七節/2
「……なるほどね。はいはい、うんうん」
話を聞いたテオドールは腕を組んで深く何度も頷く。
口に詰め込んだ肉を咀嚼するように、何度も何度も。
そして、天を仰ぎ、大きく息を吸い。
彼は再び叫ぶ。
「──納得出来るはずないじゃん!
あんなに感動の別れみたいなことしておいて、『ごめん、実は生きてるんだ(てへぺろ)』とか許されるわけがないでしょ!」
「言うと思った」
激越するテオドール。
予想通りの反応に、若干心が躍るレイフォードとセレナ。
に、引くシャーリー。
「先に言われてたら、『そうなんだ』って優しく受け入れてたよ!
何で言わないの?!」
「だって、テオずっとオルガくんたちと一緒にいるんだもん。
話す時間ないよ。
あとその反応が見たかった」
「確信犯──!」
思い出されるのは、今まで何度かあった悪戯とやらかしの数々。
正座させて理由を訊けば、『面白そうだったから』『反応が気になって』などと宣う始末。
ああ、愉快犯二人を相手にしたのが間違いだった。
崩れ落ち、四つん這いになった目の前にすっと出てくる二本指。
折り曲げてやろうかと思いつつ、テオドールは立ち上がった。
「でも、シャーリーはどうして『死んだ振り』をしようと思ったんだ?
別に、そのまま精霊だと明かせば良いだろうに」
「……言わなきゃダメ?」
気まずそうに目を逸らすシャーリーに、絶対と返す。
自分だけ知らないままは許せないのだ。
「分かった。言う、言ってあげるわ。
けど、あの子達には話さないでよ。
何がなんでも、ね」
そして、恥ずかしがってそっぽを向きながら、シャーリーは話した。
「……『シャーリー』は、あの肉体は、その辺で勝手に繕ったものなのよ。
言っていたでしょう? 烏に突かれてたって。
本来の『シャーリー』はあそこで瀕死、もうすぐ死ぬってところだったわけ。
そこで、アタシは身体を譲り受けた。
『このまま死ぬくらいなら、アナタの好きに使って』ってね。
だから中途半端な受肉だし、正体を明かしたところで契約するならあの身体は捨てなきゃいけなかったの。
それに──」
言葉が途切れ、シャーリーは言い淀む。
けれど、意を決した彼女は続けた。
「あの子達を、守ってあげたいのよ。
ずっと幸せに過ごせるように。
『シャーリー』じゃなくて、本来の『精霊』として。
ただ、それだけ」
初めは、ただの道楽だった。
人の暮らしに紛れて、暇を潰そうとしていた。
そのために態々受肉するのも面倒臭かったから、何でも良いから肉体が欲しかった。
そんなとき、見つけたのが『シャーリー』だったのだ。
生への執着を持っていない彼女は、話せば快く身体を譲ってくれた。
『ふうん、意識も混ざるの。なら、尚更ね。アタシの望みを叶えられるんでしょ?』なんて、今まで例に見ないほど軽い態度で。
そうして、ぼろぼろの身体に入り込み、さあ烏を追い返そうとしたところで、彼らがやって来た。
────そこのカラス!
弱いものいじめする悪い奴らは、成敗してあげるわ!
小さな子ども、三人組。
勇敢な少女と、大人ぶった少年と、怯えた少年。
彼らは木の枝片手に暴れる烏を何とか追い払い、唖然とするシャーリーに手を伸ばす。
────えっと、シャーリーだよね。
もう大丈夫。今、手当してあげるから!
少女の笑顔が降り注いだ。
明るくて、暖かくて。
思わず目を瞑ってしまいそうになる。
眠ってしまいそうになる。
夢を見てしまいそうになる。
────よし、これで終わりですよ。
いつも怪我をする二人のおかげですね、あんまり難しくなかったです。
先程までの怯えはどこに行ったのか、細身の少年はシャーリーの手足を消毒し、包帯を巻く。
その手際は妙に素早く、丁寧だった。
────……ルーカスへの文句は後にして、取り敢えず基地に運ぶぞ。
いつ烏共が帰ってくるか分からねェからな。
ずっと背後から見守っていた大柄の少年が、シャーリーの身体を摘み上げた。
────ちょっとオルガ!
怪我人なんだから優しく持ちなさいよ!
首を摘まれて、四肢をぶらんと垂れ下げられたシャーリー。
その扱いに抗議した少女は、追い打ちとして少年の背を平手打ちにする。
────……地味に痛ェな、分ァった。
これで良いんだろ、ウェンディ。
小さく呻いて半歩前に身体を踏み出した少年は、少女の要望通り、赤子を抱くように持ち替えた。
それで良いのよ、とウェンディ。
はいはいありがとうございます、とオルガ。
ほら行きますよ、とルーカス。
彼らに連れられ、共に過ごし、六年以上の月日が経った。
経ってしまったから、知ってしまったのだ。
お人好しで、優しい彼らの名を。
彼らの純粋さと、勇敢さを。
時と場が違えば『英雄』などと祭り上げられ、世のため人のためと使い潰されそうな少年少女。
誰かのために動ける。
誰かを想っていられる。
今、この国は平和だ。
人と怪物の戦争は十数年前に集結し、外の世界からの干渉も大々的なものはない。
しかし、この先の未来に彼らの出番が無いとは言えない。
ひょんなことから英雄としての道を歩む可能性だってあるのだ。
どれだけ些細なことでも、巡り巡って大事になる。
そして、その果てに英雄となる。
彼らはそういう素質を持って生まれ、集まってしまったのだから。
けれど、そんな未来を辿ってしまえば、彼らは幸せになれない。
英雄譚なんて、悲劇に塗れた醜い道程を、上辺だけ美しく飾り付けられただけの虚構に過ぎないのだ。
どれだけ辛くとも、どれだけ苦しくても。
英雄が必死に縋り付き、辿り着いた結末。
掴み取れなかった希望。
零れ落ちていく幸福。
罪と罰を背負いながらも、進み続け、向き続けた未来。
その真実を見ずに、己の理想だけ見ようとするなんて、腸が煮えくり返る。
お前が歪めた『英雄』は、泥臭くて、醜くて。
けれど美しく、煌めく希望の光であるのだ。
過程を消して、都合の良いところばかりを見て。
そうして造り上げられるのは、『英雄』ではない別の何か。
舞台で踊らされるだけの人形だ。
中身の無い空虚な理想に、現実が歪められてなるものか。
彼らの存在を歪められてなるものか。
彼らを人形なんかにさせてやるものか。
だから、彼らを英雄にするわけにはいかない。
彼らの人生を悲劇になんてさせない。
どこにでもいる少年少女の平和な一生として、彼らが笑って終われる『喜劇』にする。
それが、他でもない己の望みだった。
そのためには、精霊はシャーリーではいられない。
彼らを守るためには、それ相応の力がいる。
ただの猫ではいられないのだ。
ならば、『シャーリー』は終わろう。
丁度良いことに、彼らにとってのシャーリーは十歳以上の年寄り猫。
死ぬことは別におかしくない。
それに、己の主義に『シャーリー』を巻き込むのは良くない。
『彼らを守りたい』というのは、『平和に、自由に暮らしたい』と願う彼女の主義に反する可能性がある。
混ざり合った意識の中の彼女は、終わらせることを快く認めてくれた。
もう十分なほど楽しめたから、と。
だが、死に目は見せない。
これは、理論的な理由はなく、ただ単に見せたくないというだけだ。
見せてしまえば最後、彼らは絶対に哀しんでしまうだろうから。
『シャーリーはどこかへ消えた』という事実だけを遺そうとしたのだ。
だと、いうのに。
邪魔が入ってしまった。
ふらっと現れた終末装置。
全てを幸福な結末にしないと気が済まない世界の救世主様。
無自覚な迷惑者は、余計なお世話で彼らを導く。
アナタなんか居なくても、幸福な結末にはなる予定なのよ。
そんな文句は、愛おしき子どもたちの涙に溶けて地に落ちる。
透明の血液が茜色の太陽を反射した。
──ああ、でも。こっちの方が、良いかもね。
無理矢理差し込まれた即興。
それが生み出した、混じりのない感情の吐露。
美しき人の形。
見惚れてやり直しする暇もなく、『シャーリー』は息絶えた。