだ」
なんて話すローザとテオドールを尻目に、レイフォードは果汁飲料を一口飲む。
口の中に新鮮な甘橙味が広がった。
だが、その清廉さは思考にこびり付いた泥を押し流してくれない。
暗く沈む感情を隠すように、隣のユフィリアに話し掛けた。
「たこ焼き、初めて食べたな。こんな味なんだ。
クロッサスは海産物の流通が殆ど無くて、蛸どころか魚すら見かけないからさ」
「端っこも端っこだもんね、シューネでは結構見るよ。
でも、蛸はあまり見ないかな。お魚はあるんだけど……」
「色々難しそうだからね。
海が無いのは中央も同じだけど、人口が多いから、その分需要もあるんだろうし」
アリステラ王国において、中央と東部は海に面していない地域だ。
強いて言えば、大きな河川があるくらい。
クロッサスに関しては、元が開拓村であったこともあり、周りに川というものがない。
だからこそ、レイフォードは海産物に馴染みがなかった。
本と『彼』の記憶が、貴重な情報源である。
「お好み焼きも美味しいよ。お祭りって感じ」
「今日はお祭りでも何でもないけどね」
顔を見合わせて笑った。
平常時でも祭りと変わらないような賑わいを見せるのは、流石王都と言ったところか。
口角を上げて、眉を下げて、目蓋を閉じる。
今は目を逸らせ、気取らせるな。
友好である振りをしろ。
彼女は、まだ未知数なのだ。
勝負を掛けるのは、準備を整えてから。
土俵に立たせる前に、すべてを終わらせなければ。
笑みと明るさで懐疑心を覆い隠す。
果汁飲料を握る指先は冷たかった。
「……そういえば、きみたちが泊まる宿はどこだい?
高等学校の入試を受けに来たのだろう」
「ああ、『美咲亭』だ。ここから少し離れたところにある──」
テオドールが彼女の質問に答えると、ぱちんと手を打ち鳴らした。
驚き半分、嬉しさ半分といった表情だ。
「偶然というのは重なるものだね!
実は、わたしも同じ宿に泊まっているんだ。
良ければ、案内しようか?
あそこは、少し奥まったところにあるからね」
「そうなのか? ……どうする、二人とも」
「地図はあるけど、迷いそうで怖いし……お願いしてもいいかな?」
『レイは?』とユフィリアが問う。
一抹の不安を感じながらも、人通りの多い道を選ぶ可能性を信じてみることにした。
「……僕も、二人と同じだよ」
彼女がここで何か行動に移すことがあれば、そのときは被害を無視してもやりあうしかないだろう。
ここは王都、王族のお膝元。
騒ぎを起こせば、衛兵どころか騎士までやってくる。
それまで耐え切れば──。
レイフォードは卓の下で手を握る。
固く、解けないように。
いつの間にか、卓上にあった食べ物の数々は空になっていた。
紙で作られた入れ物を捨てて、置いていた荷物を持つ。
「さあ、こっちだよ」
銀の髪が風に揺れた。
翡翠の瞳が細められた。
記憶の中とは似ても似つかない、怪しい光を宿して。
レイフォードたちは、彼女の後を追う。
それが吉と出るか凶と出るか。
知る者は、未だいない。
気付かれないよう、深呼吸をした。
周囲に気を配り、人の波が一瞬薄くなる隙を狙った。
そして、眼鏡の位置を直すふりをして、彼女を視た。
境界を越える、己本来の瞳で。
レイフォード・アーデルヴァイトの瞳は、特別製である。
アーデルヴァイト伯爵家に代々受け継がれているこの瞳は、境界を越える──即ち、物質界と幻想界両方を視認出来る力を持つ。
源素、精霊、魂。
視えるものは数あれど、それら全てを区別することも可能だ。
何一つとして、他と同じものはないのだから。
例えば、同じ『魂』でも人によって違いはある。
ユフィリアはまるで宝石のような輝きを放つ菫青色の球体だが、テオドールは透き通った正方形だ。
シルヴェスタやイヴは二色であるし、正方形以外の多角形の者もいる。
大抵は一色かつ球状であるし、珍しい者を視ると目に止まる。
顔と魂が忘れられないほどに。
だからこそ、レイフォードが『ローザ』を『知らない』のはあり得ないのだ。
彼の知っているローザという名前の少女は、どこにでもいる普通の魂を持つ存在だった。
瞳と同じ翡翠色の球体。
割れることも、混ざっているわけでもない。
本当に、どこにでもいるような平凡な少女だったのだ。
だが、しかし。
今目の前にいる『彼女』はどうだ。
彼女の魂は、どうだ。
──形状は、正八面体のように見える。
若干角が丸みを帯びているので、完全な正八面体ではない。
翡翠色と若葉色を斑に混ぜた色は、何もなければ『綺麗』と称していただろう。
ああ、違う。『彼女』は違う。
あの日であった、彼女ではない。
『ローザ』では、ないのだ。
変装か、もしくは身体を乗っ取っているか。
脳裏に過ぎる、約五年前の事件。
あのとき、眼が視えていれば。
あの男がノストフィッツ子爵の身体をどう利用しているか理解していれば。
後悔先に立たず。
対応は後手に回るしかない。
気付かれないよう、拘束術式を待機させる。
『彼女』が少しでも不審な動きを見せ、なおかつ二人に危害を加えるようならば。
僕は、もう容赦はしないだろう。
札を伏せて置く。
引くのは良か悪か。
対面に座る銀髪碧眼のそれは、憎たらしいほどにやついていた。