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二節/5

「……俺は、償わなきゃいけなかったんだ。

 あそこにいたのがシルじゃなくて、お前でもクラウでも、他の誰でも。

 俺は、生命を懸けて救ったよ」

 


 人を殺した。

 罪の有無に関わらず、数え切れないほど。

 だから、救わなければいけないのだ。


 二度目の人生なんて、身の丈に合わない祝福を与えられたからには。

 奪ったものを与えなければいけない。

 ただ一つのためにすべてを犠牲にした『ルディ(おれ)』だから、すべてのために『ルーディウス(おれ)』を捧げなければいけない。


 これは、意志(エゴ)でしかない。

 強制する者なんて、己自身が殺してしまったのだ。


 あくまで、自主的な贖罪。

 誰も悲しまない、奉仕活動(ボランティア)

 そうであったはずなのに。


 どうやら、『ルーディウス』は想定よりも愛されてしまったらしい。



「ハンス」

「……なんだよ」



 ルーディウスが名前を呼べば、震えた声で彼は返事をする。

 彼は、昔から負けず嫌いなのだ。

 そのくせ泣き虫で、心根が優しくて。

 痛みを抱えてしまう質だった。



「謝らないからな。

 謝れば、それは俺の人生の否定になる」 

「……わかってる」



 台に置いた手がぐっと握り込まれた。



「でも、ちゃんと言っておかないといけないことはある」



 俯いたハンスの顔を覗き込むように屈む。

 ルーディウスに実体はない。

 だから、彼に触れることは出来ない。


 彼の視界に入るには、己が姿を現す必要があるのだ。



「……見んなよ」

「言うのが遅い。

 最も、俺はお前の泣き顔なんて見慣れてるがな」



 昔から、ルーディウスはどこからともなく現れて、泣いているハンスの隣にいてくれた。

 慰めるでも、励ますでもなく、ただ隣にいるだけ。

 その穏やかな空間が、何よりも心地良かったのだ。



「──ありがとう、『ルーディウス(おれ)』を愛してくれて」



 ああ、知っている。

 言われなくても、おれはわかっている。


 ルーディウスが、普通の人ではなかったこと。

 ここではない、どこかで生きたことがあること。

 愛されていることを理解した上で、すべてを捨てる選択をしたこと。

 それでも、愛されることが嬉しかったこと。


 すべて、わかっていた。

 だからこそ、辛かったのだ。


 彼が見ているのは、己じゃないと気付いてしまったから。

 己では、彼を救えないと気付いてしまったから。

 己は、何も出来やしないと気付いてしまったから。


 そうして、果てには拗らせてしまったのだ。

 過去に囚われ続けた、だめな『大人(こども)』。

 子どもであり続ける、未熟な馬鹿野郎。



 ────教えてくれよ、ルーディウス。


 

 どうしたら、前を向けるのだろう。

 どうしたら、未来を見れるのだろう。

 どうしたら、おまえのいない世界で生きられるのだろう。

 

 しかし、彼は何も答えない。

 『死人に口なし』、死者は何も語らない。

 今も昔も、未来を決めるのは生者だけなのだ。



「……そうだよな。おまえは、そういうやつだ」



 ハンスは笑った。

 もう、笑うしかなかった。


 だって、何も変えられないのだ。

 ルーディウスが死んだことも、己が二十年も悩み続けていたことも。

 変えられない、過去なのだ。


 変えられるのは、未来だけ。

 そんな残酷な事実が、眩い太陽の光のように突き付けられる。


 彼が己を救うことは、金輪際ないのだろう。

 あの時のように、暗闇の中手を差し伸べてくれることもないのだろう。


 けれど、それでいいのだ。

 もう、お前はこの世界のどこにもいないはずなのだから。



「……馬鹿だよなあ、おまえ」

「お、喧嘩か? 俺は買うぞ」

「殴れねえくせに何言ってんだ」



 この気に及んで、感謝なんてしやがる馬鹿野郎。

 そんなこと、言われなくても分かっている。


 悩んでいた己が馬鹿らしくなって、ハンスはまた笑った。



「何だよ、どこかおかしいか?」

「おまえの存在全部がおかしいわ。

 さっさと成仏しやがれ」

「嫌です!

 色々終わらせるまで、消える気ないんで!」



 腕を交差し、拒否の意を示すルーディウス。


 ああ、そうだ。

 おまえは、いつもそうだ。


 暗い闇を無理矢理にでもぶち壊す、眩しい星の光。

 天に輝くお星様。


 抱え込んでいた澱は、どこかに消え去ってしまっていた。

 まるで、すべて灼き尽くされたように。



「……まあ、そろそろ去るとしますか」



 受付台に寄りかかっていた彼は、浮遊しながら立ち上がる。

 別れの時間が来たらしい。



「おう、いけいけ。おれは今からお楽しみだ。

 殿下にちょっかい掛けに行くのも程々にしとけよ」

「やり過ぎない程度には留めておく!」

「不敬罪で首斬られ……てんだったな。今更か」



 ばたばたと忙しなく、しかし音は一切鳴らずに。

 壁を通り抜けて、彼は工房を後にした。


 ちゃんと扉を開けて行けよという想いは、心霊現象になってしまうことを危惧して心の中に留め置く。

 それでも、扉から出入りしろとは言っておかなければ。

 そうでないと、そのうちどんな悪戯をされるか、分かったものではない。


 独りぼっちになった店の中。

 ハンスは、壁に掛けられたとある写真を見つめる。


 ルーディウスを含めた友人たちと撮った写真。

 色褪せないよう特製の額縁に入れたそれは、己の止まってしまっていた時間の象徴であった。



「……こんなに遅くなっちまったけど、さ」



 もう、止まったままじゃいられないよな。


 そう独りごちて、額縁を外す。

 捨てるわけではない。

 ここに飾っておくのは、些か違う気がしたのだ。



「さあて、どこに移そうか?

 部屋は掛ける場所が無えんだよなあ……」



 手に抱えたまま、ハンスは表の雑貨屋へと移動する。

 そろそろ、とある少年たちとの約束の時間だ。

 『灯籠が壊れたから直してくれ』なんて頼られてしまったからには、直してあげなければ。


 自分とは違って、けれど自分と同じように友と過ごす彼ら。


 喪った哀しみはある。

 今でも、ずっと抱え続けている。


 それでも、前を向かなければならない。

 過去(ゆめ)ばかり見ていては、未来(ゆめ)が見れなくなってしまうから。

 止まった(しんだ)ままでは、いられないから。


 だから、今。一歩踏み出すのだ。


 随分と遅かったけれど、今までの時間は決して無駄ではない。

 用意もしないで踏み出してしまえば、転んでしまう。

 臆病な己にとっては、万全で進むことが一番だ。


 工房と比べ、幾分か軽い扉を開ける。

 外側には『閉店中』と書かれた札が降ろされていた。

 それをひっくり返せば、『開店中』へと早変わり。

 自営業であるから、始業時間も就業時間も全て自由だった。


 大きく伸びをする。

 太陽はもう高いところまで登っていて、明るい日差しがハンスを照らし出す。


 

「……お仕事、頑張りますかっと」



 緩んでいた前掛け(エプロン)の紐を結び直しながら、ハンスは店内へと戻っていく。

 その顔つきは、先程までの泣き腫らしていたとは思えないほど晴れ晴れとしていた。


 クラレント工房、及びクラレント雑貨店は、今日も『春』日和のように開店中である。

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