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十節/3

「と、いうことがあったんだよね」



 対面に座るユフィリアに向けて、レイフォードはそう締め括った。


 庭園用の(テーブル)の上には、紅茶と林檎の包み焼き(アップルパイ)

 今日の午前中に、テオドールと共に作ったものだ。

 

 細い指が紅茶茶碗(ティーカップ)の持ち手を摘み、美しい所作で紅茶を一口含む。

 蔓延る静寂。

 微かに感じられる怒気。

 レイフォードの背筋は冷えに冷えまくっていた。



「ねえ」

「……はい」



 ユフィリアが紅茶茶碗を受け皿(ソーサー)に置いた音が、やけに大きく聞こえた。


 季節外れの暖かな日和。

 優しい風に木々が揺れる。


 しかし、絶対零度の視線がレイフォードを凍てつかせる。



「──あの状況(・・・・)が、それと何の関係があるって言うの?」

「すいませんでした!」



 卓に額が付くほど深々と腰を曲げ、レイフォードは誠心誠意謝罪したのであった。






 ことの始まりは三十分前。

 ユフィリアが屋敷にやってくるということで、今日の天気も相まって、外での茶会を開くことにした。

 

 クラウディアが作った特製の紅茶に、朝食直後から仕込んだ林檎の包み焼き。

 おまけにいくつかの焼き菓子を添えて。


 食器(カトラリー)も、食卓布(テーブルクロス)も揃えた。

 後は、火の番をしているテオドールが焼き上がった林檎の包み焼きを持ってくれば終わりだ。


 ユフィリアが到着しだい、楽しい茶会の始まりだ。

 そう、小さく拳を握った時だった。



「レイフォード様、少々よろしいでしょうか」

「……どうしたの、ラウラ?」



 背後から、使用人の格好をしたラウラが歩み寄ってきた。


 先日契約を結んだ特位精霊であるラウラ。

 契約精霊とは、通常ならば同等の存在として友人関係を築くのであるが、どうにも彼女は性に合わないようで『護衛の騎士』や『従者』のように扱ってほしいと自分から申し出たのだ。


 特位精霊には、物質界に顕在しない怪物を倒す責務がある。

 多種多様なそれらに対応するため、相性の良いものが、もしくは何人かで対応するのが通常である。


 だが、今は他の三体が自由奔放過ぎるため、ラウラほぼ一人で討伐を熟していた。

 遠い昔は、彼らも真面目に仕事をしていたという。

 ある時、人と契約を結び、人の世界を知ったことで、そちら側にのめり込んでしまい、責務を疎かにするようになったのだとか。


 始めはラウラも口酸っぱく注意をしていた。

 だが、一体、二体、三体と数が増えていき、話を聞くこともなかったため、諦めてしまったのだ。


 『一人でもどうにかなる』と自分に言い聞かせ、エヴァリシアたちの協力も得て。

 そうして、今まで続けてきた。


 しかし、先日レイフォードの契約精霊となったことで心機一転。

 残りの三体にも仕事をさせようと『教育的指導(はなしあい)』を行い、無事に四人で適性ごとに分担することに決まった。


 今回の件だって、本来他の三体のうち相性の良い誰かが当たるべき怪物を、よりにもよって一番相性の悪いラウラが担当したことで起こったというのだ。

 エヴァリシアがレイフォードを呼びに来なければ、ラウラは取り込まれ、手が付けられなくなるほど強力となった怪物が物質界にまで侵食していただろう。

 再発を防ぐためにも、仕事をさせないわけにはいかない。

  

 現在、エヴァリシアたち一人一人がそれらの補佐に付き、怠慢するようなことがあれば報告する、という監視体制も築いている。

 逆らう気も起きないほどに『指導(おはなし)』したとのことで、暫くの間は反抗すらもしないとのことだ。


 けれど、ここで一つ問題が発生した。



 ────レイフォード様。私に、何か仕事をくださいませんか?

 


 千年以上続いた、仕事尽くしの生活。

 朝も昼も夜も、年がら年中働き続けていた。

 『何もしない』ことが、落ち着かなくなるほどに。


 そう、ラウラは仕事中毒(ワーカーホリック)だったのだ。


 彼女が『騎士』としてレイフォードを守ると言っても、レイフォードは常に危険に晒されているというわけではない。

 |厄介事を引き寄せる特異体質トラブルメーカーではあるが、それでも毎日どうこうとはならない。

 端的にいえば、仕事量が足りなかったのだ。

 

 そうして、ラウラは『何でも良いので仕事をください』と、進んで使用人の仕事をするようになった。


 彼女自身飲み込みが早いこともあり、屋敷の内情には直ぐに慣れた。

 元々知り合いであったらしいセレナが、教育係として付いたことも大きいかもしれない。


 一応、使用人長であるサーシャと、シルヴェスタが試験と面接を行ったのだが、文句の言いようもないほど全ての科目が高水準であった。

 ラウラ曰く、『数千年もあれば、相応の所作も身に付くものです』とのこと。


 特筆すべきは、戦闘能力であろうか。


 アーデルヴァイト家の使用人は、一定以上の戦闘能力を求められる。

 自衛と、護衛のためだ。

 

 サーシャは、赤子の手をひねるように詠唱省略と破棄を可能にする精霊術師。

 セレナは、暗器と彼女独自の精霊術を組み合わせた隠密。

 セリアーノに至っては、過去に騎士団最強と謳われていた。


 そんなアーデルヴァイト家の使用人の中でも、ラウラは抜きん出て強かった。

 木剣一本でセレナを仕留め、セリアーノがぎりぎり一太刀入れられるかというところまでの圧倒さ。

 決闘形式のため、乱戦や奇襲がありならばセレナの結果は変わったかもしれないが、それでも圧倒的だった。

 何故、こんな精霊(ひと)があの怪物に良いようにされていたのか、疑問に思うほどに。


 そうして、ラウラは無事、アーデルヴァイト家の使用人の地位を確立したのだった。


 現在、彼女は順調満帆に生活を送っているようで、問題の報告なんて一度もない。

 ならば、いったいどうしたのだろう。

 

 ラウラが話を続けるのを待つレイフォード。

 それは意外なようで、納得のいくものだった。



「《受肉》をしたいのです。今の体は少々不便でございまして」



 受肉。

 それは、肉体のない精霊が物質界に存在を固定するために行う儀式の一つである。

 

 精霊は、意思を持った源素の塊であり、幻想界にのみ存在している。

 その状態での物質界への干渉は、不可能ではないが難しい。

 姿を見せるくらいが精一杯だ。


 セレナのような『精霊の愛子』や、テオドールのような先祖返りは、己が精霊に多少近くなっていることで干渉し合えるらしい。

 その繋がりも大分弱いものであるようだが。


 そんな精霊たちが物質界への干渉を行うためにすることが、『契約』と『受肉』だ。

 

 『契約』は、レイフォードとラウラが交わしたような、双方の同意の元、人側が精霊と魂を結び付かせ、精霊が己の源素へ直接的な干渉をすることを許可するものである。

 人と神秘的な繋がりを得た精霊は、物質界に干渉することができるようになる。


 だが、実体はない。

 ただ干渉出来るようになるだけ。

 視覚的に知覚できる不可思議な現象(ポルターガイスト)のようなものだ。

 

 『受肉』は、上記のように契約した精霊が契約者の血肉を元に自分の肉体を構成し、『生物』として物質界に存在を固定することだ。

 生物と言えども、食事や睡眠等の必須行動はしなくて良い。

 肉体自体も自由に扱うことが出来るため、好きなときだけ物質界に現れるということもできる。

 

 更に言うと、契約者が死ねば、受肉した精霊も肉体を保てなくなる。

 世界基盤における契約者の情報を複製して、肉体を構成しているからだそうだ。

 逆説的に、契約者が死ななければ、受肉した精霊の肉体も死ぬことはない。

 

 つまり、契約者が長命ならば半永久的に保てるのだ。

 もっとも、どんな長命種でも千年が限界であるのだが。


 

「分かった……けど、今は難しいかな。

 確か、血肉と儀式術式、結構な量の源素がいるよね。

 準備に時間が掛かるだろうし、そろそろユフィも着く。

 だから、また時間がある時でも良い?」



 受肉は、血肉のみを用意すれば良いというほど簡単なものではない。

 世界基盤から契約者の情報を得て、血肉に反映させるための術式と、それらを発動させる膨大な量の源素が要る。


 基本、精霊術は複数の術式の同時発動が出来ない。

 同時にいくつもの事象を発生させるには、術式自体に複数の要素を混ぜ込む必要がある。

 

 術式が複雑になればなるほど、詠唱は長くなるし詩的になる。

 これは、術式自体を一つの物語として、術者を語り手に見立てているからだ。

 そうすることで、世界基盤の修正への耐性強度が上がり、より強力かつ長時間持続する術式となる。


 儀式術式は、それの代表例と言ってもよいだろう。

 準備と詠唱に時間が掛かるが、その分効果は絶大だ。


 今回の場合は、一時間ほどは時間を要する。

 手順としては、手首を裂き杯に血を貯め、そこに削り取った肉を入れる。

 その後、数分間に渡る詠唱を行い、術式を発動させる。

 一見単純に見えるが、細かい動作や時間を掛けて行わなければいけないものが多い。 

 大半は数百(ミリリットル)の血液と、何片かの肉を用意するのに掛かる時間なのだが。

 

 痛覚は消しているため痛みはないが、その分己の不調に気付けないことも考えられる。

 傷自体は治せても、失った血液は戻ってこない。

 危険を回避するためにも、立会人だっているのだ。


 以上の理由により、とても今直ぐにとは行えないだろう。


 しかし。



「いえ、私ならばそこまで時間は掛かりません。

 数十秒ほどじっとしていただければ、直ぐに終わります」

「……因みに、その方法は?」



 ラウラは、通常一時間掛かる儀式を数十秒ほどで終わらせられるという。

 レイフォードは、その言葉に一抹の不安を感じていた。

 

 旨い話には裏がある。

 漠然と、嫌な予感がしたのだ。



「ちょっとこう……首をですね、がぶりと」



 そうして彼女がやってみせたのは、口内に並んだ鋭い牙と指先の長い爪にて、獲物を捕食する動きだった。



「……流石に絵図が危ないなあ」

「大丈夫ですよ。

 天井の染みでも数えていただければ、その間に終わらせますので」

「そもそも天井無いし、それは駄目な方の言い方じゃないかなあ?!」



 じりじりとにじり寄って来るラウラ。

 レイフォードは、まるで俗説的な熊の対処法のように、ラウラをしっかり見据えたまま距離を取っていく。



「何故遠ざかるのですか?

 何の問題があるというのですか」

「身の危険を感じるからだよ!」

「……そうですか」



 手をわきわきとしていた彼女が、すっと手を下ろした。

 やっと諦めたのだ。

 そう、安心したのも束の間。

 寧ろ、その隙こそが彼女の狙いだった。



「──では、ご容赦を」



 微風が吹いた瞬間、ラウラの長身の身体が視界から掻き消える。

 同時に背後から囁きが聞こえ、レイフォードは飛び退こうとした。

 

 が、それも遅く。

 振り向いた隙を突かれてしまう。



「離して……いや、力強くないか……?!」



 向き合う形で右腕を抑えられ、彼女のもう片方の腕で身体を持ち上げられてしまっているため、足が宙に浮いている。

 どれほど暴れてもラウラはびくともしない。


 ああ、どうして己の周りは怪力ばかりなのだろうか。

 数十(センチ)(メートル)体格の大きな彼女に抗議の視線と要望を送っていると、唐突に首筋に顔が近付けられる。


 駄目なやつだ、これ。

 そう思った瞬間、鋭い痛みが走る。

 七年前に片腕を喰われかけた時よりかはましだが、それでも痛いものは痛い。

 無事に痛覚が戻ってしまった身体が、少し恨めしかった。


 今更抵抗しても無駄だろう、と諦め身を任せる。

 ラウラの鋭い歯は、依然皮を突き破り血を啜っており、時折零れそうになるそれを肌ごと舐める感触が何とも不快だった。


 血を啜られる度に身体から力が抜けていくし、反射的に声が出る。

 痛みと、色々なものが吸い取られているからだ。


 このように自覚できるほど源素を失うことなんて、レイフォードには一度しかなかった。

 それも加減を間違えて行使した精霊術だったため、持続して吸い取られ続けるものではない。

 

 源素の回復速度も桁違いのレイフォードであるが、ラウラは回復したものも含めて奪っていく。

 喪失と回復が釣り合っていないのだ。


 源素の欠乏による疼きに、勿論耐性なんてあるわけがなく。

 意識は遠退いていくというのに、身体の感覚が鋭くなるこの状態に頭がおかしくなりそうだった。


 段々と反応が無くなっていくレイフォード。

 それを心配してか、もしくは好奇心からか。

 ラウラは一際強く噛み付いた。


 迸る感覚に、肩が大きく跳ねる。

 同時に意識が覚醒し、朦朧としていた思考が明瞭になった。



「──ラウラ……!」



 もう止めて、という想いが込められたその言葉。

 潮時か、と余さないよう最後に人舐めして、レイフォードを解放する。

 顰めっ面でぐったりとしていることを良いことに抱き締めようとするが、小突かれたため、ただ支えるだけにする。



「やっと終わった……。

 ユフィに見られてたら、どうしようかと──」

「居ますが、そこに」

「へ?」



 ラウラがレイフォードの背後に視線を向けた。

 油の切れた機械人形の如く、上手く回らない首で後ろを振り返る。


 いやいや、まさか。

 そんな神懸り的なことがあるわけ──。


 ぱしん、と手に短杖(ワンド)を叩き付ける音。

 それには、明らかに怒気が含まれていた。

 

 振り返った先に居たのは、いつの間にか到着していたユフィリア。

 長い白髪は風に靡きながらも、陽の光を大きく浴びて輝いている。

 しかし、それに反して菫青色(アイオライト)の瞳は暗い闇を抱いていた。



「……ねえ、レイ」



 冬の貴金属のように冷たい声が、レイフォードを呼ぶ。

 己を押し潰そうとする圧に耐え、消え入りそうな声で何とか返事を絞り出した。



「──何、してたの?」



 レイフォードの腰は、ほぼ直角に折れ曲がったのだった。

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