八節/4
一段落話し終わったエヴァリシアが、慣れた仕草で紅茶を啜る。
ほぼ対面に座ったレイフォードが頭を抱えているところを見ながら。
「……あの人たち、なんで何も言わなかったんだよ……!」
救世の英雄、王太子殿下、国立技術局長。
レイフォードは現在その三名に対し、言いようのない怒りを感じていた。
その切欠は、エヴァリシアが何故今もこの世界に生き続けているのかを説明したことだ。
通常の場合、生命体が生命活動を停止し、完全に死亡すると、その肉体と魂は分離する。
肉体はやがて腐敗し骸骨となり地に還るが、魂は天に昇り消失する。
どちらかといえば観測が不可能になる、という方が近いだろうか。
一定を越えると、空高く浮かんでいく魂は見えなくなってしまうのだ。
初めてそれを視認したレイフォードは、この世界の『空』の事情も含め、そこが高度限界だと解釈した。
《世界の果て》なんてものが水平方向に存在している以上、垂直方向にもあって然るべきだ。
そうして、生命というのは死ぬ。
が、エヴァリシアは、体内源素過剰症に罹患した者たちは違かった。
彼女らは『死亡』していなかったのだ。
過剰症は、大なり小なり時間制限というものがある。
その身に溢れる源素が魂を破壊し、肉体すらも消滅させるまでの猶予のことだ。
その猶予期間が終わり、成す術も無く消滅した彼女らは、ある時己の意識が未だ存在することに気が付いた。
消えた記憶もあるというのに、まだ死んでいない。
わけの分からぬ事態に混乱しているうちに、いつの間にか新しい身体は出来上がっていた。
頭の天辺から足の先まで、どこからどう見ても一寸違わず自分の身体。
何がどうなっているんだと喚いていると、虚空から人が現れる。
特位精霊を名乗ったそれらは、己に現状を説明した。
何でも、『過剰症によって消滅すると、世界が機能不全を起こして精霊になる』らしい。
「なんでそうなる?!」
「そうなってしまったんですもの。
あたくしには、どうしようもありませんわ」
ラウラによると、世界の法則を司っている《世界基盤》は、肉体の死を持って魂を世界から解き放つという原則があるらしく、肉体の死が証明できない『死に方』をすると、何らかの処置を取らない限り永遠にこの世界に縛られ続けてしまう、とのことだった。
「……だったらあの時の僕って十割余計なことしかしてないのでは……?」
「そうですわね。
『何やってんだろこいつ』と、皆思っていましたもの」
呻き声と共にレイフォードは机に突っ伏した。
思い出される五年前の記憶。
『どうせ消えるなら痕跡全部消そう』と半ばやけになって作り上げた計画。
あれは、もし特権階級に就いたユフィリアやテオドールが、レイフォードのことを思い出すことがないように。
また、シルヴェスタやディルムッドが心を病まないようにと考えて計画したものだった。
しかし、だ。
精霊としてこの世界に生きながらえるのであれば、ユフィリアと契約を結んで受肉し、彼らと共に生きることを選ぶだろう。
レイフォードは、会いに行けると知って堪え続けられるような性格ではない。
その場合、記憶の消去及び追悼の妨害なんて真似は当然要らないはずだ。
寧ろ、思い出せるように彼女らの未来を誘導する可能性だってある。
何せ、ユフィリアの祝福は『再構』だ。
勘の良い彼女ならば、きっと答えにだって辿り着く。
テオドールも、その気になれば『削除』を使ってどうにかするだろう。
ユフィリアが働きかけるかもしれない。
つまり、レイフォードの行為は全くの無駄だったのだ。
知りようのないことだから仕方ないのだろうが、これはあんまりではないだろうか。
「全く、彼らも人が悪いですわね。
知っていて尚、黙っておく道を選ぶなんて」
「──待って。今、何て?」
聞き捨てならない言葉を耳が拾い、レイフォードは飛び起きる。
「『知っていて尚、黙っておく道を選ぶなんて』と……」
「教えて! 誰は知ってたの?!」
興奮する様子に戸惑いながらも、エヴァリシアは名を挙げた。
「……アナタの師イヴと、王太子ヴィンセント、技術局長フローレンスですわ」
レイフォードは天を仰ぐ。
あの人たちならそういうことするよな、と納得してしまったためである。
そんな経緯があり、レイフォードはいじけていたのだった。
「……そんなに気落ちしなくても。
彼らも仕方なくはあったのです。
国の決まり上、特級階級でも更に上位しか得られない情報ですし、情報漏洩は処罰対象ですから。
……陰で大爆笑していましたが」
「揃いも揃って階級が高いから殴れない。
この世の理不尽じゃない……?」
ラウラが励まそうとして追撃を入れる。
先程のエヴァリシアの発言には、彼らも含まれていたのだろうか。
怒りを通り越してしまい、最早気力が起きなくなってしまっていた。
「この世の半分は理不尽でできていますのよ。諦めなさい」
遠い目をしたエヴァリシアが、哀れみを込めてそう言った。
理不尽に死の運命を突き付けられた少女が言うと説得力が違う。
頬を机にくっつけていたレイフォードは、のそりと起き上がった。
今更だが、レイフォードは二人から直々に敬語は要らないと言われたため、使用していない。
レイフォードとしては、二人ともかなり年上であるから使いたかったが、彼女らの要望であるからと受け入れたのだ。
「さて、あたくしからの話は終わりましたが……もう少しだけお時間をくださいな」
途端、ラウラがゆっくりと立ち上がった。
驚くレイフォードを他所に、彼女は近付き跪く。
意図の分からない行動の行く末を、二人は何も発言せずに見守った。
「レイフォード様」
「……はい」
膝を折ったラウラが、椅子に座ったままのレイフォードを見上げる。
長い前髪の隙間から見える瞳が、真っ直ぐ見つめていた。
「──私と契約していただけませんか?」
「いいよ」
差し出された手を、一拍すら置かずに取った。
「……いや、軽すぎやしませんか?!
精霊との契約とは、そんな物の貸し借り程度のものではないのですよ!」
「見当は付けていたし、別に嫌なわけでもないし……断る理由も特にないから良いかなあって」
思わず横からツッコミを入れたエヴァリシア。
彼なら断りはしないだろうとは考えていたが、ここまで即決だとは予想が付かなかったのだ。
「……人生一回きり、変えようのないものですのに。
もう、言っても無駄ですわね」
「そうだね、履行しちゃったから。
ということで、よろしくねラウラ」
しかし、彼女からの反応は返ってこない。
「……あれ? ラウラ、大丈夫?」
出会った時のように目を見開いて固まっているラウラ。
視界に入るように手を振ると、彼女ははっとしてその手を握った。
「……夢、でも見ているのでしょうか」
「残念、現実だよ。
……今日で二回も言ったな」
己の右手を優しく包み込むように握るラウラ。
愛おしそうに、哀しそうに目を伏せて。
そして、彼女はもう一度レイフォードを見上げる。
それにはどこか既視感があって。
その先の言葉を、知っているような気がした。
「貴方を守らせてください。
貴方と……共に、生きさせてください」
────貴方と共に生きる、私はそう決めた。どうか共に生きさせてくれ。
黄昏に染まる麦畑の中。
微風が秋と小麦のかおりを運ぶ中。
貴方は■■■■■の手を握る。
ああ、それになんて返したのだったか。
確か──。
「──約束してね」
そうして、彼女は黄昏を滲ませながら頷いた。
きっと、これは胡蝶の夢。
現実は夢で、夢は現実で。
■■■■■は■■■■■であることに変わりなく、レイフォードがレイフォードであることも変わりない。
だからこそ、これは『再演』なのだ。
一度終わった物語を、再び演じるのだ。
勿論、配役はそのまま。
主人公は貴方。
恋人はあの子。
脇役が主人公になることも、恋人になることもない。
けれど、同じ幕引きにはさせない。
今度は必ず幸福な結末にしてみせる。
もう哀しむ貴方の顔は、二度と見たくないから。
貴方に笑顔でいてほしいから。
もし、全てが終わった先でまた貴方と出会えたのならば──心から、愛を伝えたい。
私はそう、希う。