二節/2
刻は数日前に遡る。
出立が迫ったある日、レイフォードとテオドールはクロッサスの町にある、とある工房を訪ねていた。
人目につかないような裏路地に構えるそこは、知る人ぞ知る名店だ。
主に術具を扱っており、工房主の技量は名高い精霊術師が直々に杖の製作を依頼するほど。
ただ、同時に表側で経営している雑貨屋の方は閑古鳥が鳴いているらしく、来る客は『悪ガキ』が殆どだとか。
稼ぎ自体は工房だけで成り立ってはいるのだが、何とも哀しいとは彼の弁だ。
レイフォードたちも雑貨屋に訪れることはほぼ無く、工房のみであるため、耳が痛い話である。
辿り着いた店前。
相変わらず謎の植物や装飾が置かれたそこを華麗に無視し、古風な木製の扉を開く。
上部に取り付けられた鐘がからんと鳴った。
「こんにちは。ハンスさん、いらっしゃいますか?」
「おうよ。よく来たな、坊っちゃんたち」
受付台の裏の扉を開けて、中から作業用眼鏡を掛けた長身の男性が姿を表す。
手には、術式の刻印に使う刻刀が握られていた。
彼はハンス。
王都にある総合高等学校の神秘科を卒業し、国立技術局に務めていた精霊術師であり、シルヴェスタの三つ上の先輩でもある。
学生時は、クラウディア共々良く世話になっていたとも。
今は引退し、育て親が経営していたこの工房を継いでいる。
言うなれば、レイフォードたちの大先輩だ。
「……だから、その『坊っちゃん』っていうのやめてください」
「別にいいだろ。坊っちゃんが坊っちゃんなのは、変わらねえし」
「何というか、気恥ずかしいんですよ。
そういう扱いに慣れていませんし」
軽口を叩きながら、招かれるまま工房内へと入る。
結界により環境源素の濃度が高く保たれているこの空間は、境界を超えたことを明確に認識出来る。
「依頼の品はそこだぜ。
何か違和感があるならここで調整するから、遠慮なく言ってくれ」
示された机の上に置かれていたのは、一本の『杖』と眼鏡だ。
「テオからで。僕はそこまで調整いらないだろうから」
「了解。
……ようやく、だな」
そう呟きながら、テオドールは杖を取る。
いや、これを杖と呼ぶのは職人たちへの冒涜かもしれない。
外見は、何の変哲もない細身の木剣だ。
そう、木剣なのだ。
どこからどう見ても杖ではない。
鍔が無いので確かに棒には見えるかもしれないが、握りの関係上、絶対に杖には見えない。
これが杖に見えると言うならば、その者の頭は全て筋肉で出来ているのだろう。
だが、これは規則上は『杖』なのだ。
精霊術使いにおいて、杖というのは必須である。
操作性、方向性、そして源素の消費量の調整まで出来るそれは、例えるならば靴のようなものだ。
走るという行為をする際、靴を履かずに走る者は現代ではほぼ居ない。
同様に、杖を使わずに術式を行使するものも居ない。
寧ろ、通常は杖が無ければ発動させることすら出来ないのだ。
レイフォードやテオドールのような、源素量で無理矢理押し切る方が異例である。
しかし、そんなものでも杖はあるに越したことはない。
靴を使わずに走れるものでも、靴を履いた方が走りやすいのだ。
そんなこんなで杖を用意することにしたのだが、テオドールの思い描く杖は、やはり少しおかしかった。
本質的に、棒状である必要はほぼ無い。
兎にも角にも、精霊術の発動の補助が出来れば良いのだ。
本でも紙切れでも、腕輪でも。
ただ想像性と利便性を取るとなると、棒状が一番になるというだけ。
だが、剣は少し方向性が違う。
違い過ぎる。
長杖で接近戦を仕掛けられたとき、咄嗟に防御することはあるらしいが、それはそもそも切り掛かるための形状ではないか。
接近戦をする気しかないのではないだろうか。
精霊術師は、詠唱をする必要から戦闘時は接近戦は基本避けるべきとされる。
だが、逆説的に、詠唱に時間が掛からないのであれば距離を取る必要はない。
寧ろ、そのような者は距離を詰めれば詰めるほど有利になる。
テオドールが剣を所望したのは、そういう理由を加味していたからだ。
────っていうか、精霊術より斬った方が早くない?
そんな身も蓋もないことを、とレイフォードはツッコんだ。
確かに、理論的ではある。
二秒掛けて発動することと、一秒足らずで切れること。
戦場でどちらを取るかなんてわかりきったことだ。
だから、テオドールの杖が剣であることは至って当然のことなのだ。
本当にそうか、と問うレイフォードの心は棚に置いておく。
これ以上追求しても、特に問題にはならないからである。
戦闘する機会があるのか、なんて根本的な問いはレイフォードのせいで否定される未来は見えている。
精々言えるのは、金属剣は捕まるからやめろということだけ。
テオドールがそれで良いなら、もう何も言うまい。
レイフォードは匙を投げた。
木剣を振り上げ、下ろす。
素早い剣速が風を起こした。
「……手に馴染む重さ。良いですね、これ」
「ちゃんと注文通りに用意したからな。
金属も木も、特別製だぜ?」
テオドールの要望は三つ。
一つ、刀身は七十米ほどに、重量は一瓩ほどにすること。
二つ、木、金属の両方を変異種由来の物にすること。
三つ、精霊石、刻む術式はこちらで用意した物にすること。
一は兎も角、二はまだ理解可能だ。
源素によって通常の生物と異なる性質を持つ物のことを《変異種》と呼ぶ。
それらは往々にして源素と高い親和性を持ち、術具の作成では定番な素材である。
多少値は張るものの、相応の性能を発揮するため、杖の製作ではこちらのほうがよく使われる。
問題は三。
これは、前代未聞の条件だ。
精霊石とは、源素濃度が特別高い環境において、長い時間をかけて形成される源素の結晶のことだ。
専用の流通経路があり、術具に使用出来るほどのものは、専門の業者に注文しなければ手に入らない。
それを持ち込むということは、すなわち『自力で精霊石を生成した』ということに他ならない。
依頼を聞いたハンスは、先ず精霊石を確認した。
源素量の特別多い者ならば、生成くらいは出来るだろう。
その大きさを問わなければ、だが。
人が造れるものなんて高が知れている。
肉体を懸けない限り、指の先ほどにも満たないものしか造れないのだ。
だがしかし、現実はどうだ。
依頼時に置かれた箱の中身。
開けてみれば確かに、掌大の原石と術式陣の説明書が入っているではないか。
ハンスは目を疑った。
夢でも見ているのではないか、と。
だが、その考えも直ぐに掻き消える。
そういえば、依頼者はあの『アーデルヴァイト』だったのだ。
それくらいの無茶をやれることもあるのだろう。
ある意味、怪物だらけの家系に少しだけ文句を垂れ、ハンスは注文通りに杖を製作する。
勿論、陣自体も馬鹿のようなものであった。
門外不出程度である。
そうした苦労の上に作られたこれは、満足できない方がおかしいという代物だ。
ハンスが生涯培ってきた技術の総決算とも言えるものなのだから。
「……文句の付けようがない。
源素感応の調整だけで大丈夫です」
「いいのか? 打ち込み人形も用意してあるが」
工房の端にある、使い込まれたそれを指す。
しかし、テオドールは首を横に振る。
「いえ。使わずとも、この剣が完璧であることは分かりましたから」
「……職人冥利に尽きることを。
んなこと言っても一銭も負けねえからな」
照れ隠しだろうか。
少しだけ饒舌に話しながら、彼はテオドールに合わせて調整を施す。
空だった精霊石に源素を注げば、設計通りに術式が発動していた。
「『硬度上昇』、『破壊耐性』……全部良さそうだな。
じゃあ、次は坊っちゃんの番だぜ」
「……もう何も言いませんよ」
揶揄うようにレイフォードを呼ぶハンス。
すれ違いざまに預かっていた木剣用の袋をテオドールに渡すと、机に置かれた眼鏡を手に取った。