十節/5
やがて、レイフォードが庭園に帰ってきた。
事態を把握したテオドールが、『良いからとっとと行ってこい』と背中を押したのだ。
未だに申し訳無さそうに眉を下げているし、視線は下を向いている。
ユフィリアは彼に非がないことを既に知っているので、許すも何もないのだが、レイフォードの心情的には一言でも『許す』とした方が楽なのだろう。
「……もう怒ってないよ。
レイが悪くないのだってわかったし、私もむきになっちゃったからね。
だから、許す。レイも、私のこと許してくれる?」
「……勿論」
ゆっくりと、彼は頷いた。
「やった! じゃあ、仲直りの抱擁も、してくれるよね?」
「……分かった、する」
上目遣いで、また『お願い』をすれば、レイフォードは紅潮しながらも潔く承った。
緩く広げられた両腕に、ユフィリアは飛び込む。
勢いを殺すようにくるくると回って受け止めると、二人は顔を見合わせた。
「顔、凄く赤いよ……?」
「……ユフィも人のこと言えないよ」
先の罰の時だって密着していたというのに、改めて考えてみると何だか気恥ずかしい。
自分から切り出したのに、どうして赤くなってしまうのだろう。
動揺を誤魔化すように、ユフィリアは話を変えた。
「そうだ、もっとお友達の話を聞かせてよ!
まだ、いっぱいあるんでしょ?」
レイフォードの手を牽いて、席に付かせる。
訊くのは、彼の新しい出会いの話。
あっさりとした上辺だけではなく、もっと深いところまで。
知っておかないと、いつまたあの女のような奴が出て来ないとは限らないのだから。
紅茶と菓子を片手に、二人は長い間話し込む。
これからのこと、未来も踏まえて。
「……そう。そのオルガくんが、ね」
「うん。今は皆楽しく暮らしてるみたい」
オルガ、ルーカス、ウェンディ、シャーリー。
彼が語った小さな冒険の重要な登場人物。
彼らは葬式の後、もう一度シャーリーの最後を看取った花畑へと向かった。
白い彼岸花が咲き誇るそこで、再び彼女に感謝を伝えると、ある声が聞こえる。
────こんにちは。
目の前に現れたのは、亡き友人とよく似た白猫であった。
しかし、それには肉体がない。
はっきりとした幻。
オルガたちは、それが精霊であることに気付く。
────そんなに警戒しないで。
アンタらも、あの子を弔いに来たんでしょ?
シャーリーの友人だったと明かす精霊。
精霊は嘘を吐けないことを知っていた三人は、素直にその言葉を信じた。
そうして花畑に座り込み、彼女との思い出を語り合う。
もう直ぐ日が暮れるというところまで話し込んだ三人と一体は、友人と言えるべきまで意気投合していた。
────ちょっと、提案があるんだけど。
それが示したのは、三人のうち誰かとの契約。
人と精霊として魂を結び付かせることだった。
考え込んだ三人は悩みに悩んだ末、一つの結論を導き出す。
────断る理由もねェしな、今後ともよろしく……ってそうだ、名前は?
三人のうち一番源素が多く、立場的にも望ましいオルガが代表として手を取った。
それはまるで、あの時シャーリーの手を取ったように。
────アタシはシャロン、よろしくね!
シャロン。
はじまりの言葉において、『灯火』の意を持つ音。
白き猫の姿を持つ、上位精霊である。
一段落話し終えたと共に、レイフォードは紅茶を啜る。
「シャロンも受肉を果たして、孤児院で姉貴分してるんだって」
「ふうん……院長さん、動物苦手じゃなかった?」
「それがね、動物自体は好きなんだけど、どうしてもお別れがあるのが苦手らしくて……。
受肉した精霊は契約者が亡くなるまでは大丈夫だから、寧ろ大歓迎らしいよ」
先日、現院長であるジェームズと、前院長であるソニアに今回の件を説明しに訪れたとき、いくつか事情を聞いた。
その中には勿論、オルガのことも含まれている。
平民というのは、貴族と比べ、体内源素が少ない傾向にある。
それは、肉体が多量の源素を受け入れることが出来ないこと。
つまり、魂の容量と肉体の耐性を踏まえた時、魂の容量を小さくする必要があるということが原因である。
肉体の源素への耐性は、殆どが遺伝によって決まる。
だからこそ、アリステラ王国を建国した王族の一族は古来より高い耐性を持つ者と子を成し、子どももその慣習に従うことで、更に強い耐性を持つ子孫を作っていった。
恋愛結婚が主流となった今でも、時折その思想に従う者はいる。
というより、貴族同士での恋愛が普通であるため、どの道そうなるといったところだ。
強き力に惹かれる者は多い。
源素が多ければ、強力な術式を使うことが出来る。
源素を多く持つのは、肉体の素養がある貴族。
必然的に、貴族間の結婚が増えるのだ。
稀に、平民の中でも高い耐性を持つ者がいるが、そういう者は子に受け継がれることが少ない。
一世限りの才能、ということだろう。
逆に、貴族であっても耐性が低い者もいるのだが。
精霊たちに話を訊くと、魂は基本、入る肉体を選ぶという。
自ずから死ぬような道は選ばないのだ、と。
そして、ある者がこのように考えた。
『母胎の中に居る胎児を改造し、神秘的素養を高くすれば、源素容量の大きな魂が入ってくるのではないか』と。
全く非人道的でまともではない思考だが、筋は通っている。
間もなく、その実験は開始された。
幾度の試行と犠牲の上、とある一人の子どもが生み出された。
それこそが、オルガ。
否、名も無き成功例であった。
この実験が行われたのは、アリステラ王国ではない。
自然を愛するアリステラでは、このような反自然的行為が許されるわけがないのだ。
では、どこの国なのか。
そこまで語ったジェームズに、レイフォードはそう追求した。
しかし、彼は話さず首を振る。
────それ以上は私も、ソニアも、存じ上げないのです。
ソニアがまだ孤児院の院長であり、ジェームズが教師であった頃のこと。
一人の女性が赤子を胸に国境を超え、巡回中の騎士団に保護された。
瀕死であった女性は間もなく息絶え、遺されたのは泣き叫ぶばかりの赤子のみ。
騎士と精霊術師は、亡くなった彼女の脳から情報を読み取ることで、事態を把握することにしたのだ。
そこで明らかになったのが先程の件。
非道な人体実験と、その果てに生まれた一体の成功例。
精霊に近い生物と人間の間に産ませたその子は、確かな魂の容量の増加と共に、容姿が若干精霊寄りとなっていた。
その精霊に近い生物というのも、海の精霊が人と成した子の子孫である、所謂《人魚》であり、オルガの身体にはいくつか人魚の特徴がある。
肌の一部に鱗が生え、肋骨の辺りには鰓のような切れ込みがある。
手足には水かきのように皮が張られ、声は不思議と人を引き付ける。
色素異常ではない限りあり得ない紅葉色の瞳も、人魚であるならば納得だ。
彼が他の地域の孤児院ではなく、東の果ての孤児院にいるのは、ここ一帯に川も海もないことが理由だ。
人魚の血を引くがゆえに、水源に近寄るとその性質が強くなり、彼が『オルガ』でなくなる可能性がある。
『人魚』でも『成功例』でもない、ただの『人』である『オルガ』でいられるために、ソニアとジェームズは、彼の過去をひた隠しにしていたのだ。
因みに、オルガという名前は、彼の肉親が付けたものらしい。
どうやら、非道な実験の犠牲者ではあったものの、夫婦自体の中は良好であったようで、子どものことも愛していたのだ。
女性がオルガを連れて逃げられたのも、父親である男性が研究所を陽動したからだとか。
現在クロッサスの町の墓場に、彼女らの名前が刻まれているのは、その勇気を称えてのことだ。
オルガを託して力尽きた女性も、シャーリー同様の手段で葬儀が執り行われ、あの木の下で眠っている。
「……今更なんだけど……私に話して良かったの?
国家機密程度の話じゃない?」
「大丈夫。
オルガくんの他にも、外から移住して来た人居るからね。
テオだって、そうでしょ?」
「……それもそうだね。馴染み過ぎて忘れてた」
奴隷商人から逃げ出し、この国にやって来たテオドール。
彼の存在が隠匿されていないことが何よりの証明だった。
「オルガくん自身も、つい最近まで知らなかったみたいなんだ。
シャーリーが亡くなった日の夜、皆が寝静まった時にこの話をされたらしくてね。
……本当の事を言うと、受け入れ難かったんだって」
今までの自分を壊してしまうような真実。
信じたくない、認めたくない。
けれど、それは紛れもない己の過去であり、答えだった。
それでも、彼は『オルガ』で在り続けた。
己を、己自身で定義した。
『人魚』でも『成功例』でもない、『人』である、ただの『オルガ』なのだと。
「……だから、なのかな。
シャーリーとシャロンを重ねることなく、『彼女』自身を見れるのは」
「自分を明確にしたから、他者の区別も明確にできる……ってこと?」
「……そうだね。僕の予想に過ぎないんだけどさ」
そういったレイフォードは、ユフィリアに向けてふわりと微笑んだ。
その笑みには、どこか哀傷が感じられる。
だが、ユフィリアはそれに触れることが出来なかった。
まるで、出会ったときのように。
触れてしまえば、壊れてしまいそうだと本能的に察してしまったのだ。
「……そっか。良かったね、取り敢えずは平和に終わって」
「うん……あ、そうだ。忘れてた。
話は変わるんだけど、この前魔物の大規模襲撃があったの知ってる?」
それは、まだ記憶に新しい。
四日ほど前、七年振りに魔物の大規模な襲撃があったのだ。
あの日と同じようにディルムッドはクロッサスに向かい、あの日とは違って翌日の昼には帰ってきた。
そもそもの規模が前回と比べで小さかったことと、強力な助っ人がいたからなんだとか。
ユフィリアは、またレイフォードが無茶をしていないか気が気でなかったが、ラウラ救出に動いていたため、そちらの方には参加出来ていなかったのだ。
それが無ければ、レイフォードは確実に討伐戦に参加する。
幸か不幸かは分からないが、彼が再び生死を彷徨うような怪我をせずに済んだのは僥倖だ。
最も、更に最悪の事態になっていた可能性もあるのだが。
ユフィリアは又聞きした当時の戦況を、レイフォードに伝える。
「……ディルムッドさんも大変だったんだね。
また父上が広範囲殲滅術式で燃やしたっていうのは聞いてたけど」
「うん……それに、昔の先輩とその連れが大暴れしてたんだって。
東部騎士団が全力でも追い付けないくらいの速度で、殲滅して回ってたみたい」
レイフォードの脳裏に、とある二人の姿が過ぎる。
「……ちょっと待って。
僕、その人たちに心当たりがあるんだけど」
その時間帯、どこかへ姿を消した二人。
騎士団最強と呼ばれた男と、その養子であり隠密の達人たる女。
「……十五年前に中央騎士団で《赤鬼》って呼ばれてた人と、使用人の服を着た女の人……」
「……アーデルヴァイト家の使用人です、ごめんなさい……」
レイフォードは顔を覆った。
そこかあ、そこに居たのかあ。
と、呟きながら。
アーデルヴァイト家の使用人は、大なり小なり特殊な事情がある。
一般人からの採用、というのがほぼ無いのだ。
怪我を理由に騎士団を引退した者や、外からの移住者、記憶喪失の者など、多種多様に渡る。
先代の領主と今代の領主が変わり者であるが故だ。
「……まあ、過ぎたことを気にしても仕方ないよね!
皆無事だったことだし! ほら、切り替えよ!」
「……うん」
励ますユフィリア。
レイフォードは、彼女の想いに応え、また別の話題を提示する。
話し続けること数時間。
陽は、もう傾いていた。