二節/7
刻は現在に戻り、闘争の月二十九日。
日本風に言えば、十二月二十九日頃という冬盛りである。
入学試験は秩序の月一日から二日にかけて、それぞれ筆記試験、実技試験を行う。
総合学校であるため、科が複数存在し、科毎に試験内容も変わる。
レイフォードたちが入学する『神秘科』、騎士になるためには卒業が必須である『騎士科』、商業に関する知識を学び実践する『経済科』、ものをつくる『生産科』など、合計十二の学科がある。
『貴族科』を除いた十一の学科は、東西南北の都にある高等学校にも存在しているため、そちらを受験するものもいる。
現に、リーゼロッテは東都ティムネフスにある《国立東部総合高等学校》の騎士科三年生だ。
設備は中央と大差無く、戦闘を習う騎士科に至っては東部のほうが上かもしれない。
何せ、魔物が他の地域と比べ倍ほども発生するのだ。
実戦経験を多く積める分、有利になるのだろう。
レイフォードたちが近場の東部ではなく、中央の神秘科へ入学するのは、国立技術局が王都に鎮座していることが大半の理由である。
『祝福』の研究のために特待生として神秘科に入るのだから、当然のことだ。
便宜上神秘科の所属となっているが、特例措置として他の学科の授業でも単位を貰えるため、他学科に居座る特待生も多い。
レイフォードは通常通り神秘科の授業を選ぶが、ユフィリアは教育科の、テオドールは騎士科の授業を選択するつもりらしい。
『単位さえ取れば、先生たちは何も言わない。だから、割と自由だ』とは、卒業生であるシルヴェスタやクラウディア、イヴ、セリアーノの言葉である。
別の学科の授業を受けるのも、授業自体に参加しないことも、本人の意志に任せているらしい。
逆に言えば、単位が取れなければ自由がないということなのだが。
単位が足りなければ留年となり、六度留年すると退学となる。
しかし、そこまで留年する者は極希であり、三年も留年すれば自主退学をするそうだ。
十二歳から入学したとして、三回留年すれば三つ下の者と同じ授業を受けなければならない。
高等学校自体は何歳でも入学可能のため、十六歳の一年生というのもあり得るのだが、それを苦痛と感じる者も少なくはないだろう。
基本、中等学校──短期的に専門分野を学ぶ、大都市にある学校──を卒業した者は就職するので、そんな年齢で入学する者は殆ど浪人生だと分かるのも一因だ。
そうでもして高等学校で学びたい者は、どれだけ挫けても自主退学することはなく、また実力は確かに付いていく。
結果的に、三回留年する前に卒業するということ。
全く、社会の機構というのは良く出来ている。
馬車の窓の外に広がる、卒業生が携わっているであろう建築物を眺めて、レイフォードはそう思考した。
一度降りたはずの馬車に、また乗っている──わけではない。
乗合馬車を降りたところで、迎えの馬車がやって来たのだ。
「……緊張してきた。
レイと違って、私は新年会くらいでしか会わないもん」
「それを言ったら、俺は初対面なんだけど。
イスカルノート閣下……いったい、どういう人なの?」
そう。
この豪華絢爛、気品を感じる馬車を使わせたのはイスカルノート公爵閣下。
すなわち、キャロライン・エルトナム・イスカルノートその人であった。
「……凄い人?」
「……個性的な人、かな」
「ええ……?」
困惑するテオドール。
そんな顔をされても、レイフォードたちはそう答えるしかないのだ。
事の経緯は、数週間前。
彼女たっての要望で、一月に一度レイフォードが公爵邸を訪れた日だった。
いつものように雑談をし、紅茶に舌鼓を打つレイフォード。
アーデルヴァイト家とは違う種類のそれは、何度飲んでも飽きが来ない。
茶菓子も一級品で、料理人の腕の良さが分かる。
「ところで、レイフォード。
お前も高等学校に通う時期となったな」
「……ええ。友人たちと共に、王都に向かう予定です」
キャロラインが受け皿に紅茶茶碗を置き、話を切り出す。
その様子に異様な雰囲気を感じ取ったレイフォードは、慎重に言葉を選び返答した。
受け皿ごと平卓に置き直し、両手を組んで肘を立てるキャロライン。
有無を言わせぬ圧力に、柔らかな空気を織り交ぜた独特な空気。
レイフォードは、更に行動を慎重にしていく。
「アーデルヴァイト領からでは、王都まで急いでも丸一日掛かるだろう。
まさか、そんな強行軍を行うのではあるまいな?」
「勿論です。ティムネフスで一泊の後、王都に向かう予定と──」
「ほう」
食い気味に、キャロラインが相槌を打った。
嫌な予感がする。
無茶振りというか、少し困るお願いをされる予感が。
「宿はどうするつもりだ?」
「……今日の帰りに、手軽な宿を予約しておこうと」
「それは、まだ決まっていないということだな?」
獲物を見据える獣の如く爛々とした、硝子玉のような瞳。
透き通ったそれには、炎が灯っていた。
「……はい」
「そうか、そうか。なるほど」
レイフォードの返答に、満面の笑みを浮かべるキャロライン。
心からの笑顔であるのは分かる。
だが、何故そこまで喜ぶのかが分からない。
宿が決まっていないことの何が良いのだ。
いったい、何をするつもりなのだ。
表情には出さないが、レイフォードの内心はかなり焦っていた。
「……提案だ、レイフォード」
キャロラインが足を組み直す。
一挙手一投足がやけに気になってしまう。
彼女が次に何というか、身を固くして待つ。
頭に浮かぶ、いくつもの答え。
しかし、聞こえた言葉は予想だにしないものだった。
「──公爵邸に泊っていけ」
「……へ?」
思わず漏れる声。
一瞬止まった頭を何とか動かして、レイフォードは話を続ける。
「失礼を承知で申し上げるのですが……何故、そのようなご決断を?」
「ふむ、特に意味というものはない。
強いて言えば、どうせここに来るのならば私の相手をしてくれないかという、細やかな願いがあっただけだ」
それは言外に『しろ』と言っているようなものではないか。
レイフォードの頭の中で、組み立てられていた予定が崩れる音がした。
「別に問題はないだろう?
我が家を宿として使うなど、滅多にない体験だ。
宿も決まっておらぬのだし……お前たちの好きな料理も用意させるぞ?」
「……それは、そうなのですが」
困った。本当に困った。
断る理由が見つからないのだ。
ここは、そんじょそこらの宿よりも設備が整っているし、使用人たちとも顔見知りだ。
何より、この申し出は公爵閣下きってのものである。
それを断る勇気は、レイフォードにはなかった。
「……すみません。
ご迷惑をお掛けしますが、よろしくお願いします」
「うむ!
友人というのも、レンティフルーレの娘と翼人の少年だろう?
しっかり伝えておけよ」
「承知いたしました」
どうしてこうなった。
当初の予定と大きく異なった着地。
知り合いとはいえ、雲の上のようなお方の家にお邪魔する申し訳無さ。
二人とも驚くだろうなと心中で呟きつつ、レイフォードは上機嫌なキャロラインと話に花を咲かせるのであった。
白のような公爵邸に到着し、応接間に通された三人。
出迎えたのは、キャロラインとその補佐である彼女の息子アルバートであった。
「よく来たな! ここまで長かったろう?」
「そうですね……王国の国土は、それなりに大きいですから」
太陽のように豪快な笑みを浮かべ、苦労を労うキャロライン。
彼女の言う通り、ここティムネフスまでは、クロッサスからだと八時間掛かり、距離としては百二十粁ほど。
シューネさらでさて六時間掛かるので、地球の現代的感覚ならば大分遠いと考えても良い。
精霊領域により他の辺境より中心に近い東部でさえ八時間なのだから、他の地域だと半日は掛かるだろう。
そう考えると、転移術式は何と便利なことか。
それ一つで距離関係なく、一瞬で移動することが出来るのだ。
しかし、それが広まってしまうと運送業の価値は大きく下がってしまう。
使用制限が設定され、特定条件下でなければ使用出来なくなっているのは当然のことだ。
イヴのような特殊な人は、一先ず置いておこう。
「もう日も暮れている。
明日も同じ距離を移動するのだから、早めに眠っておくのが良いだろう」
キャロラインが目配せすると、後ろに控えていたアルバートが躍り出た。
「皆様には、それぞれ寝室がご用意されています。
預かった荷物も、そちらにお運びしております。
先の使用人たちに案内させますので、ご確認の後食堂にお集まりください」
「何から何まで……ありがとうございます」
キャロラインに別れの挨拶を告げ、退出する。
応接室の外には既に使用人たちが待機しており、三人を案内していく。
どこまでも続いているような赤い絨毯を踏み続けるうちに、とある部屋の前に到着した。
どうやら、三人の部屋は隣り合っているらしい。
左側から順にテオドール、レイフォード、ユフィリアだ。
「準備が終わりましたら、お申し付けください」
一礼し下がる使用人に感謝を述べ、各自部屋に入室した。
「……流石に、疲れたなあ」
美しく整えられた寝台に倒れ込むのは憚られ、レイフォードは備え付けられた机の側にある椅子に座る。
途中、何度か休憩を挟んだにしろ、ほぼ座りっぱなしだったのだ。
朝早くから支度をしていたこともあり、疲労度はかなり高めである。
しかし、予定は詰まっている。
他の二人も同様にかなり疲れているだろうが、食事の時間を遅らせることはしないだろう。
遅れないためにも、レイフォードは立ち上がった。
約七年前の事件。
あの時、侵入者によって負わされた両足の傷。
見た目は余り目立たないほどだが、内側は違う。
神経が傷付いてしまったのか、両足の感覚が鈍くなってしまっていた。
機能回復の努力はかなりしたが、これに関してはどうにもならなかった。
精霊術による治療は、元の回復力を底上げすることしか出来ない。
時間の巻き戻しや縫合は、世界基盤の修正により元の時間軸に戻されてしまうからだ。
縫合については、間接的に行うという抜け道があるが、時間逆行についてはそうもいかない。
神秘において、『過去』は変えられないものだ。
それでも変えるというのならば、それは『奇跡』──贋作ではない、本物の神秘を使わなければいけない。
そんなことが出来るのは、『神』くらいだ。
ユフィリアの『再構』は、世界基盤の情報を元に物質を再構築する能力であるため、この手の改変をすることは出来ない。
改変をすれば、それこそ別存在として認識され、存在そのものが修正されかねないのだ。
テオドールなどは、どうにかして治せないかと日々呟いているが、レイフォードは特にそこまで重く考えてはいない。
これから先、視界を奪われるような予定があるわけではないし、そんな状態が起きる可能性だってない。
時々騒動に巻き込まれることはあれど、生死に関わることなんてそれほど──あるにはあるが──ないのである。
不便なときはあれど、両足を削ぎ落とすことにならなかったのだから、これはこれで良かったのだ。
正直な話、もっと困るのは左肩の方だ。
本の虫と形容されることもあるレイフォード。
休日は終日読書に励んでいることが多い。
ここで思い出してほしいのが本棚の構造だ。
本棚というのは背面の付いた大きな木枠に、板を等間隔に何枚か嵌めることで作られている。
ものにもよるが、アーデルヴァイト家の書庫の本棚は高さ約三米ほど。
高所にある本は、一米ほどの高さの補助台を使用して取ることになっている。
レイフォードの身長は百五十糎。
そうすると肩の位置は大体百三十糎、つまり補助台を使ったとしても、三割ほどの本は取れないのである。
そういうときは精霊術を使って浮遊するか、させるか。
もしくは、誰か協力者を用意する必要がある。
これが何とも不便なのだ。
これは一例であり、物を棚の上に上げるときや、運動をするとき等にも障害となることがある。
腕力等も大分弱くなってしまっているので、箸よりも重いものが持てない──というほどではないが、重量があるものは持たないようにしていた。
レイフォードの使用する鞄が常に右肩から掛けるものであるのも、そういう理由があったのだ。
このような身体的障害があるというのに、ほぼ常人と変わらない生活を送れているのは、周りの補助のお陰もあるが、一番はレイフォード自身の能力のお陰だ。
一目見て速座に記憶し、動きを再現する。
再現であり習得ではないので、己に適応させるのは時間が掛かるが、これがあるから普通の生活を送れていた。
寧ろ、この『見て、記憶する』という視覚に頼り過ぎた生活を送っているから、視覚を封じられると何も出来なくなってしまうのかもしれない。
荷物の確認を済ませたレイフォードは、与えられた部屋を出る。
外には既に用意を済ませていたテオドールが居た。
「レイくんは終わり?」
「うん。あとはユフィだけかな」
間もなくユフィリアも用意が終わり、使用人の先導の元、三人で食堂に向かう。
到着したそこは、落ち着いた雰囲気でありながらも、荘厳であった。
そういえば、各自の好物を用意すると言っていたか。
数週間前に送った手紙に書いた言葉を思い出しつつ、レイフォードは席に着く。
前菜、汁物、魚料理。
氷菓子、肉料理、食後のお菓子。
やがて運ばれてきた料理は、三人の好みに完璧に配慮されたものであった。