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十節/4

 そのようなことがあり、現在レイフォードは湯フィリアに奉仕活動中である。

 具体的には、ユフィリアを膝に乗せ、林檎の包み焼き(アップルパイ)を食べさせることを強要されている。


 それが何ともまあ、心臓に悪い。


 どうあがいても、彼女の顔が視界に入る。

 宝石のように大きく美しい瞳、それに被さる長い睫毛。

 絹のような髪が時々頬を(くすぐ)り、煩わしそうに耳に掛ける姿は華麗かつ妖艶だ。

 おまけに、自らの手から包み焼きの一欠片を頬張られれば、もう何も言うことはあるまい。


 この(ごほうび)が始まってから早五分。

 レイフォードの精神は、既に陥落していた。


 普段距離を詰められるだけで心臓が高鳴るというのに、ここまで接近した状態で話しながら触れ合うなど、容量(キャパシティ)超過(オーバー)だ。

 頭が沸騰しそうなのである。


 恐らくユフィリアは、それを分かってやらせている。

 いつも、控えめなレイフォードに業を煮やしていたのだ。

 そこに来た丁度良い機会。

 逃す手はなかった。


 そうして、ユフィリアの意のままに動く人形と化したレイフォード。

 彼女らと世間話をしながらも、会話内容が一つも頭に入って来ない。

 音としては認識出来るが、内容として理解出来ないのである。


 

「……ねえ、聞いてる?」

「聞いてます。何の御用でしょうか?」

「……やっぱり聞いてなかったじゃん」



 ユフィリアが、急にレイフォードの肩に触れた。

 内心を馬鹿みたいに暴れさせながら、平静を装って返答する。

 しかし、レイフォードが話を全く聞いていなかったことが判明したため、彼女は頬を膨らませた。 



「この方と話したいことがあるから、一度席を外してほしいの。

 お願い、ね」



 有無を言わせぬ圧力で『お願い』されれば、断るなんて出来やしない。

 レイフォードは、ユフィリアを自分が座っていた席に座らせると、二人の声が聞こえないように離れていった。

 





「……さて、彼が離れたところで。

 私、貴方に訊きたいことがあるのです」



 レイフォードが一定以上の距離を取ったことを確認し、ユフィリアはそう切り出した。



「……なんのことでしょう」

(とぼ)けないでいただけますか?

 先程の話には、どう考えても怪しい点があります」



 (テーブル)の上で手を組み、睨むようにラウラを見据えながら核心を突く。



「──何故、彼と契約したのですか?」



 風が吹き荒れる。

 否、風が吹き荒れたように感じられた。


 木々も花々も、それらは動きを止めている。

 だから、吹き荒れたのは風ではない。

 暴風のように、ラウラから放出された気迫だったのだ。



「少女よ。

 賢明な貴殿ならば、それを訊くことがどういうことか解っているだろう」



 嵐。

 今の彼女の気配(オーラ)を表すならば、そんなところだろうか。

 立っていることすらままならない。

 全てを呑み込み巻き上げ、刻むような大嵐。


 けれど、ユフィリアは涼しい顔をしていた。

 まるで、嵐を微風だとするように。



「やっと本性を表しましたね。

 似合っておりませんよ、その姿」

「……軽口を叩く余裕なんてあるのか?」



 一際強くなった圧は、空気すべてが己の敵になったように全身を圧し潰す様を幻視するだろう。

 それでも、ユフィリアは余裕を崩さない。

 不敵な笑みを浮かべ、しかとラウラを見据えている。



「あら、心地良い風ですね」

「……貴殿がおかしいだけだ。並大抵のものならば失神する」



 先までの奥ゆかしい態度はどこへ行ったのか。

 ラウラは足を組み、面倒そうに髪を払った。



「お褒めいただき光栄です、精霊様」

「ラウラで良い。

 思ってもいない敬愛は、苛つきしかしないからな」



 じゃあ遠慮なく、と敬語を崩すユフィリア。

 どこにも戸惑いや恐れを抱いていないその姿は、どこから見ても異常である。



「それで、先程の問いの答えは? 嘘を吐くのは許さないから。

 ……まあ、しようと思っても出来ないだろうけど」



 精霊は嘘を吐けない。

 世界そのものの一つである精霊は、『偽る』という行為が出来ないのだ。

 だからこそ、精霊の言葉は全てが偽りのない『真実』なのである。



「恩返しだ。あの方には危機を救ってもらった。

 その恩に報いなければならん。

 受けた恩は、必ず返す。それが私の信条だからな」

「それで?」

「……勘が鋭いのも、察しが早いのも、良いことばかりではないぞ」



 更に追求するユフィリアを、苦虫を噛み潰したような顔で窘める。

 解っていながら踏み込んで来るな、と諦めにも近い気持ちを持ちながら。



「仕方ないじゃん。知らないと気が済まないんだもん」

「貴殿が知らなくとも、何も問題はないだろうが」



 ラウラのその言葉を、ユフィリアが鼻で笑う。



「……何がおかしい」

「何って……貴方、私の立場わかってる?」



 ユフィリア・レンティフルーレ。

 レンティフルーレ侯爵家の長女であり、神に祝福された者。

 父に領主かつ槍の名手ディルムッドを、母に薬学界の巨匠カシムを持ち、優秀な兄は二人共々彼女を溺愛する。


 そんな彼女の、一番大事な立場。

 それは──



「──私、レイの婚約者だよ?

 あの子の人間関係は全部把握しておかないと、ね」



 そうして、ユフィリアは満開の桜のような笑顔を咲かせた。



「……彼も苦労するな。こんな許婚(・・)を持って」

「だから、婚約者(・・・)

 他でもない私たち自身が、将来を共にすることを誓ったの。

 そんなこというなんて……もしかして、僻み?」



 二人の間に、ばちばちと電撃が弾ける。

 一触即発、殴り合い(キャットファイト)一歩手前。

 雷雲の如き空気である。

 

 一方その頃、何も知らないレイフォードは仕事中のテオドールにちょっかいを掛けているのであった。



「……話を戻して。

 貴方がレイと契約したのは、そんな軽い理由じゃない。

 もっと捻れて、折れ曲がって、見当違いな重い理由。

 そうでしょ?」



 ああ、本当にやり辛い。

 こういう性質(タイプ)の奴は、自分が納得するまで引き下がらないのだ。

 猪突猛進に見えて計算高く、素直なように見えて狡猾。

 その癖、どれだけ悪いところを見せようとも、周囲は良い方に解釈する。

 優等生気取りの乱暴者よりも、全く厄介だ。


 見聞や声だけでなく、こういうところまで同じとは。

 血の繋がりなんてほぼ皆無だというのに、奇妙なことだ。


 ラウラは呆れを通り越して、感嘆していた。

 遠い昔、『貴方』と共に時を過ごし、『貴方』に愛された『彼奴』を思い出して。



「……昔、もう誰も憶えていないほど昔のこと。

 私が愛し、敬い、共にあることを誓い。

 けれども、守れなかったある方に、彼はよく似ているのだ」

「うわ、昔の想い人に重ねてるってこと? 最低じゃん」



 ラウラ、キレた。



「黙れ、貴殿だって変わらんだろうが!」

「何のことだか?

 私が好きなのは、後にも先にも『レイ』だけだから!」



 目にも止まらぬ速さでユフィリアの襟首を掴み上げたラウラは、勢いそのままに投げ飛ばそうとする。

 しかし、手首を掴み返した彼女が空中で逆立ちのように足を上げ、身体を折り曲げ膝蹴りを放った。


 咄嗟に反対側の手で防ぐが、ユフィリアはそれも予知していた。

 胴体を捻り、防がれた左脚を軸に右脚で回転蹴り。

 両手を使った状態で防げるわけもなく、ラウラの首に鋭い一撃が入った。


 が、手応えがない。

 以前レイフォードの居ない隙に行ったテオドールとの模擬戦で、審判を務めたイヴを唸らせたこの蹴りは、例え戦闘慣れした者であっても、強烈な一撃となるはず。

 だというのに、ラウラは痛がる素振りも見せない。


 なるほど、特位精霊の名は伊達ではない。


 放り投げられたユフィリアは、宙で一回転し柔らかい草地の上に着地する。

 ラウラは首をこきりと鳴らし、手を払った。



「まさか、あの体勢から蹴るとはな」

「体術には一家言あるからね。

 ただの殴り合いなら、レイよりも強いから」



 立ち上がったユフィリアが、腰の杖に手を掛ける。



「貴方なら、『こっち』の方が良いかな、片想い拗らせ精霊さん?」

「……言わせておけば。

 貴殿も大概だろう、接吻一つ出来ないへたれ恋愛弱者」


 

 互いが、互いの領域を踏み荒らす。


 源素が満ち溢れ、物質界へ影響を及ぼした。

 尋常じゃない風が吹きすさび、花々が踊り狂う。

 小鳥は啼き叫び、逃げるように飛び立つ。


 二人は嗤った。


 ──いい加減、ぶっ飛ばしてやる。


 しかし、その意志が貫き通されることはなかった。



「……何をしているのです、ラウラ」



 ラウラの首に、手刀が添えられた。



「……セレナ、いいえセレナ先輩。

 これには谷よりも深く、山よりも高い事情が──」

「言い訳無用。

 任せた仕事もせず現を抜かし、あろうことか客人に手を出すとは。

 『教育』が必要なようですね?」



 どこからともなく現れたその女性は、ラウラの教育係であり、ユフィリアもよく知るセレナであった。

 

 そういえばと卓の上の菓子や紅茶を見ると、土埃が入らないよう結界が張られている。

 恐らく、事態に気が付いた彼女が張ったものだ。



「……ところで、先程テオから聞いたのですが……レイフォード様に無理矢理受肉の儀式を迫ったというのは、本当でしょうか?」



 あ、とユフィリアは口で手を覆った。

 精霊は嘘を吐けない。

 嘘か、本当と聞かれれば、真実を答える他ないのだ。


 

「……そうです。貴殿が私に触れられるのが、その証拠でしょう」

「ほう、なるほど。やはり、そうでしたか」



 セレナの気配はいつもと依然変わらない。

 だというのに、発せられる圧は異常な強さであった。

 殺気ともよく似たその圧と、手刀を押し付ける力は徐々に強くなっていく。



「──有罪。裁きましょう、我が天使の名の元に!」



 深呼吸をしたセレナが、高笑いの後そう宣言する。

 普段の無表情さは掻き消え、初めて見たような笑顔で。

 彼女に引き摺られていくラウラの表情は、狼の威厳を放り捨てた仔犬のようであった。



「……何だったんだろう、この時間」



 一人になった庭園で、解けた結界の中から焼き菓子を一つ摘み、ユフィリアは呟いた。






 後に、被告からの取り調べにより発露したのは以下の内容である。


 曰く、彼のことを先に好んでいたのはラウラである、と。

 曰く、肉体の関係もない婚約者より、魂の関係を結んだ精霊の方が立場は上である、と。

 曰く、受肉体は受肉後に変えられないため、『女』の姿を見せつけるには彼女が訪れる前に行わなければいけなかった、と。

 曰く、自分の腕の中で思うがままにされる彼の姿は大変興奮した、と。


 それを聞いたセレナ、テオドール、及びユフィリアの三人はレイフォードの耳に入る前に『処刑』を執り行ったという。

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