九節/3
「……ん、ここどこ……?」
「あ、やっと起きた」
「おはようございます、レイフォード様。
もう少しで着きますよ」
寝惚けた目を擦りながら状況を把握したレイフォードは、セレナに感謝を伝えてから彼女の背を下りる。
が、随分寝ていた影響か、まともに立てずに身体が崩れ落ちた。
「……っと、危な」
「ごめんね、テオ」
彼の腰に手を回し、間一髪で抱き止める。
触れた身体はほんのりと暖かくて、生命を感じられた。
レイフォードをテオドールに受け渡すと、セレナが一瞬顔を顰める。
「……もう、屋敷は目と鼻の先ですね。
すみません、私は少し用事を思い出しました。
セリアーノさんに、『セレナが忘れ物をした』とお伝えしていただけませんか?」
「もう暗いし、明日で──」
「なりません。とても大切なものなのです」
今までそんな素振りも見ていなかったというのに、どうしたのだろう。
疑問に思い、追求しようとするレイフォードをテオドールが制した。
「セレナさんが言うってことは、それほど大事なものなんだよ。
ね、レイくん。先に帰っておこう。
帰りが遅くて、皆心配しているだろうし」
「……わかった。気を付けてね、セレナ」
作法通りの礼をして、彼女はゆっくりと来た道を引き返していく。
後ろ姿を眺めていてもしょうがない。
彼女に頼まれた伝言をしなければと、テオドールは気を抜いているレイフォードの肩と、膝の裏に腕を通した。
「……へ、何?! 何のつもり?」
「レイくんがまともに動けなさそうだから、こっちの方が早いかなって」
「だからって、この抱き方は無いんじゃないかなあ!」
二人の体格はほぼ同じ。
若干テオドールの方が筋肉質というところだろうか。
テオドールは翼人族ということもあり、人族より身体能力が優れているので、力の差は歴然ではある。
そんな二人が片方は姫抱きにされている光景は、旗から見れば滑稽でしかない。
「下ろして、自分で歩けるから!」
「ただでさえ遅いのに、まだ遅くするつもり?
大人しく抱えられてよ、と!」
森の腐葉土を蹴り、テオドールは走り出した。
レイフォードに負担を掛けないように、しっかり抱きとめながら。
「レイくん、首ちゃんと掴んで!」
「恥ずかし……ああもう! どうにでもなれ!」
腹を括ったレイフォードが密着して安定したので、走る速度も更に上げる。
時間にして一分。
体感はそれより大分短く感じられたが、それでも楽しいひと時だった。
「お、やっと帰ってきた。
レイフォード様、テオ、お帰りなさいませ!」
「……ただいま」
「ただいま帰りました!
セリアーノさん、セレナさんが『忘れ物』したらしいです!」
門の前に立つ二人の門番のうち、背の高い隻腕の男の方──セリアーノに、テオドールは預かった伝言を伝える。
人に見られたことに頬を赤くして、背に隠れているレイフォードは見なかったことにした。
「……そうか。ありがとう、了解した。
すまんがシン、任せていいか?」
「了解っす。行ってあげてください」
数巡の後、もう一人の門番であるシンに断りを入れ、セリアーノはセレナを追いかけて行く。
「……何か、あったんですか?」
「いいや、何もありませんよ。
ただ、ドジっ娘ちゃんをお父さんが助けに行っただけっす。
直ぐ帰ってきますよ。
ほらほら、坊っちゃんたちは中に入ってくださいな!
サーシャさん、心配してましたよお!」
木製の門の閂を取り、二人の背を押して屋敷の中に入らせる。
彼らの様子に一抹の不安を感じつつも、触れてはいけないことを察し、レイフォードと共に歩み出す。
「……テオ、後で覚悟しておてね」
「はいはい。
新術式でも改造術式でも、何でも付き合って上げるから機嫌直してって」
「雑にあしらわれてる!
元はと言えば僕が悪いから、あんまり文句言えないけど!」
先程までの悩みも暗さもどこへ行ったのやら、テオドールはレイフォードと軽口を叩く。
笑顔も言葉も、偽りのない本物で。
心からの想いだった。
古びた大きな扉に手を掛ける。
秋の夜の冷気で、取手の金属はよく冷えていた。
「……テオ?」
急に動きを止めたテオドールを、不思議そうにレイフォードが覗き込む。
夜空と正反対の蒼空が、よく目に入った。
「……俺ね。レイくんのことが好き」
「……どうしたの、急に?」
振り返って、面と向かって。
彼を真正面に添えて、そして力一杯抱き締めた。
「好き、大好き。愛してる」
「……僕もテオのこと好きだよ」
己と同じように、背に回される手。
ほぼ同じ体格なのに、少しだけ小さい気がした。
「でも、一番はユフィでしょ?」
「それは……ずるい質問だなあ。
……ごめんね」
胸に顔を埋められているから、レイフォードの表情は見えない。
けれど、哀しそうな顔をしていることだけは確かに解ったよ。
「なんで謝るの?
レイくんがユフィのことを愛してるなんて、公然の事実だよ」
「……だって、テオは──」
やっぱり、君にはばれているみたいだ。
君は鈍感じゃない。
自分に向けられる感情も、願いも、祈りも。
全部理解してしまう。
俺の感情が、友情の範囲を超えていることも。
恋情にも満たないことも。
憧れも、愛も、全部まぜこぜになった歪みも。
全部解った上で、君は俺と接していた。
「ねえ、レイくん」
「……なに、テオ」
霞のように儚く、溶けてしまいそうな声が己の名を呼ぶ。
「俺は、君を守るよ。君が死ぬときまで、ずっと」
「……そんなこと言って、僕を置いていかない?」
「いかないよ。寧ろ、置いていくのは君の方でしょ」
そうだね、と曖昧に彼が笑う。
テオドールはレイフォードの肩を押して自分との距離を話すと、右手を差し出した。
「約束しよう。ちゃんと言葉で」
緩く上げた小指。
それを見れば、レイフォードも意思を汲み取ったようで、白手袋を外す。
小指を組み合わせて、決まり言葉を口にして。
そして、指を離す。
「……約束、だからね」
俯いたまま呟いた彼の心の内は、テオドールは分からない。
けれど、彼の願いは分かる。
「うん、約束。絶対に破らないから」
レイフォードは、酷く『約束』を怖がる。
何故かと問えば、守れないことが多いからと。
そんな彼に約束を取り付けるのは、『言葉』という糸でこの世に雁字搦めにするためだ。
幾ら彼の足元が抜けて奈落が顔を見せたって、繋ぐ糸さえあれば引っ張り上げられる。
それをするのは、別にテオドールでなくていい。
彼が一番愛する、彼女に任せたっていい。
テオドールがするべきは、彼が遠くに行ってしまわないように現世に繋ぎ止めて置くことなのだから。
浮世離れした彼が、迷って揺蕩わないように。
消えてしまわないように。
そうして、テオドールは扉を開ける。
まるで、己の門出を祝うかの如く。
そして、振り向きざまに心の中で愛を叫ぶのだ。
──レイくんのこと、世界で一番大好きだ!
と。