十節/2
王国においてのアーデルヴァイト家の役割は、主に二つだ。
一つは、アーデルヴァイト領の統治。
精霊領域の管理・監視と共に、城塞都市クロッサスを始めとしたいくつかの町と村を治めること。
もう一つは、国境の維持。
外部からの侵入者の捕縛や駆除、及び保護。
加えて、魔物の討伐。
魔物も、精霊領域を目指してやってきたものと、土地柄を加味した自然発生の二つがあるため、他の地域よりも強力かつ多数である。
しかし、クロッサスの町においてのアーデルヴァイト家の役割は、もう一つの要素が追加される。
それは──墓守。
生と死の境、終わりを見届け続ける者。
《境界の護り手》の名に相応しい役である。
冬も近い秋の森は、地面によく木の葉が落ちていた。
紅葉の絨毯と言っても良いほどだ。
区分けされた木々の間を通り、シャーリーの骨を埋める場所へと向かう。
リセリス教式の葬式は樹木葬ではあるが、一人一人に木が用意されているわけではない。
いくつもある木々の中から選び、その下に箱ごと埋めるのだ。
木の前には墓石が置かれており、そこに名前を刻むため、『どこに埋められているか分からない』なんてことは基本ない。
今回、形式上喪主であるオルガが選んだのは楓の木だった。
オルガは、円匙で穴を掘る。
雑草や小花ごと掘り返し、丁度箱が入る程度まで広げた。
「……これくらいで良いですか?」
「ええ。十分です」
彼が振り向いて司祭に確認すると、頷きと共にそう返される。
僅かに滲んだ汗を腕で拭いながら、ルーカスとウェンディが修道士から箱を受け取るのを待った。
「……ここに、置けばいいの?」
「ああ。置いたなら、オレが埋める」
二人は目を見合わせて、落とさないようゆっくりと穴に箱を安置する。
土の掛からない位置に彼らが移動したことを確認してから、オルガは優しく土を掛け、表面を固めた。
さくり、と円匙を地面に刺す。
同時に、肺を満たすほど大きく息を吸った。
秋の薫り、木々の薫り。
吹く風は、それらだけを運ぶ。
もう、死の匂いはどこにもなかった。
大きな楓の木を見上げる。
樹齢は、二十年を優に超えるだろう。
ざわざわと宴のように葉が騒ぐ。
──そこに、居るのか? 父さん、母さん……シャーリー。
ぽつり、とオルガは呟いた。
何故、楓の木を選んだのか。
ルーカスやウェンディにそう訊かれた時は、『何となく』と答えた。
勿論、嘘ではない。
桜や花水木、梅など様々な木々を見て、一番ぴんと来たのが楓だったのだ。
始めは、ただ純粋に。
シャーリーに一番似合っていると思っていた。
気品があって、けれど自由そうで。
炎のような葉が『篝火』にぴったりだ、と。
──その根本にあった墓石に刻まれた名前を見るまでは。
『エラン』、『イオナ』。
連なって刻まれたそれは、遠い昔の記憶にある父と母の名と同じだった。
しゃがみ込んで、その彫りをなぞる。
確かに、刻まれている。
確かに、残されている。
ああ、虚構じゃなかったんだ。
貴方たちの存在は。
溜息にも似た何かを、そっと漏らした。
己の根源というものを、オルガは何一つ知らなかった。
物心付いたときには既に孤児院で暮らしていたし、親どころか親族にもあったことがない。
前院長と現院長が母親、父親代わりだった。
父と母が居なくたって二人がいればいい。
ルーカスも、ウェンディも、他の皆だっている。
だから、別に良いんだ。
ずっと、そう考えていた。
けれど、子ども心に親の存在は気掛かりなもので。
一度だけ、尋ねたことがあった。
────父さんと母さんは、どんな人だったの?
その時の哀しそうな彼女の目が忘れられない。
────……ごめんなさいね。
ただ一言、謝って。
己の頭を撫でて。
しかし、問いに答えることはなかった。
それ以降、オルガは二人のことを訊くことはなかった。
触れてはいけないものだと解ってしまったのだ。
でなければ、優しい前院長があんな顔をするわけがない。
────良いんだ、良いんだ。
知らなくたって、オレは『オルガ』だ。
なんて言い聞かせて、オルガは自己を保ち続けた。
時折、楽しそうに家族のことを話す者たちから目を背け。
ただ、現在の己だけを探して。
そうやって、生きてきた。
だから、シャーリーが亡くなったとき、オルガは自分の一部が欠けてしまったように感じてしまった。
だって、彼女は己を構成するうちの一つだったのだ。
己は、『シャーリーの友であるオルガ』であったのだ。
それは、現在ばかりを見続けていた障害だった。
生物には、どうやっても死がある。
だからこそ、その終わりを乗り越え、新しく始めることが必要だ。
なのに、オルガは終わってしまったそれに縋りつくことしかできなかった。
現在しか見れないから。
己を造るはずの過去も、己が造りたい未来も見れないから。
一度欠けてしまった足場は直らず。
落ちた欠片を必死に拾い集め、どうにか貼り付けようとして。
それが出来ないことを嘆き、膝を抱えた。
しかし、時は無情にも進む。
止まってしまったオルガは、頼りにしていた現在からもおいて行かれ、見えない過去に閉ざされてしまう。
暗い闇。
何も見えない夜の中。
刻一刻と時間は進む。
でも、立ち上がれない。
歩けない。
だって、何も見えないんだから。
そんなとき、星の光が差した。
星が、道を指し示した。
明るい光。
まるで、夜道を照らす灯籠のよう。
────貴方なら、自分のやるべきことくらい、もう分かっているはずだ。
ああ、そうだ。
本当は、オルガは解っていたのだ。
己はもう、現在だけしか見れないわけではないのだ、と。
確かに、オルガはシャーリーを喪った。
けれど、『オルガ』でなくなることははかった。
それは、これまで歩んでいた道があるから。
まさに『過去』そのものが、己を造っていたから。
過去があるなら、現在だけが見れない道理はなく。
過去も現在も見れるならば、未来が見れない道理はない。
そうして、オルガは己の呪縛を取り払った。
過去をもって現在を歩き、未来へ向かうようになったのだ。
振り返れば、皆がオルガのことを待っていた。
ルーカス、ウェンディ。
司祭と修道士、テオドール。
そして、レイフォード。
彼らの元へ駆け寄る。
「最後に、もう一度祈りましょう」
司祭が楓の木に向けて、手を組んだ。
同じように手を組む。
──彼女の未来に幸福を、彼女の未来に祝福を。
貴方の行く先が、希望と幸福に満ちた世界であることを。
それは、生者から死者へ向けた祈り。
死した魂は巡り、いずれ新たな生を得る。
もう、貴方は『貴方』でなくなっているだろうけれど、私は貴方の幸せを願っているのです。
なんて、少し未練がましい自分勝手な祈りだ。
まあ、祈りも願いも自分勝手なものしかないのだろうけれど。
「こんにちは、ジェームズさん、ソニアさん。
今日は先日の文通り、例の件についてお話に参りました。
え? ……ああ、『彼女』のことですか。
いえ、女性かどうかは私もよく知らないのですが。
『彼女』のことも含めて、全てお話しますよ」
少年は、冒険を語る。
始まりから、終わりまで。
終曲すらも終え、幸せの結末に至るまでの全てを。
ついでとばかりに、裏話も添えて。