四節/2
「……人いっぱい居るし、並んでるのかなあ」
王都中央広場に並ぶ屋台。
それから伸びる長蛇の列を眺めながら、レイフォードは四人がけの席に一人座っていた。
昼食を摂ることを決めたレイフォードたちは、手軽に食べられるものを求めて中央広場の屋台を目指した。
そこでは毎日いくつか屋台が出店しており、値段も手頃であるため、丁度良いと思ったからだ。
しかし、同じようなことを考える者は多いようで、どの屋台の前にも人だかりが出来ている。
場所を変えようにも、ちらりと覗いた飲食店もほぼ満席で、かなりの時間を待つ必要がありそうだった。
ならば、回転率の早い屋台の方が直ぐ順番が回ってくるだろう、とこちらを選んだのだ。
テオドールが塩気のあるもの、ユフィリアが飲み物と甘いものを買いに行き、レイフォードは席の確保。
そんな風に役割を分担したから、今レイフォードは暇を持て余していた。
我儘を言えば、様々なものを眺められる買い出し組になりたかったが、じゃんけんで負けてしまったのだから仕方がない。
席から何も見えないというわけでもないし、立ち続けない分周辺だけを見るならば座っていた方がやりやすい。
だから、別に悔しくなんてないのだ。
決して。
言い訳じみた内心を零しながら、レイフォードは彼女らを待ち続ける。
先程まで見えていた二人の背中は後ろに並んだ者によって隠され、位置を確かめることが出来なかった。
一人あたり一分で対応しているとすれば、十人いれば十分、二十人いれば二十分となる。
彼女らが並んだ時点の列の長さから考えても、十分以上帰ってこないのは当然だった。
待つこと自体は別に苦でもない。
王都は割と個性的な人が多く、人混みを眺めるだけでも時間が潰せる。
広場の端の方で大道芸も行われているので、飽きることはなかった。
しかし、一つだけ懸念点がある。
これはレイフォードであるからこそ、起こり得ることであり、心配することだ。
いや、『レイフォードだけ』に起こることではないが、『レイフォードであるから』頻発するものと言った方が良い。
彼以外にも起こることだが、可能性は低いもの。
人によっては確率が上昇するが、大半の者にとっては冗談のようなこと。
それは──。
「へい、お姉さん。もしかして暇?
オレらとお茶しない?」
ほら、来たよ。
軽薄そうな、十は年上だろう男二人。
肩に触れて囁かれたあまりにも定型文な誘い文句に、ばれないよう大きな溜息を吐いたのだった。
手に焼きそばとたこ焼き、焼き鳥を持ったテオドール。
三人分の果汁飲料と果物と乳の巻物を抱えるユフィリア。
二人はそれぞれの屋台で目的のものを購入した後、彼女らを待つレイフォードの元へ歩を進めていた。
「ごめんね、今回の人たち凄い執拗くて……」
「気にすんな。
あんなにきっぱり断られてたくせに諦めないなんて、予想できるはずないし」
己よりいくらか背の高いテオドールに、ユフィリアは謝罪する。
ユフィリアが屋台で順番待ちをしていたとき、厄介な男に絡まれ、それをテオドールが助け出したからだ。
────お嬢さん、可愛いね。
こんなとこじゃなくて、もっと良いとこ行かない?
唐突にそんな声が横から聞こえてきた。
咄嗟に振り向けば、自分を見下ろす二十代前半ほどの男性。
彼の視線は間違いなくユフィリアに向いていた。
────すみません。私、用事があるので。
これが俗に言う『ナンパ』か。
初めての体験であったため動揺したが、それを表に出さないように彼らに対応する。
こういう輩は大抵、きっぱり断れば諦めるのが相場だ。
一欠片も興味を見せず、再度声を掛けられても全く反応しない。
そうすれば、自ら立ち去ってくれるはずだ。
無視の技術は、うざ絡みをしてくる父で鍛えられた。
その成果がこんなところで使われるとは、ユフィリア自身思ってもいなかったが。
だが、彼は例外であった。
ユフィリアは特に何も気にしなかったが、その男は巷で美男と持て囃される者だった。
その分女遊びも酷く、何度か衛兵のお世話になるほど。
そんな彼の『女』の認識は、軽く甘い言葉でも掛けてやれば、ほいほい付いてくる馬鹿者だ。
おまけに距離を近くしてやれば、それだけでころっと堕ちる。
だからこそ、彼の瞳にユフィリアは特異に映った。
食い気味に己の誘いを断ったかと思えば、何度話し掛けても虫のように無視され。
挙げ句の果てには、その光景を周囲に笑われる始末。
こんな女、知らない。
まるで意味が分からない。
だって、このオレが誘ってやってるんだぞ。
だったら、受け入れるのが当たり前だろうが。
恥をかかせやがって、絶対泣かせてやる。
なんて、論理も糞もないお粗末な思考回路。
彼の頭の中は、羞恥と怒りで染まっていたのだ。
その先について冷静な考えが出来ないくらい、真っ赤に。
────いい加減、こっち向けよ……!
背後から、大きな手が乱暴に伸ばされる。
事態を察したユフィリアは、反撃をしようと体勢を変えるが──。
────俺の連れに何しようとしてんだ、おっさん。
投げ飛ばす前に、どこからか現れたテオドールが間に入っていた。
宛ら、童話の王子様のように。
年頃の少女ならば、惚れてしまいそうだ。
ユフィリアは例外中の例外である。
そこからは潤滑だった。
彼に捻り上げられたナンパ男は、捨て台詞を残してその場から去り。
傍観していた町の人々は、興味が無くなったようにユフィリアたちから視線を外し。
皆、何もなかったように各々の生活に戻っていた。
「早めに気付けて良かった。
やっぱり、人が多いと治安も悪くなるんだな……」
「本当にありがとう! 危なく手が出るところだったもん!」
「どういたしまして。
……別の意味で『良くやった』よ、俺」
あのまま、あの男がユフィリアに手を出していれば、手痛い反撃を食らったのは確実だ。
彼女は某救世者が認めるほどの体術の使い手である。
熟練者ならまだしも、そんじょそこらの不良程度に負けるような女ではない。
あのナンパ男は武術の心得があるようには見えなかった。
そんな彼が抵抗するなんて、到底できやしない。
あと一歩遅ければ、彼は二米ほど投げ飛ばされ、おまけに関節技を極められていただろう。
舐めてかかってぼこぼこにされた記憶を思い出しながら、テオドールは冷や汗をかいた。
「早くレイの元に戻らなきゃ。
並び直したから、時間掛かっちゃったしね」
「ああ……と、言いたいところなんだが……」
彼は口に手を当てて、言葉を濁す。
眉間にしわを寄せた、怪訝な顔。
ユフィリアには、その理由が見当も付かなかった。
「何、忘れ物でもした?」
「ある意味、忘れ物と言えば忘れ物かもしれない」
「……どういうこと?」
二人は現在、昼食の買い出しの復路だ。
広場の席取りはレイフォードに任せている。
彼のことだから、別れた位置から一歩も動かず、迷子になっていることはないだろう。
本来ならば半分の時間で済んだはずの買い出しは、あの騒動により時間が掛かってしまった。
王都の治安の悪さは、予想外の──。
「……待って、そういうこと?」
「うん。俺も、今の今まで忘れてた」
二人の頭の中に、最悪の想定が生まれる。
王都は、他の都市と比べ治安が悪い。
ユフィリアのような少女が一人で居れば、しばしばちょっとした騒動に巻き込まれる。
それは、レイフォードでも変わりない。
何故なら、彼は奇跡的なまでに少女のような容姿をしているのだ。
何度男だと主張しても、冗談だと思われるほどに。
そして、彼には一つ特異な能力があった。
膨大な量の源素だとか、『祝福』だとか、そういうものではない。
自分自身ではどうしょうもない、厄介な体質のようなもの。
「……全速で帰ろう! 絶対絡まれてる!」
「だよなあ! あの厄介事ホイホイ」
そう、レイフォードは──超が付くほど、厄介事に愛されているのである。
両手に抱えた戦利品を落とさないように掴みながら、二人は駆け抜けていく。
人混みのせいで進む速度は遅い。
どれだけ人を躱したとしても、次の瞬間にはまた人が道を塞ぐのだ。
それでも、数分もすれば目的の場所に着ける。
恵まれた身体能力を最大限発揮し、レイフォードの待つ場所へやっと辿り着いた。
ああ、やっぱりそうなっていたか。
こういうとき、最悪の予想というのは大抵当たってしまう。
理不尽なこの世の真理だ。
レイフォードの側を離れようとしない男性を見つけた二人は、背後から音もなく近付くのであった。